第五章 第二十四話 101/115
『銀時』
声が聴こえた。
『ほら、銀時。起きろ』
懐かしい声だ。
実際に最後に聴いたのは何年も、二十年も前の事なのに、彼奴の声だと分かる。
『全く。大きくなってもだらしない奴だな』
うるせぇ。俺の勝手だろ。
『銀時、銀時。起きろって』
久しぶりに聴いたと思ったら、五月蝿い声だ。
『…………』
身体中が痛いんだよ。
もう何処が痛いのかも分からないくらい、痛いんだよ。
頼むから休ませてくれ。
『……もじゃもじゃ天パ』
「誰がもじゃもじゃ天パだ」
眼を開ける。
前には呆れ顔の男が立っていた。
『これで起きるなよ……お前はガキの頃から変わらないなぁ』
鮮やかな金髪に、優しげな瞳。
普通は似合わないだろうマントなんてものを見事に着こなしてしまっているのは、実はこの男が組織のトップなんてモノだからなのだろうか。
「似合ってたら似合ってたらでムカツクんだがな」
『お前は意味が分からない事を言うなぁ』
「アンタほどじゃないさ」
『それもそうだな』
頷くなよ。本当の事だけどさ。
寝ていた身を起こし、周りを見渡せばあら不思議。
吉原にいたはずなのに、目の前に広がるのは青い空に原っぱだ。鳳仙はいない。晴太やツナの姿もない。いるのは此奴と俺だけだ。
……いやいやいや、何処だよ、此処。どんなイリュージョンだよ。
「……川は何処だ、川」
『三途の川じゃないぞ』
「違うのかよ」
『残念ながら違うな』
そう言って何が楽しいのか知らんが男は笑う。
いや、男なんて言い方はちょっと違和感がある。
だって俺は此奴の名を知っている。
「アンタがいるもんだからてっきりあの世かと思ってな。ジョット」
男は――ジョットは嬉しそうに笑った。
昔と変わらない笑みだった。
『現実じゃないって点では合っているがな』
そう言ってジョットは俺の頭をがしがしとかき撫でる。
痛ェよ、馬鹿。子供扱いしてんじゃねェよ、馬鹿。
『それにしても、大きくなったな』
「……当たり前だ。何年経ったと思ってやがる」
『そうだな。本当に、此方の世界でも長い時が過ぎ去った』
「何でアンタ俺のガキの頃と見た目変わってないんだよ」
『俺だから、だ』
答えになっていない回答を返し、ジョットは俺の頭から手を離してその場に屈んだ。
屈んだジョットと座り込んでいる俺。目線が同じくらいの高さになる。
本当にあるように感じるジョットの顔。
はっきりと聴こえるジョットの声。
良くできた夢でこって。
『夢じゃないぞ』
「人の心を読んでんじゃねぇ」
久々の体験に青筋が浮かぶのを感じる。
『お前は分かりやすいんだよ』
「うるせぇ」
そんな事言っても、じとりと睨むのを止めばしないぞ。
「夢じゃないって……どういう事だよ」
『あっ、夢のようでもある』
「……は?」
『説明するのは難しいな。簡単に言うと、精神世界的な?』
俺は頭痛がした気がして、頭を押さえた。
「……やっぱり此所はあの世だ」
『だから違うって』
「馬鹿が逝くあの世だ」
『確かに銀時は其処には逝きそうだけど、此所は違うって』
それはどういう事だ。俺が馬鹿だと言いたいのか。これでも九九出来るぞ。七の段が怪しいが。
そう言ったら笑われた。
『まぁ、此所が何処だろうとそんな事は問題じゃない』
「いや、結構重要な問題だと思うが」
『俺は約束を果たしに来ただけだ』
「……は?」
ジョットは立ち上がり、座り込んでいる俺に手を伸ばす。
『言っただろう?覚えてないのか?』
『お詫びに――お前を迎えに行くって』
俺は下を向いた。
今、ジョットに顔を見られるわけにはいかない。きっと情けない顔をしている。
「……はっ。何だよ、あの世への道案内でも買って出てくれんのか?」
『いいや。お前が帰るところはあの世じゃないよ』
俺はジョットの手を取った。温かかった。記憶に残る、あの手だ。
『あっちに、待っている者がいるのだろう?』
「ああ」
『護りたい者がいるのだろう?』
「ああ」
ジョットの力を借りて、俺は立ち上がる。
『なら、行け。太陽はもう昇っている』
目の前のジョットが夢だろうが、幻だろうが、幽霊だろうが、構わなかった。
「行ってくる」
目を開けば、其処には青い空も原っぱもない。彼奴もいない。目に映るは護りたい者の姿だ。
礼は言わない。別れの言葉もいらない。でも、あの手に言っておけば良かったかもな。
逢えて嬉しかったよ。馬鹿野郎。
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