第二十六章 溺れる 2





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ナマエが部屋から出て行って部屋に一人になった俺は、後悔の渦の中にいた。
嫉妬に駆られて、絶対にしてはいけないことをしてしまった。取り返しのつかないことだ。

俺と付き合う前の話だが、ナマエは男に凌辱されたことがある。
その時の傷つき方を直接見た俺は、ナマエにもう二度とこんな思いはさせたくないと思ったはずだ。
それが、まさか自分がナマエに乱暴してしまうとは。

付き合ってからの三年間、ナマエと身体を重ねた回数は数えきれない。
三年も一緒にいれば、いわゆる一般的な進め方では少し物足りない、と思ったことはゼロではない。
例えば拘束とか、目隠しとか。信頼のおける恋仲同士が、同意の上でそういう行為をする場合もあることはもちろん知っている。

だが、今まで俺は絶対にアブノーマルな行為をしてこなかった。そんなことをして、ナマエに過去を思い出させるようなことがあってはいけないと思っていた。
それが、両手を拘束した上に、ろくに愛撫もせず、噛みつき、突っ込み、ただただ乱暴に犯した。あいつが拒否せず、痛みに耐えているのをいいことに。

ナマエが覚悟の上で、俺の狂気をすべて受け入れようとしていたことはわかっている。
あいつは、拒否の言葉と痛みを訴える言葉を決して口にしなかった。
だが、行為の最中あいつが我慢できず流していた涙は、快楽のものではなく痛みに耐えている涙だった。
最後俺が果てる前には、自身の中に射精されることも承知の上だった。事実、俺は直前までそうするつもりだったのだ、ナマエの了解もなく。

ナマエを、俺のものとして征服したかった。
あいつの全て覚悟した顔を見て、ギリギリのところで思いとどまれたのだ。

自分自身に反吐が出る。
一番大事なものをこの手で壊した。

人間は物じゃない。壊したらなんでもかんでも直せるわけじゃない。
直らなかった時の取り返しがつかないのだ。俺はもう取り返しのつかないことをしてしまったのだろう。

その晩は一睡もできず、夜が明けた。



朝、兵舎へ戻るため宿前から馬車へ乗る。俺は時間ギリギリにのろのろと集合場所へ向かった。

もう既に出発する人員はほぼ揃っているようだった。おはようございます、と挨拶する部下達にああ、と手を上げて返事をする。
エルヴィンは俺の姿を認めると、昨夜の出来事などまるで意に介さないように、通常通りに声を出した。

「リヴァイ、来たな。ではそれぞれ馬車に乗車しろ」

そのあまりに通常営業な姿も癇に障ったが、八つ当たりだ。エルヴィンだって悪くない。

エルヴィンの指示で各々馬車に乗り始めたが、俺はナマエの姿が見えないことに気が付いた。思わず周りを見渡す。

「ナマエならいないよ」

後ろからハンジが静かに言った。

「……」

俺はハンジを見たが、すぐに目を背け、エルヴィンと一緒の馬車に乗り込もうとした。するとハンジは俺の腕を強く引く。

「リヴァイはこっち。今日は私と一緒の馬車に乗ってもらう」

そう言うハンジの声は明るいが、目は笑っていなかった。



馬車の中で俺はコートのポケットに手を入れたまま下を向き、ハンジと目を合わせなかった。

「食べる?」

俺が朝食を食べてないことに気づいているのだろう。ハンジが軽食を手渡してきたが、無視をする。

「食欲ないって?」

ハンジは軽食を引っ込め、自分の鞄につっこんだ。

「ナマエなら、昨日の深夜に馬車を呼んで先に兵舎に返したよ」

俺は俯いたまま、目線だけギロリとハンジの方に向ける。

「びっくりしたよ、ナマエの姿を見て」

あっけらかんとした口調でハンジは続けた。

「多分ナマエ、あの姿のままじゃ人前に出れないと思ったんだろうね。首の周りは歯形だらけ、出血もしてるし、とどめは首を絞めた痕! あれはまずいよね。
私の部屋にこっそりやってきて、助けてくれって言ってね。慌てて城に戻って布っきれを探したよ。ストールのかわりになりそうな物をなんとか見つけてさ。
リヴァイの頭が冷えてるかどうかわからなかったから、もう先に兵舎に返した。どちらにしろあんな変な布巻いてたら部下は怪しむと思ったし」

ペラペラと喋るハンジに対し、俺は一言も発さなかった。

「まあ、エレンにしろエルヴィンにしろ、うちの団には獣が多いと思ってたけど……あなたまで獣だったとはね」
「……まどろっこしい言い方するな、言いたいことははっきり言え」

明るい口調を続けるハンジに、俺はとうとう耐えきれなくなって低い声を出す。
すると、ハンジは急に声色を変えて怒鳴った。

「どういうつもり!? あんな抱き方するんだったら、もうナマエに触れるな!」

――尤もすぎて言葉もない。

ハンジだってナマエのことを大切に思っているのだ。
大切な後輩であり友人だ。

「ナマエが他の男と寝たことに腹を立てているのか? ナマエが心から望んでそんなことするわけがないって、わかっているだろ!?
ナマエは情報を得るために一つの選択肢を選んだまでだ、それも恐らく一番確実に情報を得られる選択肢を。
事実、あの報告書がなかったら、私達はあの礼拝堂にたどり着けたか!? エレンとヒストリアを奪還できたか!? 隠し扉にだって気づかなかったかもしれない。
ナマエが自分を殺して得たのは、そういう情報だ!!」

ハンジはそこまで一気に怒鳴り散らすと、ふうとため息をついて腕と足を組んだ。
耳が痛い。

「そもそも、この政変で私達がやったこと……わかっているだろ? 中央憲兵を拷問して殺して……他人の命を奪わなかった分、ナマエの方がまだ良心があるかもしれない」
「んなことはわかってんだよ!!」

俺を責める言葉に耐えられなくなって、途中で口を挟んだ。

自身を責める言葉が耐えられないのは、自覚があるからだ。ハンジの言っていることは全て正しい。

「……あいつが悪くないのはわかっている。ただの嫉妬だ。
あいつが俺以外の男に身体を開いたという事実を認めたくなかっただけだ。
絶対にしてはいけねえことをしたのも、わかっている」

だからもう、言ってくれるな。自分の犯した罪の重さで潰されそうだ。

「もう……許してはもらえねえだろうな。俺の顔なんて見たくもないだろう」

俺は窓の外を見やりながら言った。兵舎に着くのが憂鬱だった。

「……それは知らないけどさ……」

ハンジも窓を見やって、乾いた声でぽつりと呟いた。



 * * *



戴冠式に出席した他の団員より一足早く兵舎に帰った私は、自分の部屋についてすぐ、ベッドに倒れ込んだ。

疲れていた。
兵長の言うとおり、彼を避けるために仕事も詰め込んでいたし、昨日ウッツさんに会い精神的にもかなり疲れた。更に兵長に荒々しく抱かれ、身体も痛い。何より、何も考えたくなかった。
ハンジさんの用意してくれたストール代わりの布をしゅると首から取り、そのまま床に投げ捨てる。ジャケットもだ。
私は倒れ込んだその姿勢のまま、深い深い眠りについた。



夢も見なかった。多分泥のように眠っていたのだと思う。
かなり深く眠っていたのだろう、目が覚めた時にはすっきりと頭が冴えていたが、すぐに今が何日の何時かわからなくなって慌てる。
時計を見ると四時。窓の外を確認するとまだ日が昇る前だった。朝の四時。
確か兵舎に着いたのが朝方五時くらいだったから、日付は次の日だ。

私は丸々二十四時間近くも眠っていたということか。そりゃ頭もすっきりするはずだ。
訓練! 仕事! と思い焦ったが、昨日は調整日だったことを思い出した。



王都で起こった事を思い出し、憂鬱な気分になる。
しかし、戴冠式も終わった、調整日も終わった。今日からはまた通常通りの訓練と業務がある。
これからウォール・マリア奪還のため準備を進めなければいけない。やることは山積みだ。
王都に一週間も籠りっきりだったから、私の机上には書類が積み上げられているはずだ。今日の日中は訓練を見ることになっているから、夜書類仕事を片付けようか……そんな風に一日の予定を頭の中で立てていく。

仕事があって、良かった。忙しくして目の前の仕事をこなすことに集中していれば、時は流れる。

リヴァイ兵長はきっと、もう私のことを見るのも嫌だろう。仕方ない、変えられないことだ。
せめて私は、兵士として、部下として、役目を全うしよう。
彼の隣を一緒に歩くことはできなくなったけれど、少しだけ離れたところから、できるだけお助けしよう。
面倒くさい業務や汚れ仕事はできるかぎり私が引き受けよう。彼が迷いなく刃を振るえるように。
泣いてはいられない。今、私達が果たすべき兵士としての役割を投げちゃだめだ。
人類が瀬戸際に立たされているのは変わらないのだから。
そうなんとか自分を奮い立たせた。




   

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