第五章 第十四話     91/115
 




「誰かが言ってたなぁ。追い掛けられるよりも、追い掛ける恋がしたいって」

綱吉はそんなことをぽつりと言った。
それを間近で聞いている者は晴太しかいない。だから、それにツッコミを入れるのも晴太しかいない。



「そんなこと言ってる場合じゃねェェェ!」



晴太と綱吉は走っていた。両手を振り、足を必死で動かしての全速力だ。

「待てェェェェェ!!」

それも仕方がない。後ろからは百華が追い掛けてきている。捕まったら晴太は勿論のこと、綱吉だってどうなるか分かった物ではない。

「俺、女の子は笑顔が良いと思うんだ。武器を振り回したり怖い顔して追い掛けたりするよりも、幸せそうに笑うのが一番だと思う。京子ちゃん元気かなぁ」
「ツナ兄!今女の子の好み言う場合じゃない!後ろ見て!明らかにそんな場合じゃない!」

あと京子ちゃんって誰だぁぁぁぁぁ!
春雨に捕まって連れ去られてしまっても晴太は問題ない様だ。これだけ走りながら叫べるのだから心配はいらないだろう。

「あ、晴太君次は左」
「合点承知!」

進行通路の先に左右の分かれ道が見え、綱吉の言葉に従い、彼等は左に曲がる。走って暫くすると後ろから聞こえる足音が増えたことから察するに、どうやら右の通路から他の百華が合流したらしい。もしも右に曲がっていたら挟み撃ちにされて絶体絶命だった。
これで三回目だ。綱吉の言葉に従っているお陰でどうにか逃げられている。彼の『護る』と言うのはこの事だったのだろうか。

晴太は知らなかった。綱吉がどの様な思いで『護る』と言ったのかを。綱吉も、それで良いと思っていた。
この決意は、この覚悟は、知られなくて良い。

先にはまた分かれ道が見える。綱吉は行き先を告げようと口を開いた。

「次……は……」

しかし、綱吉の言葉が止まった。晴太は隣を走る綱吉を見る。今までは今日の夕飯を当てるかの様にすらりと言っていたのに、どうしたのだろうか、と。
その綱吉の顔を見て、晴太は異常を悟った。

「…………!」

綱吉の顔は真っ青だった。まるで、死神が背後に立ったかの様に。

「晴太君伏せて!」

綱吉に腕を掴まれ、そのまま引きずり倒された。ぐえっ、と情けない声を上げてしまうが、勘弁して欲しい。綱吉はいきなり晴太を伏せさせたのだ。

「なっ……」



ドパァ



何すんだ。晴太のその文句の言葉は喉に消えた。

顔を上げようとした時、後ろから聞こえたのは足音ではなく、血が吹き出る音。
目に映ったのは、綱吉が道を示さなかった分かれ道と、ぱらぱらと落ちている数本の自分の髪の毛。
綱吉が晴太を無理矢理にでも倒さなければ、首が飛んでいた。
それを察した瞬間、晴太は背中に悪寒が走った。

「あれ、やっぱり避けられる」

新たに背後から聞こえるのは、一つに減った足音と陽気とも言える声だった。

「……あ、あ……」

その声に晴太は聞き覚えがあった。鳳仙に喧嘩を売っていた者。『団長』だ。あの笑顔を崩さないままに人の死を見る奴が後ろにいる。
ガチガチと身体が正直に震えだした。

「おっかしいなぁ。今のは避けられないだろうと思ったのに」

近付いてくる足音。それはぴちゃぴちゃと水溜まりの上を歩いている様な足音だった。しかし、それは水溜まりではない。今まで自分達を追い掛けていた百華の血だ。鼻には血の臭いが届く。涙を堪えられたのが不思議だった。

「ねぇ、どうして避けられるの?」

『団長』は晴太に話し掛けてはいなかった。晴太は震える身体を叱咤して振り返る。



見えたのは血溜まりに沈む百華の死体ではなく。



にこにこと笑う『団長』ではなく。



自分を護る様に立ち塞がっている『ツナ兄』の背中だった。






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