第二十八章 家族





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「私も、本当の姓はわからないんです。覚えていないんです。
ミョウジというのは旦那様の姓で、身請けされた時にこれからは家族だと言って与えてくださったものです。
旦那様が亡くなった後、ミョウジ家の親族の方々からはそれはもう邪険にされました。まあ娼館から来た汚い子供ですから、無理もないのですが。
この墓だって教えてもらえず、後から自分で探し出したんですよ」

兵長は一言も発さず、黙って私の話を聞いていた。

「旦那様を失い居場所を失った私は自殺未遂もしましたが……結局生き延びました。
家もお金もなくなった私は、食べるために訓練兵団に入ったのです。兵士になったきっかけなんてそんなものでした。
結果的に、私は兵士として生きることに誇りと意義を見出せましたし……兵士になったことで兵長とも出会えたんですから、兵士になったきっかけを与えてくれたミョウジ家の方々には感謝しなければいけませんね」

あの丘とは匂いが少し違うが、ここにもそよそよと風が吹いている。

豪奢できらびやかな墓は、私が持つ旦那様のイメージにはそぐわない。
旦那様は財力を持った方だったが、朴訥で、約やかな方だった。
この墓を、旦那様は少し居心地が悪いと思っているかもしれない。でもこの風はきっと気に入ってくれていると思う。

「旦那様は私の父であり、兄であり、初恋の人です。
大切な……私の、家族です」

後ろの方にいた兵長は私に歩み寄り、隣に立つと、ミョウジ家の墓碑をまじまじと見つめた。

「旦那様、お久しぶりです」

私は墓に語りかける。

「すっかりご無沙汰してしまって申し訳ありません。
今日は私の大事な人をご紹介したくてお連れしました。リヴァイ兵士長です。素敵な方でしょう?」

そう言って兵長の背中に手をやり、ずいと前に押し出す。
おい、と兵長は照れくさいのか拒むような声を出した。

「旦那様……私、今、幸せです」

私がそこで言葉を切り黙り込むと、霊園には沈黙が流れた。
こんなに広い霊園だが、他に誰も墓参りに来ている人はいない。
私と兵長だけだ。

「おい、俺は席を外す。お前はもう少しここにいろ」

突然兵長が言った。

「え?」
「積もる話もあるだろ。お前の昔のオトコだ。妬いたりしねえからゆっくり話してろよ」

そう言って、兵長は霊園の外へ出て行った。

お言葉に甘えて、私は墓碑の前にしゃがみ込む。
旦那様を見上げ、話し込む体勢をとった。

「旦那様、どうですか? 私の自慢の恋人です。『人類最強』なんて二つ名なんですよ。
私の事を……すごく愛してくれる人です」

もちろんだが、旦那様は何も発しない。
でも絶対聞いてくれている。私には確信があった。

「旦那様、今朝……私に会いに来てくれたのですか? 久しぶりでしたね。
弱い私を、お叱りに来てくれたのでしょう?」

私は、確信の元に一人で話し続ける。

「そうですね、旦那様の言うとおり、一人と一人で生きていかなければなりませんね。
確かに二人で生きていくなんて……烏滸がましいのでしょう。
あの人は、一生私を愛してくれると、死後も愛してくれると約束してくれましたが、あの人の人生はあの人の物です。一人で立つことが怖いからと言って拘束するわけにはいきませんね。
そう……あんなに深い愛情をもらっておきながら、私はそれを自信に変えて立つことができていない。一人で立てていない。
それをお咎めになっているのですね?」

当然返事はない。

私は、旦那様に語るという体で自分自身に言い聞かせ、納得させているのだろう。
でもそのきっかけをくれたのも旦那様だ。
愛情深い人だ、兵長と同じように。

「旦那様、ありがとうございます」

私は立ち上がり、大きな墓碑の上部に口づけた。人間でいうなら、額にキスしたような形になるだろうか。

本来額への口づけは、友情を意味しているだとか、目下の者に対しての箇所だと本で読んだことがある。
尊敬するべき旦那様への口づけの箇所としては、少々ふさわしくないかとも思った。
だが残念ながら旦那様の実体に触れることができないため、勘弁していただくこととする。多分旦那様は、私が額にキスしたからといって無礼だと怒るようなことはしないはずだ。

「おい、ゆっくり話せとは言ったが、それは妬けるだろうが」

後ろから不機嫌な声がした。兵長だ。
見ると立派な花束を片手で担いでいる。

兵長は墓前に進むと、花束を供えた。
大きなユリをベースに、リシアンサス、スプレーマム、カスミソウ……白で統一された花束だ。

「兵長、わざわざ花束買ってきてくださったんですか?」
「こういう霊園の近くには大抵花屋があると思ってな。恋人の家族に挨拶に来るのに、手ぶらじゃ無礼だろ」
「……やっぱり私も、お花お供えしたかったな……」
「いいんだよお前は」

そう言って、兵長は私の頤に手をかけた。
互いの顔が近づき、唇がゆっくりと重なる。
重なるだけのキスかと思ったら、兵長は舌も侵入させてきた。

「……」

くち、くち、という、粘着質な音だけが聞こえる。誰もいない静かな霊園では、この小さい音も響いて聞こえているような気がして恥ずかしくなる。
一しきり互いの舌を求め合うと、どちらからともなくゆっくりと唇を離した。
つーっと唾液が糸を引く。

なんか、いいのかな、こんな墓前で。
……まあいいか。きっと旦那様は微笑ましく見てくれているだろう。
そう思っていると兵長が墓に向かって口を開いた。

「悪いな、今は俺のもんだ。化けて出てくれるなよ」

そんなことを言うもんだから、ふはっと笑ってしまった。
私が墓碑に口づけしたものだから、対抗してもっと深いキスをしたというわけだ。

兵長はしゃがみ込んで墓碑に向かって小さな声で語りかけた。
私も隣にしゃがみ込む。

「俺は今……ナマエが傍にいて、幸せだ。ナマエを俺と出会わせてくれたことに感謝する。
ナマエを一生大切にする。だから安心してくれ」

兵長が旦那様に向けてくれた真摯な言葉が嬉しくて、私は胸と目頭が熱くなった。
誤魔化すようにすくっと立ち上がる。手の甲でさっと目を拭い、涙がこぼれないようにした。
兵長は急に立ち上がった私を不服そうに見上げた。先ほどの台詞をそっくりそのまま返してやる。

「もう……かゆいです」
「……うるせえな」

兵長も立ち上がり、私達はゆっくりと墓碑の前を離れる。

「旦那様、また来ます。また兵長と一緒に」

どちらからともなく手を繋ぎ、霊園の外へと向かった。

「今度はハンジさんも連れてこようかな」
「止めておけ。あいつの奇行種っぷりを見たら、お前の旦那様はびびって心配になるだろうよ」
「……そうかなあ……」





   

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