第二十九章 一人と一人





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政変に巻き込まれた形で、俺達に無理やり即位させられたヒストリアは、予想に反して即位後は精力的に活動した。

特にヒストリアが力を入れたのが孤児院の設立だ。自身の発案で牧場併設の孤児院を設立させ、壁の中の孤児や困窮者を集めたのだ。
実質的にはこの壁の中は兵団に統治されているし、それは民衆も皆承知だ。つまりヒストリア女王は傀儡の王だ。
だがヒストリアは以前とは確かに変わった。
俺は、ヒストリアが自分から言い出した孤児院設立には力を貸してやりたいと思い、できる限りの尽力をした。

孤児院は無事に運営が回っているようだった。
幸か不幸か――いや、多分不幸なのだが、孤児院は定員に対して常に満員だった。もう一つ院を作るという話も浮上しているほどである。

地下街はもとより、この壁の中にはそこかしこに孤児が溢れ返っている。
巨人に親を喰われた子供は数多い。そういった子供は開拓地に行ければいい方で、スラム街で人知れず息を引き取っていく者も多くいた。

斯様な理由で満員の孤児院は常に忙しい。
院長に就任したヒストリアと親しい一〇四期は、頻繁に手伝いに駆り出されていた。
ナマエも忙しい仕事の合間を縫って時々手伝いに行っていたようだった。

ある日、俺も孤児院の手伝いに誘われた。というよりも、人手不足を強く訴えるナマエに、半ば無理やり連れて行かれるような形である。

「兵長も一度くらい見てあげてくださいよ、ヒストリアの孤児院。
ご自分も孤児院の設立はかなり後押しされてたじゃないですか。作ったら作りっぱなしですか?
もう孤児院は満員で忙しいんです。人手がいるんですよ人手が」
「ああ? 人手?」
「特に男手が足りてないんです。エレンにも手伝わせてるんですよ、硬質化の実験もして疲れてるのに。
部下が頑張っているんですから、兵長も一度来て手伝ってください」

ナマエは熱弁し俺に訴え続けた。

「……俺が行っても……子供が怖がるだろうが……」

ジャンやアルミンは子供の相手もそつなくこなすだろう。コニーは子供と一緒になって遊ぶだろう。エレンは……恐らく不器用ながらも一生懸命子供の相手をするのだろう。
俺は自分が無愛想な事は承知している。加えて口が上手くないことも。
子供の相手を上手くできる自信はなかった。

「ええ? そんなことないと思いますけど……うーん、じゃあ兵長は掃除係。子供達集めて遊ぶ相手をするのは私がやりますから! それなら良いですよね?
他の男手と一緒に院内の掃除をお願いします」

そう押し切られてしまったのだ。



結局、俺はナマエに連れられて、初めてヒストリアの孤児院へやってきた。
ナマエと共に孤児院の牧場へ足を踏み入れると、牧場で遊んでいた子供達がナマエに気づき、大声を出して駆け寄って来る。

「ナマエお姉ちゃんだーっ」
「ナマエお姉ちゃーんっ!」

子供達はわっとナマエの周りに群がる。
ナマエはすっかり子供達の間に溶け込んでいるようだった。

ナマエが来るまで子供達に群がられていたのはジャンとアルミンだった。
子供達が捌け二人の姿が俺からも見えるようになると、二人は俺を見つけ会釈し、こちらへ駆け寄って来た。
俺の隣では群がってきた子供達がナマエを取り囲んでいる。

「ナマエお姉ちゃん、この人はだあれ……?」

子供達はナマエを見ながら俺の方もちらりと見た。
無垢な瞳は、俺を怖がっている。
だから言ったじゃねえかとナマエに無言の抗議を向けた。しかしナマエはにこりと俺の抗議を一蹴し、完璧な笑顔で子供に接した。

「皆、怖がらなくて大丈夫! この人はとってもいい人だからね!
この人は『兵長』って言うの、皆『へいちょう』って呼んであげてね!」

ナマエは子供達にそう言い、俺の背中に両手を当て子供達の前へ押し出した。
おい、と思った瞬間に、子供達は俺の周りにわらわらと群がってきた。

「へいちょう!」
「へいちょうのおじさん!」
「へいちょうおじさん!」

……おじさん……。
まさか、おじさん呼ばわりされるとは思わなかった。

「おい」

俺がギロリとナマエを睨むと、ナマエは今度こそ俺の抗議に焦りの反応を見せた。

「み、皆! 『兵長』だけでいいのよ! 『おじさん』は要らないから!」
「えー、なんで?」
「なんでなんで?」

素直に疑問の意をぶつけてくる子供は、あまりに真っ正直すぎる。

「……いい、ナマエ……俺がおっさんなのは事実だ……」

俺が肩を落とし静かにそう返すと、ナマエは気まずそうに苦笑した。

「ねえナマエお姉ちゃん、今日もご本読んでー!」
「読んで読んで!」

子供達の声に対し、ナマエも明るい声で答える。

「うん、じゃあ本持っておいで! 今日はお外で本読もう!」
「わーい!」

子供達が我先にと院内へ向かって走り出していった。本棚へ向かったのだろう。
ナマエは俺を振り返って言った。

「じゃあ兵長、子供達と外で本を読んでいますから、その間に院内の清掃をお願いします。ジャンとアルミンが掃除用具の場所は知っていますから」

そう言うと、本を持ってきた子供達に連れられて牧場の真ん中へ進んでいった。

「兵長……あの、お疲れ様です」

やって来たジャンとアルミンが俺に挨拶する。

「ああ」

先ほどの「おじさん」が聞こえていたのだろう、二人とも気まずそうに笑顔が引き攣っている。

「……気にするな、俺がおっさんなのは本当の事だ。子供ってのは全く容赦ねえな」

ははは、とジャンとアルミンは苦笑した。

「兵長、今日は掃除を手伝ってくださると聞いているんですが」
「ああ、ナマエに駆り出された。まあ来たからにはきっちり働いてやるつもりだ」
「ありがとうございます。じゃあ、早速院内へ……」

そうアルミンに案内されて院内へ入ろうとした時、牧場の真ん中の子供達の群れから大きな笑い声が聞こえた。

笑い声の真ん中にいるのは、絵本を見開き子供達に読み聞かせているナマエだった。
絵本を肩のあたりで持ち子供に見せながら読み聞かせをしている。
耳を澄ますと、ナマエの読み聞かせる声が聞こえてきた。

「『ようし、それでは一飲みにしてくれるぞ!』と、トロルが怒鳴りました。
『さあ来い! こっちにゃ二本の槍がある。これで目玉は田楽刺し。おまけに、大きな石も二つある。肉も骨も粉々に踏み砕くぞ!』」

それは見事な読み聞かせだった。
ナマエは、悪役は低くおどろおどろしい声で、主人公は勇ましい声で、と登場人物ごとに声色を使い分け子供達を絵本の世界へ引き込んでいる。
子供達は笑ったり声を出したりしながらも、絵本から決して目を離さない。ナマエの読み聞かせは役者の域である。

「すげーな……」

その様子を見てぽつりと口から零れたのはジャンだ。俺は答えた。

「あいつは元々演技派だ。俺は、あいつの天職は兵士じゃなくて女優だったと踏んでいる」
「ははは……でも確かにあれは才能ですよね」

アルミンは笑って答える。ジャンはナマエと子供達の姿を見ながら続けた。

「絵本の読み聞かせもそうなんですけど、それだけじゃなくて……。
皆ナマエさん来ると飛びついて喜ぶんです。ナマエさん、子供の相手上手なんですよね。
それに、ただ子供に優しいだけじゃなくて、何か悪いことしたりすればきっちり怒るんですよ。怒り方も上手で、後には引かないのに子供はしっかり反省するって言うか……。
なんか、子供にめちゃくちゃ好かれてるんですよね、ナマエさんって。意外ですけど」

最後にこぼれた「意外」の部分に、ジャンはしまったという顔をした。
俺は何も言っていないのに、慌てながら勝手に弁解を始める。

「あ、いや、意外って、その……意外って言うのはつまりえっと」
「はっ、別に良い。思った事を正直に言うのは別に悪いことじゃない」

慌てたジャンに助け舟を出してやる。
ジャンはすみませんと言い、言葉を選びながらも正直な気持ちを口に出した。

「俺、ナマエさんのこと、最初はなんてきれいな人なんだって思ったんです。皆ににこにこしてすごく感じも良いし。
でも、すぐにこの人はそれだけじゃないって思い直しました。
エレンをライナーとベルトルトから奪還するために憲兵も引き連れて壁外へ向かった時に、ナマエさんは平気で憲兵を見殺しにしました。
隣で喰われようとしていた憲兵を俺が助けようとした時も、助けることすら止められました。
この人は団長と一緒で冷酷な人なんだなって……そう思いました」

俺とアルミンはジャンの独白を静かに聞いていた。

「あの政変で……自分も手を汚した時に、ああ、団長もナマエさんも、もちろん兵長も、冷酷なわけじゃないんだと……思い直しましたが」

ジャンも、俺が手を汚させてしまったガキの一人だ。

こいつはまともな人間だ。
きっと弱い者の気持ちがわかる。
先の話だが、ジャンはきっといいリーダーになると俺は感じていた。

「ナマエはな」

俺はジャンに向けて口を開く。

「肝が据わっているから、必要な時に必要な物を捨てることができるだけだ。
もちろん、捨てることに何も感じていないわけじゃねえだろう。あいつは上官としての自覚をちゃんと持っているから、お前らの前じゃ揺らいだ姿勢は見せねえだろうがな。それが冷酷に映るのも理解できる。
……あいつはあれで結構情が深い女だ。ガキ共が懐くのも、まあ自然なことだと俺は思う」
「……そうか、そうですね……」

ジャンは納得した様子で、ナマエと子供達の方を見やった。
俺とアルミンもそちらに目を向け、俺達三人はナマエが笑顔の子供達の中心で読み聞かせをしているのをぼんやり見続けていた。

「子供達もナマエさんが好きですけど……ナマエさんも、子供が好きなんですね、きっと」

アルミンが言った。

「……」

俺は黙り込む。

ナマエが、子供好き?

何故そこに考えが至らなかったのだろう。
アルミンの指摘は至極真っ当だ。

笑顔の子供達の中で絵本を読み聞かせるナマエ。
子供達だけではなくナマエも楽しそうだ。
読み聞かせの技術そのものは素晴らしく、役者染みているが、ナマエの楽しそうな顔までもが演技だとは思えなかった。

ジャンとアルミンと一緒に孤児院内の清掃をしながら、俺は考えを巡らせていた。

あいつ……子供が好きなのか。
そう言えば、レイス卿領地のクヴァント家に潜入調査していた時……ザーラとか言う、恐らくウッツ・クヴァントの娘と思われるが、その子供とも上手くやっていたようだった。
普通、父親の再婚相手となる女性など子供は警戒することも多いものかと思うが、ナマエはザーラにそれをさせなかったということだ。

ナマエは子供好きだ。そう仮定すると、ある考えが脳裏をよぎる。
――自分の子供は欲しくないのだろうか。

ナマエは二十三歳だ。
まだまだ若いが、この壁の中では子供を産むのに早すぎる年齢では決してない。実際ナマエ位の歳では、結婚し既に子供を持っている女性の方が多数派だろう。それも二十三歳ともなれば、子供も一人ではなく、第二子、第三子を持っている女性も多い。
子供を生むとしたら、母体や生まれてくる子供のことを考えれば早いに越したことはないだろう。

だが、これからウォール・マリア奪還作戦が待ち受けている。
俺達兵士はいつだってそうだが、命あって帰って来られるとは限らないのだ。子供を生むの生まないのというのは、ナマエの命があって初めて議論できることである。

それに……これは、仮に、仮にだが――ナマエが俺と子供を持つことを少しでも考えたのならば、どうだろう。

俺は兵士長という立場だ。前線から引くことは決して許されない。
それ以前に、前線で戦い続けることが俺の誇りでもある。
だが、子供の父親としてはどうだ。
いつ命を落とすかわからない男を父親とすることに、不安がないわけではないだろう。

ナマエはもしかして、俺と付き合っていることで、子供が持てないのではないだろうか。




   

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