炎焔アサリ 物語開始一年前の成人 5/9
月がよく見える夜だ。
バチカルにある城は広い。歴史もあり、城の中には当時の職人達の高い技術の結晶とも言える装飾が数多く見られる。水上の帝都と名高いグランコクマの王宮に劣ることはないだろう。
その城の敷地内に、王族の墓がある。歴代の王、王妃、また近しい親族が眠っている墓。
古い物にはキムラスカ初代国王の墓、新しい物には姫を生んで間もなく亡くなった王妃の墓もある。
そして――――。
「今まで、此処に来る事がなかった無礼をお許し下さい」
キムラスカ『元』第一王位継承者、ノイル・ルツ・キムラスカ・ランバルディアの墓もあった。
造られてまだ一年足らず。民からの人望が厚い人だった事もあり、今でも多くの花が贈られ、供えられている。臣下が頻繁に掃除もしているのだろう。墓は造られたばかりの頃と変わらず綺麗だった。
しかし、訪れた者にとって、彼の墓は墓とは思えなかった。
それは、この墓の下には誰も眠ってはいないからなのかもしれない。
それは、まだ彼の死を受け入れていないからなのかもしれない。
それは、彼は何処かで生きていると思っているからなのかもしれない。
だから、今まで足を運ばなかった。運べなかった。
この墓を訪れていない者は何人かいた。
この墓が立てられると同時にキムラスカ王位第一王位継承者へとなった、この国の王女。
その王女の許嫁であり、現国王の甥である赤毛の子供。
そして、赤毛の子供の従者である――。
「貴方は結局笑って許すでしょうけど」
――――ガイ・セシル。
彼もまた、ノイルの眠っていない墓を訪れていない者の一人だった。
しかし、彼は訪れた。
手には数多く供えている花ではなく、一瓶の酒を持って。
「ノイル様。俺は今日……と、もう昨日か……昨日、二十歳になりました」
今の時間は人が寝静まる深夜だ。本来、公爵家に仕えるとはいえ一従者であるガイがこの王族の墓に訪れる事は出来ない。今、ガイが此処にいられるのは一重にこの国の王女――ナタリアの手引きのお陰だ。
兄の墓を訪れていない仲間として考えていたガイが、ナタリアに夜にノイルの墓を訪れたいと言った願いは彼女にとって予想外だった。
何故、その日ですの?
ナタリアはガイに願いを頼まれた時に訊いた。
ガイの二十歳の誕生日の夜。ノイルの墓に参りたい。その理由は。
隠すこともないのでガイは正直に答えた。そして、それを聞いたナタリアは願いを聞き入れた。
そして、ガイは己の願い通りノイルの墓の前にいた。
「ペールからは剣の手入れの道具を貰いました。ナタリア様からはケーキを。あ、手作りではありませんよ。メイドに作ってもらったらしいです。ルーク様からも祝いの言葉を」
ガイは昼間の仕事中の事を思い出す。
ペール、ナタリア、ルーク、その他にも会う仕事仲間に祝いの言葉が贈られた。
「俺ももう成人です」
ガイは一人で小さく笑った。その笑みは、苦笑だった。
「ノイル様。覚えていますか。六年前、貴方が成人の儀の時に言った事を」
キムラスカの王位第一継承者の成人の儀だ。国中の貴族が招かれ、国を挙げての祝いだった。
王宮でのパーティー。ルークもまだ誘拐されていなく、彼もパーティーに参加していた。ガイもその従者として参加したが、それは豪華なパーティーだった。
だが、まぁ、あの人らしいと言うか。最初の言葉。貴族達への挨拶。何人かの御令嬢とのダンス。最低限の『王子』としての役目が終わったら、あの人は消えた。消えたと言うか、逃げた。
体調が悪いと身近な警備に告げ、部屋に下がったのだ。勿論、体調が悪いのは嘘である。何故なら下がった後、ナタリアやルーク(ルークの従者としてなのかガイも)、そして警備としてバチカルに来ていたヴァンと一緒に自室でささやかな宴を開いていたからだ。悪意ある貴族にばれたら大変な事になるだろうに、それは流石と言うべきか手抜かり無く、他の者にばれることはなかった。
ナタリア達未成年はジュース、成人を迎えているヴァンやノイルは酒を飲み、お菓子など子供が好きそうな物を中心とした小さなパーティー。それは国で開いた盛大なパーティーとは比べるまでもなく粗末な物だったが、ノイルは心許せる者だけのそのパーティーの方が楽しそうだった。そう見えたのはガイだけではないはずだ。
その小さな宴の時、酒を見ていたガイにノイルは言った。
『ガイ、飲みたいのか?』
ガイは首を横に振った。ノイルは酒で赤くなった顔で笑った。
『ガイが成人したら、その時は俺が上等の酒を用意してやるよ。一緒に飲もう』
何て事はない、大した意味はない言葉だったのだろう。今、自分が覚えているのも不思議だ。
「一緒に飲もうって……言ったじゃないですか」
ガイは空を仰いだ。
「ルークがね、言っていたんですよ。『昔のことばっか見てても前に進めない』って」
その時心に誓った賭けがどうなるのかまだ分からないけど。まだ答えは出ていないけど。
昔、キムラスカがホドにした事を抜いて、彼のことだけを考えれば。
「俺、貴方のこと嫌いじゃありませんでした」
自分の妹や従兄弟と同じように接していた彼が。
変わらぬ笑顔を自分にも向けてくる彼が。
裏表がない笑顔を向けてくる彼が。
決して嫌いではなかった。
「酒、一緒に飲みたかったです」
キムラスカの上等酒。だいぶ値が張った。暫くは財布が軽い。しかし、この墓に供えるには相応しい名酒であろう。
「ありがとうございました」
ガイは酒を供え、頭を深々と下げた。
月の下、彼の礼を聴いている者はいない。
**********
夜に墓に来た理由は
ぎりぎりまで彼を待っていたから
生死が分からなくても
約束のためならひょっこり現れるかもしれないと思ったから
それでも彼は来なかった
20120221
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