森宮莉子は突き進む。 | ナノ
モスクワのラバ
現役医大生の違法薬物所持の事件はニュースにもなり、例の男子学生は自主退学していった。
大学前にマスコミがやってきたり、大学側に抗議の電話がかかってきたりで、しばらく周りが騒がしかったけど、その後に別の大学の運動部の大規模ないじめ騒動が報道され、うちの大学の学生が起こした不祥事は印象が薄くなっていった。
なんか見えない所で誰かが情報操作してんじゃないよね? って疑っちゃうけど、一学生としては、落ち着いてよかったなと思う。
そこの学生ってだけで周りから白い目で見られたって嘆く人もいたし、真っ当にやっている側からしたらいい迷惑だったよ。
久家くんは後輩の医学生としてのキャリアを潰してしまったんじゃ……と少し落ち込んでいるようだったが、『犯罪行為を未然に防いだその行動が正しいんだからしっかりしろ』と発破を掛けたら徐々に落ち着きを取り戻していった。
「久家先輩!」
医学部キャンパス内を歩いていると、ロビーに声が響き渡った。
秋色のカーディガンを羽織ったその子は私の目の前を通り過ぎると、先を歩いていた久家くんに駆け寄っていた。
その瞳はキラキラ輝き、目の前の人を尊敬のまなざしで見上げている。
しかし、私が医学部に入りたての頃に先輩方をあこがれの目で見ていたその目とは違う。
今の私にはわかる。彼女は久家くんに恋をしているんだと。
「私もやっとこちらで学べるようになりました! これからよろしくお願いしますね?」
彼女が首をかしげると、サラサラの髪が一緒に揺れた。
あざとい仕草だが、私の目から見てもかわいらしく見える。庇護欲をそそられるというか。
「そうは言っても学年が違うから何もしてあげられないぞ」
久家くんは軽く肩をすくめていたが、彼女は「そんなことありませんよぉ」と久家くんの腕を軽く叩いていた。なんという自然なボディタッチ。
「ところで先輩は今晩の飲み会参加されますか?」
「お世話になっている教授陣が参加されるから、一応な」
そういえば今晩飲み会があったな。私も同じ理由で参加予定である。
「わぁ! じゃあ会場で会えますね! 久家先輩の隣に座ろっと! 何かあったらまた私を守ってくださいね?」
無邪気に放たれた言葉であるが、その裏には別の感情が含まれているように聞こえた。
久家くんに守ってもらえるって自信。
「この間みたいなことはもう起きないと思うぞ?」
以前の久家くんなら突き放す言葉を吐き捨てたと思うけど、今回は違った。
なんか、今までより久家くんが女の子に優しい気がする。
この間連絡先交換を断っていたのに……
もしかして……その子が特別なのだろうか。
私はそういう甘えた態度は取れない。
守ってね? なんて言えない。
そんなところが可愛くないんだろうな。
もやり、もやりと暗い感情が心を埋め尽くそうとする。
こんな感情嫌だな。
なんで私こんな感情を知ってしまったんだろう。
「森宮せんぱーい、おはようございます。過去データコピーさせてもらってありがとうございます。これ売店のですけどお礼のお菓子……」
そこに元気よく声を掛けてきた天羽くん。
私は彼の腕を引っ張って物陰に引きずり込んだ。
「どうしたんですか?」
突然の暴挙に天羽くんは目を白黒させていた。
私にもわからない。私は一体どうしちゃったんだろう。
天羽くんの腕を掴んだまま私は唸り声を漏らす。
「人間の感情というものが複雑怪奇すぎて困惑しているところ……」
「本当にどうしたんですか、感情を覚えたアンドロイドみたいな事言い出して」
そんなSFなことではないよ。
だけど関係のない後輩くんに恋愛相談を持ち掛けるのもどうかと思ったので「なんでもない」と今の発言を撤回した。
「莉子、おはよう」
背後から掛けられた声に私はびくっと肩を揺らした。
あれ、さっきまで奥の方でしゃべっていたよね? 私それとは逆方向に天羽くんを引きずり込んだのになんで彼の声がするんだろう。
「いつまでくっついているんだ?」
声のした方へ振り返る前に、天羽くんから引き剥がされた。
その勢いでトンと背中に当たる感触。寄っかかったまま、首を後ろに倒して見上げると後ろの人物と視線がばっちり合った。
体勢的に逆さに見えるけれど、眼鏡がチャームポイントの整ったお顔立ちは間違いなく久家くんだ。
「今日はいつもと髪型が違うんだな」
困る。心の準備がまだなのだが。
今の私はいろんな感情で忙しい上に、心臓が忙しく暴れまわっている。下手な発言をしないように努めるので精いっぱいである。
「あ、はは……ちょっとね」
いつもは簡単にハーフアップとか一つ結びで済ませることが多かったけど、今日はゆるく編み込んだ髪をひとつ結びにして、毛先をお団子にした上に飾りゴムで結んだ。
ここ最近忙しくて美容室に行けてなくて、傷んできた毛先を誤魔化しているとも言う。
「かわいいよ、似合ってる」
優しく微笑まれて言われた賛辞。
ドキーンと少女漫画みたいに胸が高鳴る。
もう、平気でそういうこと言う!
私の心をこんなにも揺さぶるとは恐ろしい男だ。
へへ、褒められちゃった。可愛いだって。
平常心を維持できずにテレテレしているとどこからか視線が突き刺さった。
なんだ? と思って辺りを見渡すと、先ほどまで久家くんと話していた後輩ガールからジッと見られていた。
この視線には身に覚えがある。
これまで久家くんと関わってきて沢山浴びてきた嫉妬の視線と同様だもの!
「あの、久家先輩、」
彼女は何かを言おうとした。
しかし久家くんは私の肩に腕を回してくるっと方向転換させると、「莉子、講義が始まるから行こうか」と私に言った。
「天羽と小畑さんも遅刻しないように」
後輩組にそう言い残すと、ぐいぐいと強制的に連行されてしまった。
私の背中を押している久家くんは無言だった。
そして私も無言だった。
私以外にもああして話せる女の子が出来て喜ぶべきなのに、私は素直に喜べない。
面白くない。
胸の奥がじりじりと焦げるみたいで苦しかった。
◇◆◇
「お隣失礼します」
医学部関連の飲み会の席に腰を落ち着けると、早速例の後輩ちゃんは久家くんに近寄ってきた。
何を思ったのか、私と久家くんの間に割って入るように席に座った。他にも席は空いているのにも拘わらず。
そんな彼女を久家くんは追い払うわけでもなく、隣にいることを許していた。
「では、乾杯!」
司会による乾杯の音頭が行われ、ビールが入ったグラスを一度持ち上げたけどそれには口をつけずにテーブルに置いた久家くん。目敏くそれに気づいた後輩ちゃんは「お酒飲まれないんですか?」と彼に尋ねていた。
「今日は車で来たから」
「じゃ、私と一緒にノンアルコールで楽しみましょ」
お酒がまだ飲めない年齢の後輩ちゃんはウーロン茶を持ち上げてにっこり笑っている。
そこに私が割って入る隙はない。私もノンアルコールなんだよ……
「──それで、私びっくりしちゃって」
「佐野先生は人を驚かせるのがお好きな人だからな、俺も一度からかわれたことがある」
2人は私の知らない話で盛り上がっていた。
佐野先生って誰。うちの大学の教授陣じゃないし、実習にしても1年の後輩ちゃんは病院実習には参加していないから違うだろうし。
「佐野先生は私の父と同級生で」
「うちの卒業生だったな」
「はいそうなんです。久家先輩のお父様は別の医大でしたっけ?」
もやもやりと胸の奥が気持ち悪い。
なんでその子と仲いいの?
久家くんはそういうタイプが好きなの?
今まで接近してきた女の子たちとどこが違うの?
会話を聞いているだけの現状が苦しい。
私はここにいるのに。いつもならそこは私の居場所なのにってわがままな感情が溢れだして、そんな自己中な自分に嫌気がさす。
帰りたくなったけど、始まって早々抜けるのは印象が良くない。
なのでモクモクと目の前のご馳走を頬張る。せめて会費分は元を取らなくては。
自分のノンアルコールのジンジャーエールを手に取ると、私は一気に呷った。
炭酸のシュワシュワ感で気分リフレッシュしたかったともいう。
ごくごくごくと喉を鳴らして飲んでいた私だが、違和感に気づいた。
ん? なんか変な味だな。
一気に飲み干して、グラスをじっと見つめる。
……ジンジャーエールに薄切りライムなんて入っていたっけ?
「莉子、それ私のモスコミュール!」
隣に座っていた琴乃の悲鳴のような声に私は目をぱちくりさせた。
モスコミュール……?
なにそれ……お酒の名前じゃん……
お酒を飲んでしまったと自覚した私の身体は、カッと一気に熱くなった。
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