第六章 第三話     110/115
 




自分の手を見る。今日はこの手でケーキを作った。自分自身、甘味が好きで何度も作っているケーキだ。何度も作れば失敗も減り、上達もする。

その手に残っている感触がある。

『なら、行け。太陽はもう昇っている』

死ぬ間際に視た幻だったのか。
今、万事屋にいる少年から連想された彼の姿を思い出しただけだったのか。
己の願望から視た夢だったのか。
何にせよ、やけにはっきりと覚えている。
掴んだ手の感触を。妙に温かかったから困ったものだ。

「……俺は乙女か」

布団にボフンと倒れ込む。
幼少期を共に過ごした桂は彼の事を覚えていて、綱吉に昔話として語っていた。
何故お前は語らないと言われても。
機会がなかった。特に気にしていなかった。訊かれなかった。
違う。どれも違う。なら、何故ジョットについて語らなかったのか。

「んなもん知るかよ……」

隣の布団では綱吉が規則正しい寝息をたてている。子供はよく食べ、よく遊び、よく寝る生き物だ。いい見本が神楽である。綱吉もきっと平時はそうであろう。それが望ましいのだ。子供は子供らしく過ごせ。

「子供らしい少年時代か……」

自分はどうだっただろうか。
まぁ、少なくとも戦場での運命を変える出会いをする前は子供らしくなかった自覚はある。自分が子供だと命の危機を乗り越え体感したのは先生に会ってからだ。
先生。ジョット。彼等は出来た大人だったのだろう。自分のそれまでの経験を血と肉にし、信念を持った大人。

あの人達と話すことはもうないのだ。





新緑の木々の葉を揺らす風の音。汚染から逃れている澄んだ空気。それは少年期に過ごしたあの学舎だった。
学者の近くにある林を進んでいくと、そこには一つの柿の木がある。なかなかに立派な柿の木で、実は大きく瑞々しいものを実らす。

子供達だけで登ってはいけませんよ。誰か大人の目の届く時に採りましょうね。一人で登ると危ないですからね。

そう言われると登りたくなるものが子供という生き物だ。子供は全員天の邪鬼。その筆頭が木に登っていく。
するするする、するするする。銀髪の子供は危なげなく登っていく。近くでは生意気そうな子供と真面目そうな子供が登っている子供を木の下から見上げているだけで、大人の姿はない。遊びたい盛りの子供に言い付けを守らせるのは難しいものである。

あーあ、危ねーよ。

大人となった今から見れば、それは確かに危ない行為なのだと分かる。自分では大丈夫だと思っても、これでは何かあった時に対処が出来ない。

こりゃ、先生も止めるわ。

妙にはっきりとしている夢だが、これは夢だと頭が理解している。これが明晰夢という奴か。
するするすると登っていく銀髪の子供。ああ、下から見るとこんな感じで登っていたのか。この大きくなった身体では、もうあそこまで早くは登れないだろうな。
そして、子供が柿の実を掴む。

ああ、落ちるぞ。

自分がした経験で、今日その時の出来事を思い出したばかりなのだ。焦りも驚きもなく、その光景を見ていた。
足を踏み外し、重力に逆らうことなくあっさりと落ちていく自分(子供時代)を特に大した感情の変化もなく見ていた。
……いや、感情の変化はあったか。何て言ったって、この後に現れるのはあの金髪の居候なのだから。
ぼーと見ている自分の隣を風が走り去る。その時に少しだけ感じた熱。子供の時には見られなかった、両手に炎を灯した姿。アイツはあーやって助けたのか。
危なげなくアイツは銀髪の子供をキャッチ。
予想外の人物に助けられてぽかんとしている子供一人。
友人が木から落ちたと思ったら突然現れた人物がそれを助けて状況が分かっていない子供二人。
困った様に苦笑している大人一人。

『柿、潰れてしまったな』

子供を抱えたままアイツは足下を見る。そこには子供が落として悲惨な目にあった柿の実が一つ。

『松陽は確かに柿が好きだと言っていたが、お前達が元気な方が好きだと思うぞ』

アイツは何でも分かっているみたいに言うのだ。でも、分からないことも多いと知っている。
だが、言わんで良いことをわざわざ言って。魂胆がバレてしまった子供三人は気まずそうにアイツから目を反らして。
アイツは抱えていた子供をゆっくりと地面に降ろしてやった。
これからあの四人で柿を両手いっぱいに採って帰るのだ。銀髪の子供が自分で柿を採りたがり、大人も来たから気兼ねなく採れると言って自分も登った生意気な子供と一緒に。アイツと真面目そうな子供は下で落とされてくる柿を次々とキャッチして。四人での協力作業。それが始まる。
記憶の中の光景は、それだけのはずだった。

風が吹く。清らかな風が。夢の中で。

アイツは、俺を見ていた。銀髪の子供ではない。過去の自分ではない。

『俺』を見ていた。
目が合った。確実に。
そのまま、アイツの口が開く。



『銀時』



夢の中で、ジョットは俺の名を呼んだ。






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