第二十六章 溺れる 2





03




病院から兵舎に戻った私とハンジさんはそのまま団長室へ直行し、診察結果の報告をする。
予想通りだが、エルヴィン団長からは休暇が指示された。

「当面一週間、ということにしよう。病状によっては、延長させる可能性ももちろんある。
ナマエ、君の状態を見ながら柔軟に対応していこう」

エルヴィン団長はそう言って笑顔を私に向けた。
当然だが、団長は良かれと思ってそう言ってくれている。

私は返事をしなかった。もちろん返事をする声は出ないのだが、そうではなくて、不服だった。

休みだって? 一週間も?
皆がマリア奪還に向けて忙しく働いている時に、自分だけ休むなど――これじゃ戦力外通告をされたようじゃないか。
いや、実際戦力外なのだ。口の利けない兵士など戦力外そのものだ。
屈辱であり、不安でもあった。
――私はもう兵士ではいられない?

「ナマエ?」

休暇の指示に応答しない私に、エルヴィン団長が問いかける。
私は慌てて頷き、了承の意を示した。



エルヴィン団長の休みの指示には、従うつもりは毛頭なかった。団長室では頷いて了承の意を示したが、あれは表面上のものである。
私はその晩、執務室に籠っていた。ランプを灯し机に向かい、ガリガリと書類仕事を進める。

まともに考えたとしよう。
仕事などしていないでゆっくり休めば病状も早く回復するかもしれない、今はそれに努めようと、そう思えるだろう。
だがこの時の私の思考はまともじゃなかった。
なんとか、自分の存在意義を示さなければいけない。でないと兵団にいられなくなる。

食い扶持を心配しているわけじゃない。
仕事を選ばなければ、自分一人が食べていくくらいの生活はきっとできるだろう。

でも、私の生は兵士であることに意味があるのだ。
今まで兵士として戦い、兵士として生きてきた。
人類に、団長に、心臓を捧げ、この身は人類の為に、自由の為にと――そう思ってきた。
そのためなら何でもできた。実際何でもしたのだ、私は。

何より、兵士でいられないならあの人の傍にもいれない。
もう姿を見ることさえできなくなる。声も聞けなくなり、廊下ですれ違うことすら叶わなくなる。
きっと、壁から出たり入ったりする際の調査兵団の行列を遠目に見ることぐらいしできなくなるのだろう、市井の人々と同じように。

耐えられない。
あの人の姿を追うことさえできなくなるなんて。
この目にあの姿を映すことができなくなるなんて。

私は机上で一心不乱に仕事した。
何か、何か口の利けない私でも役に立つと――何か示さなければいけない。

でないと兵士でいられない。
ここにいられない。



 * * *



戴冠式が終わって、王都から兵舎に戻ってきてからというもの、ろくにナマエと顔を合わせていない。
互いに避けているのだろう。少なくとも俺は避けていた。
合わせる顔がなかった。
顔を合わせて、あいつから軽蔑や侮蔑を受けるのが怖かったのだ。

あいつは何事もなかったかのように、ハンジと食事を取り、訓練に励んでいるようだった。
あまりのナマエの気丈さに、ナマエを組み敷き乱暴をしたことは全て俺の妄想で、本当は何もなかったのではないか、そう思い込みそうだった。
しかし、ナマエの着ている服がそれを許さなかった。
顎下まで高さのあるタートルネック。あんな季節外れの服を着て。
俺がナマエにつけた傷を隠しているのだろう。あの服を見るたびに罪悪感で潰れそうになる。



廊下でナマエとダミアンを見つけた俺はつい隠れてしまった。
情けないが、顔を出す勇気がない。あいつらがいなくなるまでしばらくやりすごそう、そう思い物陰に潜んだままでいる。

「ナマエ分隊長、一人で大丈夫ですか? お供しなくてよろしいですか?」

ダミアンの声だ。ナマエはどこかへ行くのだろうか。

「じゃあ分隊長、行ってらっしゃいませ。訓練は俺に任せてください」

ダミアンの声が続く。

あいつやエーリヒ、カールはナマエにベッタリだな。
いい部下なのだろうが……何というか、忠犬だ。
少し嫉妬を覚え――いや、俺には嫉妬をする権利もない。
はあ、と自虐的に溜息をついた。

ふと、違和感を覚えた。

ナマエはダミアンに返事をしたか? さっきからナマエの声だけが全く聞こえない。
ダミアンの声ははっきりと聞こえているのに。

「お気をつけて。病院が終わったら、少し街を散策されてはいかがですか?
せっかくの休暇なんですから。少しリフレッシュして来てください」

病院? 休暇? なんのことだ?

相変わらずナマエの声は聞こえない。
そのうちにコツコツと廊下を歩く音がし、少し遅れてもう一つコツコツと廊下を歩く音がした。二人とも去っていったようだ。

どういうことだ。
言い知れぬ不安を感じ、俺はハンジの執務室へ向かった。

「おい、ハンジ」

ハンジの執務室を開けると、そこにはハンジだけじゃなくモブリットもいた。
ナマエの「病院」やら「休暇」やらが、モブリットに聞かせて良いものかどうかわからない。

「ちょっと来い」
「ちょっと! 何? リヴァイ?」

俺はハンジの腕を掴んで連れ出した。
自身の執務室までハンジを引っ張り込み、中に押し込める。

ナマエが何か良くない状況に陥っている。
もちろん、自分のしたことでナマエが傷ついているのはわかっているが、その後に更に状況が悪化しているのではないか。そんな気がしてならない。きっとハンジなら知っている。

「ナマエ……どうかしたのか?」
「……」

ハンジは俺を一瞥して冷たい声で言った。

「自分で聞けば?」

俺は堪らずハンジの両肩を掴んだ。

「それができないから聞いている! 頼む、教えろ!」

ハンジははあ、とため息をつき、口を開いた。

「ナマエ、声が出なくなった。失声症だって。心因性の」

……は? 声が出ない?
さっきの廊下での会話、ダミアンの声しかしなかったのはそういうことか。

「リヴァイも見たことあるだろ? 過去に、壁外調査から帰還した団員で声が出なくなった子達がいたじゃないか。あれと同じだそうだよ。
原因は心理的ショックと過度のストレス」

顔からさーっと血の気が引くのがわかった。

「……お……」

俺のせいじゃねえか。
声にならなかった俺の言葉を察して、ハンジが続けた。

「まあ……リヴァイにされたことだけが原因とは限らないけどね。人間の感じるストレスなんて複合的な物だし……ここ数か月の私達を取り巻く環境で、ストレスを感じるなってほうが難しいでしょ」

俺は声も出ず、立ち尽くしていた。

「とりあえず、ナマエには一週間の休養がエルヴィンから指示されている。
一週間で終わるかどうかは未定だけどね。
今日から毎日病院へ通って発声練習をするらしいよ。まあ発声練習なんかより、原因となったストレスを解消させることが治療には一番らしいけど」

ハンジはそう言って俺の肩にポンと片手を置き、ドアへ向かって歩みを進める。
ドアを開けて執務室を出る際、こちらを見て言った。

「ちゃんと向き合えば? 逃げてばかりじゃ、ナマエが可哀そうだ。
あの子が今どんな気持ちでいるかなんて、きちんと向かい合わなければわからないだろ」

バタンとドアが閉まり、ハンジは出て行った。
辛辣な声色に、俺はただ黙るしかなかった。



ナマエに謝らなければいけない。
俺の顔など見たくもないだろうが……せめて、謝罪の意を伝えなければいけない。
自分のした行いのせいで、ナマエが声を失っているなど、思いもしなかった。
俺ができる最大限の償いをしなければいけない。そして、お前の声が一日でも早く戻るよう尽力しなければいけない。

何度でも謝る。お前が望むことは何でも叶えてやる。
だから、どうか声を戻してくれ。



夜、俺は意を決してナマエの居室をノックした。
今までさんざん逃げ回っていたから、ひどく勇気が要る。
しかしナマエは、いくら待っても出てこなかった。ドアノブをゆっくり回してみるが、鍵もかかっている。
寝ているのかと思ったが、まだ寝るには早い時間だ。それに、室内から全く人の気配がない。
留守なのだろうか。顔を合わせなかったことにほんの少しほっとしながらも、早く謝罪しなければという気持ちが急く。

休暇ということだったから居室へ来たが、あいつのことだからもしかして仕事をしているかもしれない。
そう思い、執務室に向かいこちらもノックしたが、やはりナマエは出なかった。

ドアノブを回すと今度は鍵がかかっていなかった。
だが、中は灯りがついておらず真っ暗だ。俺は灯りに火を灯し、部屋を見渡す。

「……ナマエ? いるのか?」

誰もいない室内にゆっくりと足を進める。
ナマエの机上は綺麗に整頓されていた。書類が積まれていることもなく、仕事は全て終わっているように見える。

「ナマエ……?」

居室にいない。執務室にもいない。あとは……。
俺は兵舎内でナマエを探したが、ふと思い立ったのは厩舎だ。

今人間と話せないナマエは、もしかして愛馬に会いに行っているのではと思ったのだ。
寂しくて愛馬に会いたくなるのは良くあることだし、馬なら声が出せなくても触れ合うことでコミュニケーションを図れる。
俺はランプを灯し屋外の厩舎へ向かった。

「ナマエ? ここにいるのか?」

声をかけながら厩舎の中を進むが、人の気配はない。
ナマエの愛馬が繋いである場所を目指して歩みを進める。

「……!」

ナマエの愛馬が繋がれているはずの所まで辿り着くと、そこに馬の姿はなかった。
つまりナマエは馬に乗ってどこかへ行ったということだ。

以前にも、夜ナマエが突然外出したことがあった。
あの時は確か、かなり遠い森の入口に――。

俺は自身の愛馬に駆け寄り、跨った。背をさすり声をかける。

「夜に悪いな、ナマエを探したい。手伝ってくれ」

優秀な愛馬はブルルンと声を出し、頷くようなしぐさを見せた。
俺は月明かりの下、ナマエを追って馬を走らせた。




   

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