白色アサリ 彼は指名手配犯 4/5
夜空に月が輝く深夜。一人の男が出ていこうとしている其処は、小さな診療所だ。
大きな病院みたいな最先端の技術を施せる器具はない。この世の宝と言える名医もいない。それでも、それなりに患者は来るし、信用もされている。此処で働いているのは医師一人と手伝い一人だけだから、繁盛しても手が回らなくなるだろう。だからコレくらいで十分だ、と言ったのはその医師本人らしい。
たまに来る「訳ありの患者」から少々多めに金が入ってくるし、その金でたまに贅沢する程度に余裕を持ってやっていく事が出来ている。贅沢も、医師と手伝いの少女二人でちょっと高めの店でご飯を食べたり、世話になっている人に贈り物をしたり。庶民的だが、微笑ましいモノである。
出ていこうとしている男は、この診療所に来る気はなかった。
この診療所で働く医師は、知り合いだ。戦場で命を救われた事もあるし、流れ弾から命を護った事もある。
男の友人の白髪の侍がこの診療所にたまに来ている事は知っている。医師がそれを拒んでいない事も知っている。それでも、男自身が此処に来る気はなかったのだ。
此処の医師は、もう戦場に赴く気はないだろうと、知っていたから。説得しても、自分の言葉では此処の医師の心を変えることは出来ないだろう。荒事に巻き込まれたら白髪の侍を頼れるだろうし、男が来たら寧ろ余計な火の粉が飛びかねない。ならば、来るべきではない。
予想外に此処に運び込まれてしまったが、早く去るに越した事はない。男は、何も言わずに目を覚ました診療所を去ろうとした。
「行くのかい、桂さん」
裏口に手を掛けた男に声を掛けて来たのは、その診療所の医師だった。
「挨拶も何もなく出ていこうとされると、流石に寂しいじゃないか」
「――綱吉殿」
今にも去ろうとしていた男――桂小太郎は、振り返った。
トレードマークになっていた真っ直ぐな黒の長髪は、肩程までに短くなっている。傷だって一日で動けるはずはない、重傷の部類に入る。
それでも桂は行かねばならなかった。
「治療、感謝致す」
「どういたしまして」
「それでは、さら――」
「刀というよりも、生き物みたいだった」
「っ……!」
桂は、医師――沢田綱吉の言葉に、礼の為に下げた頭を勢いよく上げた。
「遠くから目撃したって言う、辻斬りの話だよ。桂さんを斬ったのは、その辻斬り?」
「…………」
「聞かない方が良いかな?」
「……岡田似蔵」
そして、桂は自分の把握している事実だけ口にする。
「鬼兵隊の人斬り似蔵が動いています。高杉の指示かどうかはわかりませんが」
桂はそれ以上、傷について口にしなかった。綱吉にとっても、それは桂の心情を察するには十分だった。
「……そっか」
綱吉はこぶし大よりも少々大きい程度の包を桂に差し出す。中には替えの包帯と痛み止めが入っている。
戦時中でも綱吉は似たような包をよく使用していた。無茶をする者達ばかりだったのだ。言って休む者達ではなかった。桂や銀時、そして、高杉もそれに含まれていた。だから、その包の用途は桂には分かっている。
「……重ね重ね、感謝致す」
桂は大人しくそれを受け取った。これは、これから動いて傷が開く可能性もある自分には必要なものだと理解していた。
「五万ね」
「ぶっ!!」
予想外の綱吉の言葉に桂は動転する。まさか此処で金を要求されるとは思っていなかった。
「つ、綱吉殿!?」
「治療費、裏での匿い料、その救急セット(小)代。全部で五万」
善意だけじゃ医者はやってられないんだよ。
綱吉が良い笑顔で言った言葉は、桂にも理解できる。
指名手配犯をそれと知りながら治療したのだ。役人にバレたら牢屋行き。下手すれば首が胴から離れる。それでも治療するのだから、見返りがなければやっていけない。
桂は素直に払おうと懐を探るが、其処には目当ての財布が入っていなかった。
「……あれ?」
他の場所に仕舞ったかと思い、探ったが目当てのモノは見付からない。
「あ、やっぱりない?」
「ちょ、まっ、確かに此処に入ってるはず……」
「桂さん拾った時にはそれっぽいの周りになかったし、隠しポケットでもあるのかと思ったんだけど。こりゃ、落としたんかね」
綱吉はくだらない嘘をつく様な者ではない。となると、桂は見付けられた時には財布を持っていなかったと考えられる。落としたとすれば、辻斬りに会った時に、だろう。
何という事だ。これでは、治療費が払えない。
「その、只今持ち合わせがなく……」
「ふふっ……」
体が悪くて目線を逸らす桂に、綱吉は笑いをこぼす。何時も無駄に地震に溢れている彼を知っていただけに、金がないと恥ずかしそうに言う彼が珍しいのだ。
「それじゃ、ツケね」
「え」
「次に来た時に持ってきてね」
綱吉は桂の横を通り、診療所の裏口を開けた。
「高杉さんは、アンタが大好きだよ」
「!?」
「銀さんの事も、坂本さんの事も、あの人は大好きだよ。めっちゃ素直じゃないし、この先、斬り合う可能性もあるだろう」
「…………」
「それでも、辻斬りに向かわせるのを、袂を分かつ『始まり』にする人じゃない」
桂は目を閉じて、綱吉の言葉を聞いている。
「もう、何年も会ってないけどね。高杉さんにも、坂本さんにも。それでも、変わらないものがある。それをアンタ達は知っている」
「……はい」
「戦いは嫌いさ。だけど、アンタ達は好きだよ」
綱吉は、何度見送ったか分からない。何度看取ったか分からない。
それでも、大切な人を看取るのは、出来るだけ少なければ良いと思っている。
「桂さん、お大事に……は出来ないか」
「……申し訳ない」
「桂さん」
何度、この言葉を戦場に向かう彼等に送っただろうか。
「武運を祈ります」
「感謝致す」
桂のその言葉が、どの言葉に対する礼なのか。
綱吉はそれを訊くことはなく、桂は診療所を去った。
*****
『あああああのっ!沢田診療所ですか!?急患なんですけど、銀さっ、じゃなくて坂田銀時の、えっと、万事屋銀ちゃんの――』
少年の焦った声の電話が来たのは、その晩の内の事だった。
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