帝都から少々離れた場所に位置する野。恵まれた気候や様々な種が生息している事もあり、そこには珍しい植物が数々群生している。
エステルが目的としているのは、その珍しい植物の内の一つである。紫草という、白い花をつける植物なのだが、古来からその太い根を使い、紫色の染料として利用しているのだ。珍しかったその植物を、昔は皇室が管理し、栽培していた。此処はその野なのである。
しかし、星喰みを消し去り、結界魔導器(シルトブラスティア)がなくなった今ではこの様な野の管理よりも重要なことが増え、人手不足から放置に近い物となってしまっていた。結界がなくなる前から、皇室は殆ど管理を手放しており、気紛れでたまに護衛を伴った学者が様子を見に来ていた程度なのだ。放置されても仕方がないのかもしれない。
昔は一年で決められた日にこの野を訪れ薬狩をしていたらしいが、それも廃れて今では薬狩を知っている者も少ない。しかし今、皇族であるエステル、そして同じく皇族であり、現皇帝であるヨーデルが護衛と共にこの野を訪れている。
この野を久方振りに訪れた学者が、新種の薬草を発見したというのだ。精霊が生まれた環境の変化が原因なのかもしれない。他にも、その野の変化がその学者から次々と寄せられた。
新種の植物、虫達、そして古来よりその野に生息する紫草。
――見てみたいです。
周知の事実でエステルは好奇心旺盛である。それは副帝になってからも変わっていない。
皇室が管理していた野。もしかしたら満月の子もその野に行ったのかもしれない。先祖が大切にしていた野。行ってみたい。
そのことをちょっとした雑談としてヨーデルに溢した。そしたらヨーデルは予想外の事を言ったのだ。
――なら、行ってみましょうか。
ちょっとした思いで行っただけで、実際は行くとは思っていなかった。もし行くとしてもまさかヨーデルも一緒に行くと言うとは思ってなかったのだ。
薬狩をしていた記録がある日付が近かった事もあったのかもしれない。ヨーデルはその日に護衛をお願いして、みんなで行こうと提案してきたのだ。
エステルは一も二もなく頷いた。ここ数か月皇族としての仕事に追われていたのだ。それが自分の役割であり、使命感に近い感情を持っているが、たまに息抜きをしたのくなるのも本当で。一日だけ、その野を訪れる事にした。ちょっとしたピクニックである。
結界がなくなり、魔物を退ける力がなくなったとしても帝都の周りの魔物はそこまで強くはない。エステルだって戦えるし、何より心強い仲間がいるのだ。
「へー、此処がその野か。何にもないな」
「何を言っている、ユーリ。素晴らしい野じゃないか」
後ろで話をしている護衛はユーリとフレンである。
ヨーデルが今日のために護衛を頼んだのは騎士団とギルド『凛々の明星』だった。騎士団からはフレン隊やシュバーン隊の面々。騎士団長であるフレンがいるのは、明らかにヨーデルが何か言ったからだ。彼は本気で今日一日ゆっくりとする気らしい。
フレン達も凛々の明星も、どちらも気心が知れた仲である。皆が揃うのは久し振りだし、自然と笑顔が零れる。
「エステル、どうした?」
ユーリが一人で笑っているエステルを不思議がっている。でも、何で笑っているのかは秘密だ。そう言えば、彼はさらに首を傾げるのだ。
「エステル。あれ、紫草じゃない?」
「え、あ、そうです!本にあったのと同じです」
リタ指差す白い花を見れば、本に描かれていた物と一致した。本で予想していた物よりも少々大きく、これも環境の変化によって起きた物かもしれない。
「ふふ、可愛いですね」
その後は各自思い思いに過ごした。ユーリは日差しで昼寝をし始め、フレンはそれを叱っている。ユーリの隣ではいつもの様にラピードが寝ている。カロルは近くに流れている川で遊んでおり、ジュディスはそれを眺めている。レイヴンは騎士団の人と話をしていて、ヨーデルは木陰で本を読んでいる。
リタとエステルは二人で紫草を摘んでいた。嘗て、エステルの先祖も誰かと一緒に紫草を摘んだのだ。
「この花の根を染料にねぇ。これを昔は皇族が摘んだの?」
「はい。この薬狩に関する書物が幾つか残っていて、それを読んだことはありますが、私は歌が一番好きです」
「歌?」
「はい」
エステルは摘んだ紫草を手にその歌を思い出した。
「皇族に嫁いだ姫が詠んだ歌なんですけど、それが――」
ふと顔を上げると、遠くでフレンに言われて漸く起き上がったユーリと目があった。彼もエステルに気が付き、手を振ってくる。
――――あ。
薬狩に来た野で、ユーリが手を振っている。自分に。
エステルは一瞬で自分の顔が赤くなるのを感じた。
「エステル?」
リタが急に赤くなったエステルを不思議がり、振り返ってエステルの目線の先を見ようとする。
「だ、ダメです!」
エステルはそれを全力で止めた。止めてもリタの疑問を買うだけだろう。それでも、止めずにはいられなかった。
ユーリはただいつも通り手を振っただけだ。大きな意味はない。それでも、つい考えてしまった。
薬狩に来た野で、貴方は私に手を振った。誰かが見ているかもしれないのに。
エステルは赤くなるのを止められなかった。
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――あかねさす 紫草野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る
万葉集第一巻二〇の、額田王の歌です。
意味は、紫野(禁園)標野(紫野と同意)を行ったり来たり、野守が見るでしょうか、貴方が(私に)袖をお振りになるのを、見たいな。
この袖を振っている「君」が額田王の元夫である大海人皇子(短編ではユーリ)で、見ている「野守」が現夫である天智天皇(短編ではヨーデルとかその辺りイメージ)であるっていう説があります。
昔は「袖を振る」っていう行為は愛情を表す行為で、他にも相手の魂を呼び寄せるとか凄い意味があったそうです。
だから、この「君」がしていることは本当は凄い行為。
まぁ、実際この歌は相聞(恋の歌)じゃなくて雑歌(公の場で詠われた歌)みたいなのですが。だから額田王と大海人皇子は好意は持っていても恋愛じゃなかっただろう、ってな話。
言いたいのは、袖を振るってのは愛情を示すこと。
ユーリが歌で詠われたみたいに薬狩の時にエステルに手を振るもんだから……みたいな。
補足がめっちゃ必要になる話になりましたね。歌は調べてみると面白い事があります。面倒だけど←
レジュメに疲れて書いてたらこんなに長く……。
初めてのTOXでした。
20120514
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