炎焔アサリ 物語開始四年前の師匠     6/9
 



この人の目の前に立つと、背筋が自然と伸びる。緊張して、唾を飲み込む。
初めて会ってから四年が経つが、この人に慣れる兆しは自分には未だに訪れていない。例え稽古でも戦闘準備をしたこの人の前に立ちたくはなかった。この人を推薦したと言う義兄上を恨みさえした。俺には師匠はヴァン師匠だけで良いのに。
今だから分かるが、四年前からこの人は戦闘準備すらしていない状態で目の前に立っている。彼は本来自分が得意とする武器すら持たずに、一般的な木刀を手に持っているだけだった。

「ほら、どうしたんだい?早くかかってきなよ」

自分は実力を付けていっていると、自惚れでもなく分かる。それでもこの人に勝てるイメージを抱けたことはない。
一度、ガイとナタリアとで三人パーティーを組んで、この人と模擬戦を行う訓練をした。前衛二人に、後衛一人。当時のナタリアは慣れないながらもヒールを習得していた。それでも結果は思い出したくもない。
この人が木刀ではなく真剣、或いは愛用武器を持っていたら、何て可能性も考えたくない。その日から三人とも、暫くこの人を見るたびに震えが止まらなかった。

「来ないなら、時間の無駄だ」

この人の夜の様に真っ黒な鋭い眼は、何年経っても怖い。

「咬み殺すよ」

キムラスカ軍の大佐――クラール・アメティスティーノ。
この人は、四年前からルークの二人目の武術指南役である。





キムラスカ・ランバルディア王国の王位継承権第三位を持つ者である、ルーク・フォン・ファブレ。王家に連なる赤い髪を持ち、「聖なる焔」の名を冠する少年。
十歳の時に誘拐されて記憶を失ってから軟禁状態が続き、趣味と言えるのは剣術と日記くらいだ。
記憶を失った最初は歩くことすら出来なかった事を考えれば、現在の剣術の腕は一目置くものがある。邸から出られない故に実戦経験の少なさは否めないが、それでも着実に実力を付けていっている。
身近にレベルの高い戦士がいたのも修行にいい影響を与えた。
城の親衛隊やファブレ家の私兵である白光騎士団に、前線で戦った過去を持つ父。そして何より、神託の盾(オラクル)騎士団に所属しているヴァンと、そこらの兵士や戦士では歯が立たない王族のノイル。
ガイとの切磋琢磨の修行で、何時かは彼等に勝ちたいとの目標を話したのも一度や二度ではない。

ルークの剣術指南をしたのは、何時だってヴァンだった。
他の者は今のルークと記憶を失う前の『ルーク』を比べた。だから嫌だった。それに、そんな奴等よりもヴァンの方が何倍も強かったし教えるのも上手かった。
ノイルも前のルークと比べなかったが、彼は剣術がからっきしである。剣で戦うよりも素手の方が強い。王族らしくないとノイルの父親である王が嘆いているが、本人は素知らぬ顔でそれを流している。その為、模擬戦は出来ても『剣術指南』は出来ない。
自然とルークはヴァンへの尊敬の念を強くしていった。ただ一人、今の自分を見てくれる一番強い剣士の師匠。一人だけの師匠。

それに転機が訪れたのが、四年前。
ルークの狭い世界に、この人はノイルに連れられて現れた。

「よっ!ルーク!」
「兄上!」
「ノイル様!」

ガイとの庭での剣術修行。ヴァン師匠がいない時は彼と修行をするのがルークの日課だ。
ヴァン師匠はダアトにいるから、自然とガイとの修行が多くなる。今日も二人で木刀を振っていた。
そんな中、逆立つ黒髪を揺らすノイルが屋敷を訪れた。

「兄上久し振りだ!」
「ははっ!最近は忙しくてなぁ」
「何かあったのですか?」
「ん?んー、まぁ、ちょっとなぁ」

ノイルはキレが悪い言葉で濁して苦笑した。何時も陽だまりの様に笑っている彼には珍しい。よく見れば目の下にはうっすらと隈も出来ている。彼はそんな疲れている様子を、妹やこの義弟となるだろう子供に見せないように勤めている事を、ガイは知っていた。それ程、何か問題にぶち当たっているのだろうか。

「それよりも、紹介したい人がいるんだ」
「紹介したい人?」
「ああ。ルークの二人目の剣術指南役だ」
「えー!?」

二人目の剣術指南役。その言葉にルークは苦い顔をした。ルークはヴァン以外の剣術指南役に良い思い出など一切ないと言っても良い。

「何でだよ、兄上!?俺にはもうヴァン師匠がいるだろ!」
「ヴァンは基本的にダアトで、何時も指南出来ないだろう?今日も二人で自主練だし」
「でも……」

確かにヴァンには何時も剣術を見てもらえる訳ではない。しかしそんなノイルの言葉にも、ルークは不服そうだ。彼には他の師匠を持つ事に対しても抵抗意識がある。

「しかし、ノイル様。ルークが習っているアルバート流はホド独自の剣術ですし、他に教えられる人も殆どいないのでは……」
「ああ、あの人はアルバート流の使い手じゃない」
「は?そんじゃ、指南なんて無理じゃん!」
「あの人の出身だった村にはいたらしくてな。見た事はあるらしい。シグムント流もな」

ノイルはガイを見ながら言う。ガイは僅かに目を見開いた。此処で自分の流派の名も出てくるとは思わなかった。
シグムント流はガイが使う剣術の流派だ。その二つを見た事があるとは、その村はもしかしたらホドに縁がある村なのだろうか。

「今、入口で白光騎士団の人と定期訪問するって書類書いてる。すぐ来るよ」
「って、もう決定事項なのかよ!」
「ふっ、当然だ」
「ヴァン師匠以外の師匠なんて嫌だよ!」
「まー、そう言うな、ルーク。あの人ならお前と誰かを比べるって事は絶対にない」

ノイルはルークの頭をポンポンと叩き、ガイも引き寄せて小声で言った。

「だけど、覚悟はしておけ」

あの人の修行はめちゃくちゃ厳しいで済まないから、『死ぬ気』でやれ。
ノイルの目は本気で、声には冗談の調子は欠片もなかった。

「その子が君の言っていた『ルーク』かい?」

そして、屋敷から庭へと続いている扉から一人の青年が入ってきた。
歳はノイルやヴァンと同じか僅かに上くらいだろう。夜の様な漆黒の髪を短く揃え、それと同色の鋭い瞳で前を見据える男。彼を見た途端、背筋を伸ばして緊張したのはルークやガイだけではなく、ノイルも同様だった。

「そう。この子がルークで、こっちがガイ」
「赤毛がアルバート流で、金髪がシグムント流か」
「へ?」
「あ、言い忘れてたけど、剣術指南ってガイにもだから」
「え、しかし、俺はただの使用人……」
「そんな寂しい事言うなって!修行って一人でいるより誰かも一緒にやっている方が心の支えになるから!」
「実感が込もっているね」
「それはもう!」

実体験ですから。

「キムラスカ軍所属クラール・アメティスティーノ」
「……へ」
「自分の流派はヴァン・グランツにでも教わりな。僕は戦闘しかしない」
「ちょっ……」
「精々大怪我しない様にするんだね」

淡々と話すクラールからは、彼の感情を読むのは難しい。面倒臭がっているのか、この指南役に乗り気ではないのか、何時もこうなのか。理由を知るのにはまだ時間が掛かる。
取り敢えず、ルークとガイは後ろで苦笑を浮かべているノイルに今の言葉について目で訴える。

「安心しろ。殺される事はないから」

そういう問題ではない。
このクラールと言う人物に対して感じるのは、恐怖だ。その人が自分達の師匠になるとは、考えたくない。

「ルーク、ガイ。お前達は、もう少し接する人の種類を増やした方が良いんだ」
「でも、兄上」
「屋敷にいても出来る事はあるさ。自分が小さいって嫌でも気付くぞ」
「後ろ向きなのかどうなのか分からない考えですね……」
「お前達が本当に強くなったら、俺の夢、教えてやるからな」

最後の言葉は、二人の耳の近くで小さな声で言われた。まるで内緒話をする様に。

「強くなってくれよ」

もう一度ぽんぽんと二人の頭を叩き、ノイルは下がった。

「それじゃ、お願いします」

腕組をして立っているクラールは、一つ溜め息を吐いてから呆れた様にノイルを見た。

「僕は何も教えないよ」
「貴方なら大丈夫です」

その後、記念すべきクラールの地獄の訓練一回目が始まる。
正直、キツくて怖くて逃げたくて、今まで戦いだと思っていたのは戦いではなかったのではないかとすら思った。

だから、ノイルの夢の話について二人が思い出したのは半年後。
ノイルの行方不明の報せを聞いた時だった。





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強くなってくれよ。

世界につぶされないくらいに。



20130301



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