第四章 第二話     50/115
 



綱吉はゆっくりと振り返る。そこには、男が一人立っていた。
女物と思われる派手な着物を着ていて、左手には煙管を持っている。左目は怪我でもしているのか、包帯をしていて隠れてしまっている。そして、唯一見える右目には、暗い光が宿っていた。

「……え?」

感じる既視感。自分は彼を知っている。そう思った。
しかし、この世界に来てもうじき一ヶ月ほどの綱吉が、彼に会っていたら覚えているはずだ。そして、何処かで会ったという記憶は、綱吉にはない。
綱吉には、ない。

「あの、何処かで会いましたか?」
「いや、『お前』とは初対面だな」
「そうですか…」
「何でだ?」
「何だか…知っている気がして…」
「ククク…そうか」

隻眼の男は煙管を吸う。その姿は絵になっていた。
何人か居たはずの通行人は、今は見られなかった。此処にいるのは自分達だけのような錯覚が起きる。
男は花屋の前に来て綱吉の隣に並んだ。彼は何が面白いのか、薄く笑っている。
いつもの綱吉なら、すぐにこの場から離れて、この男から逃げようとするかもしれない。男の持つ空気はその類の物だった。しかし、何故か綱吉は恐怖を感じなかった。
不思議と、この男に会えたのが必然のように思えた。

「花を買いに来たンですか?」
「いや…だが、買っていっても良いかもな。見舞いの品だ」
「誰か入院したンですか?」
「乗っていたヘリが墜落したそうだ」
「大変じゃないですか!?その人大丈夫ですか!?」
「ククク…ピンピンしてるぜ。仕事はやったしな」

男は店先にあった花を一輪手に取り、店員を呼んだ。すぐに中からエプロンを付けている者が出てきて、男はその花を渡す。店員はそれを受け取り、再び店の中に戻っていった。

「で?お前は何をやってンだ?」
「少し、見ていただけです」
「興味もない花を?」
「…興味がないってどうして分かるンですか?」
「何だ、あるのか?」
「…ないですけど」
「ほれ見ろ」

男はまた笑う。
馬鹿にされていると分かっていても、綱吉には怒る気にはなれなかった。この男に、何故だか本気で怒る気にはなれなかった。
何処かで、男をまるで知っている子供のように感じていた。

「…あの、子供が居たりします?」
「残念だが、俺は独り身だな」
「ですよね…」

たとえこの男に子供が居たとしても、その子供と綱吉が会っているとは思えない。
だが、既視感は消えない。

「おら、質問に答えろ」
「人を待ってるンですよ。ちょっと仕事で、今近くの喫茶店に行ってるンです」
「ククク…そうか」
「貴方は?」
「お前は質問ばかりだな」
「あ…そう言えば、そうですね」
「俺は…そうだな…人に、会いに来た、か?」
「いや、何で疑問形なんですか?」

男はそれには答えなかった。再び煙管を吸い、紫煙を吐く。

「会ったことがあるか。何をしに来たか。ガキはいるか」
「え?」
「お前は三つ俺に質問をした。俺は何をしているかだけ。つまり、俺はあと二回、お前に質問できるってことだ」
「いつのまにそんなルールに…」
「そうだな…」

男は右手を顎にやり、思案し始めるが、考えつく前に先ほど男が渡した花が包装されて来た。男が花の代金を渡すと、店員は店の中に戻っていく。
客に挨拶もしないとは、接客態度が悪いのは綱吉にも分かったが、男はそのようなこと歯牙にも掛けない。
そして、そのまま花の先を綱吉に向けた。

「この花」
「え?」
「この花の色、何に見える?」

その花は、鮮やかな紅だった。しかし、男は何色に見えるかを訊いているのではない。『何の』紅に見えるかを訊いているのだ。
紅い物など、この世にはたくさんある。林檎、ポスト、夕日…。数えたらきりがない。
しかし、その花は。男が持っている紅は。

「……炎」

それは、男の手の中で燃え盛っているように見えた。

「炎、ね…やっぱりか」
「え?」
「俺には、血の色に見える」
「…感じ方は人それぞれです」
「ククク…そうだな」

男は花の矛先を綱吉から外し、肩に担ぐように持つ。

「俺はもう帰る」
「…貴方、何しに来たンですか?」
「言っただろ?人に会いに来た」

男は背を向ける。どうやら本当に帰る気らしい。
綱吉は声を掛けるかどうか迷ったが、何と声を掛けるべきなのか分からない。

「あぁ、もう一つ、質問が残っていたな」

男が振り返った。そして、口を開く。

「俺は高杉だ」

男は笑っていた。


「俺の名を、当ててみな」


二人の間に風が吹いた。それは、二人の距離を知らせるかのようだった。

「…名、前」
「そうだ。俺の名だ」
「それ、質問ですか?それに、そんなの…分かるわけがないじゃないですか。初めて会ったのに…」
「『お前』とはな」
「…え?」
「ヒントをやる」
「ヒント…」



「思い出せ」



男は、今度こそ背を向けて歩いていく。その歩みに、迷いはない。

「あっ、待って下さい」
「名前、宿題な」
「宿題って…」
「それじゃ、『また』な」

綱吉は追いかけなかった。いや、追いかけることが出来なかった。手を伸ばしたまま、男の背を見ているだけだ。

今は、追いかける《時》ではない。

男――高杉は、そのあと一度も振り返ることなく、綱吉の前から去っていった。





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