物語開始二年前の戦場
雨が降っています。近年稀に見る大雨です。森の木々達は大喜びでしょう。
森には季節の花が咲いていて、私はポカポカ陽気の日差しを浴びながら、花畑でごろんとお昼寝するのが好きです。綺麗な川も流れていて、喉が渇いたらその川の水を飲みます。冷たくて美味しいです。
遠くで爆音が鳴り響きます。
あちらこちらで煙が上がっています。こんな大雨なのに。あちらこちらで不思議な光が見えます。きっと大型譜術の光です。あちらこちらで悲鳴や怒号が聞こえます。戦いの音です。
戦争です。
「ひっく……で、デンジャラスです……」
顔を濡らすのは雨だけではありません。涙が止まりません。私は酷い顔をしているでしょう。年頃の乙女にとってそれは大問題です。
それでも、足は森の奥へと向かいます。走って、走って、時には躓きながら。時には転んでも。戦場から遠くへ、出来るだけ遠くへ。
お母さん、お父さん、お婆ちゃん。無事に逃げられているでしょうか。私は避難する時、兵隊さんの奇襲を受けてはぐれてしまいました。家族の人たちはきっと村人を護衛していた兵隊さんが守ってくれています。
森の木々は私を兵隊さんの目から隠してくれるはずです。大丈夫、森を抜ければきっと大丈夫。根拠はなくても、そう思う事にしました。そうでないと、きっと私の足は止まってしまう。
「ファイト……です」
この森ではよく遊んでいました。どう行けば近道になるかは、熟知しているのです。
この先にある川は一部が浅くなっていて、簡単に向こう側に渡れるのです。川を渡れば、すぐに森を抜ける事が出来ます。
川は氾濫していました。
そりゃそうです。この大雨ですから。焦りと恐怖で失念していました。私は何て間抜けなのでしょう。
でも、道は一つではありません。これが一番の近道なだけで、川を渡らなくとも森を抜ける事は出来ます。
身を翻そうとしたその時です。
兵隊さんが一人川辺で倒れていました。
私は森の中にあるちょっとした穴に、兵隊さんを運んで隠れていました。洞窟と言うほど大きくはありません。でも、二人なら身を隠す事は出来る。それくらいの小さな、自然に出来た穴です。
運んできた兵隊さんは怪我をしています。結構な大怪我です。川に流されて来たのでしょう。顔色もよくありません。このままでは大変危険です。でも、私は何も持っていなく、助ける知識もありません。私に出来たのは雨が当たらない此処まで運ぶ事だけです。森を出て、安全な所まで運んで治療するなんて出来ません。そんな体力も残っていません。
兵隊さんはまだ気を失ったままです。私は膝を抱えて隣で座り込んでいます。疲れました。
兵隊さんを持ち上げた時に、兵隊さんの首から落ちたロケットペンダント。それには『オスロー』と言う兵隊さんのだと思われる名前が刻んであり、兵隊さんと綺麗な金髪の女の人の写真が入っていました。女の人は兵隊さんと顔立ちが似ているので、お姉さんでしょうか。
家族が、この人にもいるんです。そう思うと見捨てて逃げるなんて出来ませんでした。……何も出来ませんが。
ユリア。始祖ユリア。どうか私達を助けて下さい。待っている人がいるんです。私にも、兵隊さんにも。
足音がしました。
足音の主は、兵隊さんとは鎧が違う兵隊さんでした。
現れた兵隊さんは私達に気付き、腰の剣を抜きました。そのまま向かって来ます。
逃げないと。そう思っても、足が動きません。隣の兵隊さんも目覚めません。剣を抜いた兵隊さんはどんどん近付いて来ます。
――デンジャラスです。
恐怖で、口から声は出ませんでした。
死にたくありません。私はまだ生きたい。
死にたくありません。私はまだ親孝行も充分にしていない。
死にたくありません。私はまだ家族にお別れを言っていない。
死にたくありません。私はまだ――恋もしていない。
燃える様な恋をしたい。家族に言っては笑われました。いい歳で何を言っていると。だけど、私は本気で思っているのです。
自分の全てを賭けて、誰かを好きになりたいと。
剣を抜いた兵隊さんはもう間近です。
あの剣で殺されるのでしょう。私も、隣で気を失っている『オスロー』さんも。
――死にたくありません。
もう一度強く思い、涙を流しました。
兵隊さんは剣を振り上げました。
空から炎が降りて来ました。
剣を振り上げた兵隊さんは、炎にぶん殴られてぶっ飛びます。私は助かったのでしょうか。
降りて来た炎は人でした。男の方です。両手のグローブに炎が灯っています。澄んだオレンジ色です。とても綺麗です。
「無垢な一般市民に剣を向けるとは、兵士の風上にも置けないな」
男の方は怒っているみたいです。ぶっ飛んで伸びている兵隊さんに言っている様ですが、勿論兵隊さんは気絶しているので聞いていません。
「そのまま雨に打たれていろ」
両手の炎が消えて、男の方は振り向いて私達を見ました。茶髪で茶色い瞳です。
真っ直ぐとした、炎の様に綺麗な瞳です。
「大丈夫か?怪我は?立てるか?……そっちの兵士は無理だな」
「はい……」
男の方は「得意じゃないんだが」と言って、兵隊さんに手を当てました。
「癒しの力よ ファーストエイド」
兵隊さんの身体を優しい光が包みます。すると兵隊さんから流れる血が止まりました。これなら兵隊さんは暫く大丈夫なはずです。
「第七音譜術士(セブンスフォニマー)なんですか?」
「いや、全然。使える回復譜術これだけだし。でも応急措置にはなるから必死で昔覚えた。今の所目指せ、ヒールかな」
男の方はそう言って兵隊さんを背負います。見た目よりも力がある様です。
そして、右手を私に差し出しました。
「避難場所まで行こう。俺が行けるのは近くまでだけど、送るよ」
男の方は優しく笑ってくれました。
「もう、大丈夫」
私は男の方の手を取って、泣きました。泣いて、泣いて、後から思い出すと恥ずかしいくらい泣きました。
それでも、男の方の手を放しませんでした。
「あの、名前を教えて下さい」
避難場所が見えてきて、別れる直前。私は漸く男の方の名前を訪ねました。
男の方は「ノイ……」と言い、途中で止まり、言い直しました。
「俺はツナヨシだよ。ツナヨシ・サワダ」
私は口の中で、その名前を呟き、彼の目を見ました。
彼は、私にもう会う気はないのだろう。きっと此処で何も言わず別れたら、私はもう二度と彼に会えない。何か言わないと、このままお別れ。そんな予感がしました。
「私、貴方を捜します」
だから、私はその何かを言うのです。
「もし私が貴方を見付けたら、私の名前を教えます。だから、その時は私の名前を呼んで下さい」
私は彼と同じ様に笑顔を浮かべた。
「また会いましょう。ツナさん」
ツナさんは目を大きく見開きました。
私は、燃える様な恋をしたのです。
その戦争で、二人分の預言は終わるはずだった。
預言に逆らう切っ掛けは、すでに死んでいるはずの青年。
彼の預言は、二年前にすでに終わっている。
物語が動き出す――二年前。
恋です。私は恋をしています。
あの人に。探し出してみせます。一生掛かっても、見付けます。あの人を。
ツナさん。
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『TOAの続き』
のリクエストでした。
ちょいと長くなりました……。
本編の方で書こうかとも思ったのですが、アビス主要キャラが一人も出てこないし、読まなくても恐らく本編に支障はないかな?とも思い。
この女の子の名前が出てくるのはもうちょっと後になるかなぁ♪この助けた兵隊さんも同じく。
本編、出てくるの何時になるかな……。
リクエストありがとうございました。
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