第二十八章 家族





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ナマエ。
ここが君の部屋だ。狭くて申し訳ないが、ここは君だけの城だ。好きに使うと良い。

ナマエ。
これが当家の女中服だ。一応お前は女中ということになっているから、家の中ではこれを着ると良いだろう。ああ、学校へ行く時の服は別で用意するから安心してくれ。
え? 当り前だろう? 君にはまだまだ学ばねばならないことがたくさんある。
幸せに生きていくためには、最低限の学が必要だ。
うん、君には幸せに生きて欲しいんだよ。

ナマエ。
君の事は……そうだな、一目惚れ、というのかな? 一目見て気に入ったんだ。
あんな娼館、行くつもりはなかったんだが、君に会えたのだから無理やり私を引きずり込んだ友人には感謝しないといけないな。
幼女趣味……と言われると、まあ、否定できないかもしれない。
実際君を身請けしてしまったんだから。

ナマエ。
……え? ははは……そうだな……。うん、君が十八歳くらいになって、その時君が私を受け入れてくれるなら、その時こそ君を抱きたいと思うよ。
今? 今は……難しいな。
君が幼くて魅力がないと言っているんじゃない。君の事が大事だから、大切にしたいんだ。
この気持ちは大人にならないとわからないかもしれないね。

ナマエ。
良く聞きなさい。君はこれから一人で生きていかなければならない。
でもね、怖がらなくて大丈夫だ。本質的に人間は皆一人なのだから。
君も一人、私も一人だ。
君はこれから大人になり、きっと誰かを愛し誰かから愛される。想いが通じ合う人がきっといる。
だが、二人で生きていくなんて烏滸がましいことを思ってはいけないよ。
もう一度言う。人間は皆一人だ。

ナマエ、愛し愛される人と、一人と一人で、支え合って生きていきなさい。



 * * *



目を覚ますと、ベッドの上だった。
辺りはまだ暗いが、月明かりが窓から入っている。

ああ、ここはリヴァイ兵長の部屋だった。隣では兵長がまだ眠っている。
兵長は子供のような寝息を立てていた。
愛しくて、兵長の髪の毛をさらりと撫で、そして頬にキスする。

日付が変わって、今日は二人とも調整日だ。
翌日が調整日だと、いつもよりちょっと抱かれる時間が長くなる。
ほんの二、三時間前まで、兵長の腕の中で淫らな声を上げ続けていた自分を思いだし、かっと顔に熱が籠もった。

身体の傷はほとんど消え、今ではタートルネックなど着ずに普通のシャツを着ている。
兵長は私の身体を見るたびに傷を申し訳なさそうに撫でていたが、それももうすぐしなくて良くなるだろう。



先ほど見た旦那様……あれは、夢か。
旦那様の夢なんて久しぶりに見た。
十歳で旦那様に身請けされ、十二歳で旦那様を亡くすまでの二年間、彼の大きな愛情に包まれて幸せな時間を過ごせた。私も確かに旦那様に愛情を感じていた。
だが、今思えばリヴァイ兵長に向いている愛情と旦那様に向けていた愛情、比較すると少しだけベクトルがずれているように感じる。

旦那様に男性として魅力を感じていたことは確かだが、それと同時に親というか兄というか、そういう存在でもあった。
兵長のことは親や兄と思ったことは一度もない。
もっと、何というか……執着の対象である。

しかし、最後に出てきた旦那様の姿。寝巻を着て、病室のベッドの上だった。
旦那様が死んだあの日の記憶だろうか。
最期の最期に、あんなこと言っていたっけ? いや……。

私の脳内で、だんだん記憶が鮮明に蘇ってきた。

確か旦那様は、病院に運ばれた時点で既に瀕死の状態で、あんな風には喋れなかったはず。街で盗人に刺されてから病院に運ばれ息を引き取るまで、私はずっとお傍についていたが、あんな風に喋れる状態に回復することはなかった。
じゃあ、夢の中で旦那様が言っていたのは……私の記憶ではない。
旦那様、私にわざわざ会いに来て、伝えてくれたってことですか?

私は全裸のままベッドから抜け出し、窓際に立った。
月が美しい。

ぼーっと月を見ながら立ち尽くしていると、突然後ろから抱きしめられた。

「わっ……」
「そんなところで何してる。風邪引くだろうが」

私を抱きしめたのは、同じく全裸の兵長だ。

「まだ夜中だ。寝とけ」

そうベッドに引き戻される。
布団の中でどちらからともなく擦り寄り、互いの肌の感触と体温を確かめあっていると、兵長が口を開いた。

「今日……調整日だろ。お前、予定有るか」
「……いいえ?」
「じゃあ俺にちょっと付き合え」
「はい、もちろん……デートですか?」
「まあそんなところだ」
「ふふ、久しぶりですね。どこに連れてってくれるんですか?」

笑って聞いたが、兵長は答えず黙って私の髪を梳いている。

私の髪はだいぶ伸びたが、それでも肩あたりだ。以前のような胸下のロングヘアになるにはまだまだ時間がかかるだろう。

「兵長?」

質問に答えない兵長に私が尋ねると、兵長は私を抱きしめ顔を肩に埋めた。

「……着いてからのお楽しみだ」
「……わかりました」

私も兵長の肩に顔を埋めた。
二人で抱き合いながらとろとろと微睡み、私達はもう一度眠りについた。



朝を迎えた。幸いなことに今日は天気が良い。
デート日和だな、なんて心の中で嬉しく思っていた。

朝食を食べると、すぐに出発するぞと兵長が言うので慌てて準備をする。
調整日なので兵長も私も兵服ではなく私服だ。
歩くのか、それとも馬車か……と思っていたら、兵長は馬を兵舎入口まで引いてきた。歩いてぶらぶらするならトロスト区内かな、なんて勝手に思っていたのだが、馬と言い早い出発時間と言いもっと遠出のようだ。

「馬で行くんですね? じゃあ私も馬連れてきます」
「俺が乗せて行ってやる。後ろに乗れ」

そう言う兵長のお言葉に甘えて、後ろに乗らせてもらう。
こんなところ部下に見られたら、とも思ったが、兵長にひっついていられるのが嬉しくて、堂々と腰に手を回した。



兵長の優秀な愛馬はよく躾けられていて、私が後ろに乗ろうがビクともせず、安定した走りで悠然と駆けた。街をいくつか抜け、かなりの距離を進む。
幸いな事に天気は崩れずずっと日が出ている。今日はきっとこのまま夜まで晴れるだろう。
私は兵長の白いカットソーにしっかりとしがみついたまま尋ねた。

「兵長、まだですか? そろそろどこに行くのか教えてくれませんか」
「もうすぐ着く。待ってろ」

まだ行先を教えてくれない。もう壁が近づいてきた。
確か、この先には街などないのではなかったか。小さな村はあるかもしれないが……あとは森と草原しかない。

結局兵長が馬を止めたのは、ウォール・ローゼ東区にある、小さな丘だった。
丘には大木が一本立っており、その周りには野花が咲き乱れている。
丘の近くには池もあり、少し離れたところには森だ。花や樹木が多いせいか小鳥もたくさん飛んでおり、囀りが聞こえてくる。もしかしたら壁の外からやってきた鳥かもしれない。

「ここだ」

端的にそう言うと、兵長は馬から降りた。
斯様に美しい丘だが、ピクニックをするつもりというわけではないだろう。サンドイッチも持ってきていない。

兵長の目的がわからないまま、私も馬から降りようとする。
兵長は手を差し伸べて私が降りるのを手伝った。こういうところが人たらしだと思う。
私はむうとしながらも、照れて赤くなった。
兵服を着ている私にはこういうことはしない。もちろん怪我などしていれば別だが、通常であればしないことだ。他の団員の目もあるし、兵士長が誰か一人を特別扱いすればそれは咎められてしまう。
でも兵長は、兵服を着ていない私にはとことん甘いのだ。
今日も馬の後ろに乗せてくれた。今日は上官と部下ではなく恋人同士として一緒にいるからだ。
悪いことに兵長はそれを無意識にやっているのだから、この人は天性の人たらしである。

兵長は私の手を引いたまま進み、丘の上の大木の下までやってきた。
大きな広葉樹だ。
この季節、青々とした葉が生い茂り、木陰が丸く広がっている。
根元の近くにいると木陰の中にすっぽりと収まることになり、日の当たる場所よりいくらかひんやりとした。
兵長は大木の下の根元部分を見下ろしていたかと思うと、しゃがみ込んだ。

「墓だ」
「……え?」
「俺の母親と、伯父の墓だ。墓碑はねえがな」

そう言って何もない大木の根元を見つめる。




   

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