第三章 屋上で





02





* * *



兵長が「気を付けろ」と言ったということは、私の勘違いではないのだろう。
視線を感じた。
それだけなら何がどうということはないのだが、とにかく好ましい類の物ではなかった。

まあ、皆から心酔されているリヴァイ兵長と二人っきりで夜な夜な語らっていたなどと知れたら、逆上する者もいるかもしれない。
靴に画鋲を仕込まれることぐらいは覚悟したほうが良いか……。

そんなことを考えながら兵舎内へ戻り、兵長とは部屋の前で別れた。
ドアノブに手をかけて、そこに紙袋がかかっていることに気づく。

中を見て――目を見開いた。

中身は同じ酒瓶が六本――私が愛飲している果実酒だった。今も兵長と一緒に飲んでいた物だ。
私がこれを好んで飲んでいることを知っているのは、ハンジさんと兵長くらい……。

酒の席で大人数で飲む時は、ビールでもワインでもその場に出された物を飲む。
この銘柄を飲む時は、自分一人か、ハンジさんか兵長と一緒に飲む時に、自室の戸棚から持ち出している。
この酒が好きだなんて、誰かに言ったことがあっただろうか? いや、ない。

一緒に、カードが入っていた。タイピングされた文字で一言。

『お好きですよね? ほんの気持ちです』

心臓がドクドクと鳴り始めた。楽しく飲んでいたのに、酔いが醒めていく。
嫌な感覚だ……落ち着け。

とりあえず、私は紙袋ごとそれを自室の中に入れると、隣のハンジさんの部屋をノックした。努めて平静を装い、声を出す。

「ナマエです。ハンジさん、遅い時間にすみません」
「んー? どうしたのナマエ」

ハンジさんはすぐにドアを開けてくれた。

「ハンジさん、起きてらっしゃったんですね、良かった」

とにこりと微笑んでみせる。

「うん、本読んでたんだけど、この本! 見てよー巨人の項についての見解がね、既存の物とは違」
「あっそーなんですね、お邪魔してすみませんでしたあ〜」
「えっ!? ちょっとナマエ!? なに、話聞いてくれるんじゃないの〜!?」

ハンジさんの解説が長くなりそうだったのでぶった切り、笑顔を貼り付けたままハンジさんの部屋のドアを無理やり閉めた。



自室に戻り、紙袋の中の酒瓶を取り出す。もう酔いはすっかり醒めてしまった。
頭を回せ。

もし、ハンジさんがこの酒をプレゼントしてくれるつもりで私の部屋のドアに掛けたのだとしたら、必ず今のタイミングで一声かけるだろう。
リヴァイ兵長においては今の今まで一緒だったのだ。

だいたいこのカードの文章、ハンジさんやリヴァイ兵長が使う文体ではない。
それに二人がカードを書くなら、タイプライターを使わず直筆だろう。タイプライターなんて持っているとは思えない。つまりハンジさんでも兵長でもない。

じゃあ、誰だ? 
私がこの酒が好きなのを知っているのは誰だ? 

背中に冷たい物が流れた。
情報収集が得意な私が言うのも変だが、自分の情報が知らないうちに外に漏れているというのは、気分の良いものではない。
誰かこの部屋に入った? 戸棚の中を見られた? 

考え過ぎかもしれない……例えば、この酒を買い込んでいるところを、店や、もしくは兵舎へ帰ってくる時に誰かに見られていて、ただただ好意でプレゼントしてくれたとか。
プレゼントに名前を記すのも恥ずかしいとか、もしくは記し忘れた粗忽者か。可能性はゼロではない。
ただ、先ほどの視線の件もあり、あまりポジティブには考えられなかった。

私は部屋のドアを開け放し、窓も開けた。何かあってもすぐに逃げ出せるように。
その上で、部屋の中の人が隠れられそうなスペースを一つ一つ調べていった。
クローゼットの中。ベッドの下。鏡台の下。ソファの下。
幸い……なのだろう。誰もいなかった。
戸棚を見る。誰かがここを開けた形跡は見つけられなかった。

窓とドアを閉め、戸棚の中の酒瓶を全部ごみ袋に入れた。
戸棚の中の酒瓶を処分するのは、万が一にもこの酒瓶に細工されていたら、と思ったからだ。
ここまで気にすることはないのかもしれないが、頭の中で警鐘が止まらないのだ。
プレゼントされた方の酒瓶は、気持ち悪いが取っておくことにした。何かあった時に証拠が残っていないのも困る。何もなければ、それでいい。
その日は、ベッドに入ってもなかなか眠りにつけなかった。



* * *



翌朝。
寝不足のせいか痛みを感じる頭を押さえながら食堂のテーブルにつくと、隣にハンジさんがやってきた。

「ナマエ、おはよう! 昨日はなんだったの〜? 突然部屋に来たと思ったらすぐ帰っちゃうから」
「おはようございます……。いや、巨人話が始まりそうだったんで、ずらかっただけです……」
「えーっもうひどいんだからー」

頭がズキズキする。後で頭痛薬でももらいに行こうか。

「なに、具合悪いの? 顔色良くないね……」
「ええ……ちょっと寝不足で……」

全然食欲がなく、スプーンはスープをつつくだけだ。

「あの……ハンジさん、ハンジさんって私が好きなお酒の銘柄ご存知ですよね?」
「うん、いつも飲んでる果実酒でしょ? 小さい瓶の。それがどうしたの?」
「それって誰か他の人に話したりしたことありますか?」
「えっ? 急にどうしたの? 多分ないけど」
「ですよね……」

昨夜ドアにかかっていた酒のこと、言ってみようか……。
いや、言わないほうがいいだろう。まだ何かがあったわけじゃないし、全て私の勘違いかもしれない。
誰かが私の部屋に忍び込んで戸棚の中を見ているかも、更にそれを知らしめるために、わざわざ酒瓶を置いてったのかも、なんて……。
結局食事はほとんど喉を通らず、ほぼ全部残してしまった。ハンジさんは心配して「後でパンだけでも」と給仕のおばさんに頼んで、パンを紙袋に入れて持たせてくれた。



訓練前に、頭痛薬をもらいに医務室に寄ることにした。
人気のない廊下を一人で歩いていると――視線を感じた。

昨日も感じたもの……? 
バッと後ろを振り返っても、誰もいない。辺りを見回しても人影らしいものは見つけられない。
これは勘違いじゃない……誰かに見られている。

この見た目のせいで、興味関心を人から持たれることには慣れているが、なんだかそれとは種類が違うように思う。

「……誰かいるの?」

呼びかけるように声を出してみたが、廊下はシンと静まり返ったままだ。
さすがに気味悪くなって、両手を固く握ったまま、医務室まで早足で向かった。



それからというもの、同じような視線を時々感じるようになった。
姿が見えない相手だから気持ち悪いが、抗議することもできない。それに見られているだけのようで、何か直接の害があるわけではなかった。
ドアのところに酒瓶が置かれていたのは前回の一件だけで、あれからは一度もない。具体的な被害がない以上、どこにも申し入れできないし、申し入れたところで心配をかけるだけだ。
私は、一先ず自室と執務室の施錠を徹底することにして、その視線については無視すると決めた。






   

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