森宮莉子は突き進む。 | ナノ
救命救急は時間が命です。
体内の血液の約20%が急速に失われると、出血性ショックという状態になり、30%失えば生命に危険を及ぼすとされる。
そのため、出血量が多い場合、止血手当を迅速に行う必要がある。
血液からの感染防止のため、かばんに入っていたコンビニレジ袋を手袋代わりにした私は、男性の服の肩口を筆箱に入れていたハサミでカットして出血部位を露出させた。
持っていたタオルハンカチを患部に押し当てると、じわっと一気に血液を吸収して真っ赤に染まる。色は鮮血色。ぴゅっぴゅっと脈打つように吹き出す感覚。
──場所的に動脈性の出血かもしれない。
止血は患部に布を当てて圧迫する方法が基本とされるけど、この動脈性の出血は、出血量が多すぎてそれだけでは抑えられない。
タオルハンカチじゃ間に合わない。なにか紐になるものはないかと辺りを見渡し、かばんの中をひっくり返したけど、めぼしいものはない。
おもむろに自分の着ていたブラウスの肩口を掴み、それをふんぬと力を入れて引き裂いた。びりりと音を立てて縫い目部分から袖部分が脱落する。腕から引き抜いたそれを止血帯にした。
患部に当て布をして、その上から適度な強さで縛って止血する。筆箱から油性マジックを取り出すと、腕時計で止血時間を確認。結びつけたブラウスの端に止血時間を記入しておく。
次に折れていると思われる足を確認すると、右足下腿部分が骨折しているようだった。
「折れている骨の固定のために触りますよ。ひどく痛むと思いますが、耐えてください」
食いしばって歯が砕けぬよう、患者の口に他の人が持ってきたタオルを噛ませる。
「動かないように抑えておいてください」
救援者に患者を抑えておくように頼むと、添え木変わりの折り畳み傘を使って、新しく破いたブラウスの袖を紐代わりにしてしっかり固定する。
「ぐわぁぁあ!」
「痛いですよね、頑張って!」
脛部分の折れた骨を固定される痛みに、男性が悲鳴を上げる。
痛いよね、頑張れとしか言えないのが心苦しい。
骨自体には痛みを感知する神経はないが、骨の周りを覆う骨膜に痛みの受容器が高密度に分布しているため、こうして痛みを感じるのだ。もっとも、部位によっては痛みを全く感じないこともあるそうだけど。
破いたブラウスの残骸で折りたたみ傘と折れた骨を固定し終えると、私はため息を吐いた。私ができるのはここまでだ。
「大丈夫、もうすぐ救急車が来ますからね!」
痛み苦しみにうめき声を漏らす男性に呼びかけた。すぐに痛みを取り除いてあげたいが私にはここまでしかできない。病院だったら鎮痛剤とか投与できるんだけどね。
ピーポーピーポーと遠くからサイレン音が近づいて来た瞬間、肩から力が抜けた。もう大丈夫だ、って安心感から少し泣きたくなる。
救急車が現場に到着すると、慌ただしく車内から救急隊員が飛び出してきた。
「重傷者は!」
「ここに、右碗に動脈性出血、右下腿骨で骨折が見られたので応急処置を施しています」
「えっと、君は……」
「私は通りすがりの医学部生です。止血時間はここにメモしているんで! 添え木代わりにしている傘は不要になったら破棄してください」
目に見える範囲で応急処置を施した怪我の箇所を説明すると、救急隊員からまじまじと見下ろされた。自分は怪しいものじゃないと説明すると、救急隊員の人は「あ、あぁそう……」と納得できていないような微妙な返事をし、歩道に寝転がって呻く男性患者をてきぱきとタンカに載せていた。
救急車はそのまま現場を後にした。それと入れ替わりになるようにパトカーや自転車で現着した警察官、消防車から消火ホースを取り出す消防隊がわらわらと集結していた。
漏れたガソリンに引火してメラメラと炎が這っている軽自動車に向けてぶしゃーと放水されると、水蒸気がもわっとあがっていた。火災に巻き込まれる人がいなくてよかった。
「君、事故の目撃者?」
「いえ、直接事故の瞬間は見ていないです。音に気付いて振り返ったときにはもうすでに軽自動車がガードレールにめり込んでいたので」
警察の現場検証が早々に始まると、私の姿が目に留まったのかお巡りさんから声を掛けられた。
残念ながらどっちが原因なのか見てないのだよ。周りの人が相手方の普通自動車が信号無視していたって話しているのは聞いているけど。どっちかの車にドラレコが設置されていれば話は早いんだけどね。
「あんた、その服はどうしたの?」
お巡りさんから自分の服を指摘されて思い出した。ブラウスを犠牲にしたため、上半身ブラトップ姿だったのだ。しかも穿いていたベージュの7分丈パンツには血痕があちこちに……
もしかして不審者として職務質問されていた……?
「着ていたブラウスは重傷者の止血のために使いました。重症者側の男性が動脈性出血を引き起こしていて、ハンカチだけじゃ止血出来なかったので。あと骨折部位の固定でも使いました」
怪しいものではないですよと学生証を見せて、医学部生であると説明すると、警察官は疑うことなく納得してくれた。婦警さんなんかは「そのまま帰れる?」と帰りの心配をしてくれた。
なるほど、さっき救急隊員の人が変な顔していたのは私の格好が怪しかったからか。上半身ブラトップ姿で救命行為をしていた私であるが、恥ずかしさなんて命の前ではどうでもよかった。
むしろ着ているのがブラトップでよかった。引き裂きやすいブラウスでちょうどよかった。
「莉子さんいらっしゃい、そのままじゃ帰れないでしょう」
私が職務質問のようなことをされているのをどこかでみていたらしい絹枝さんがそこに割って入ると、私の手首をつかんで引っ張ってきた。いつのまにか私の荷物も回収していたらしく、彼女の手には私の通学カバンが。
そして警察の人に「何か聞きたいことがあるならここへ」と名刺らしきものを手渡すとそのままどこかへとぐいぐいと連行していく。
どこに行くのかと思っていたけど、そのまま近くにあった個人がやっていそうな服屋さんに私を連れ込む。絹枝さんは早速店員さんにあれこれ指示していた。
「まずはお手洗いを借りて手を洗ってらっしゃい」
「えっ」
「どうぞ、こちらへ」
戸惑いを隠せない私は店員さんに誘導されてお手洗いを借りると、言われるがままにそこで手を念入りに洗浄させてもらった。
「血で汚染した服はこの袋に入れて処分なさい」
絹枝さんは私にそう命じると、何着か洋服を持った店員さんとともに試着室に追いやってきた。
「若い子向けの服を見繕ってもらったわ。この中で気に入ったものを選びなさい」
そう言って押し付けられたのは高そうな洋服類である。ワンピースや、上下セットで組み合わされた服。この店はいわゆるセレクトショップと呼ばれるお店なのだろう。質感がブランド品に見える……
カーテンを閉めて、こっそりタグを確認したら予想通りである。
……あとで請求されたらどうしよう。
「着た? 開けるわよ」
「いや、待ってください」
まだ着替えてすらいないし、早すぎる。せっかちか。
上下セットよりワンピース一着のほうが安い(それでも高い)ので、慌ててそれを着用する。
その際血で汚れたパンツはお店側が厚意でくれたスーパー袋に収めてぎゅっと縛った。
お支払いはブラックに見えるカードで絹枝さんが済ませていた。
自分で払わなくていいのにほっとしつつ、赤の他人に高い服を買わせた罪悪感で私はもやつく。
バイトを増やして稼ぐので分割で返済してもいいかと尋ねると、「はぁ?」と怪訝な反応をされた。
「私が勝手に購入したんだから返さなくていいわよ」
「ですが」
「いいから次行くわよ!」
強引な彼女に引っ張られてお店を後にする。
完全に絹枝さんのペースに振り回されていた。
「いいじゃない。あなたそういう服も似合っているわよ」
「どうも……」
近場の目についたカフェに連れていかれ、そこで私と絹枝さんはお茶を囲んでいた。
いや、なんでお茶飲んでるの。
私は少し前まで目の前の人に本気で怒ってクレームをつけていたはずなのに。
なのに何で洋服買ってもらってるの。人命救助のために服を汚したからだけど、いまだに混乱してる。
黙ってマグカップを傾けていた絹枝さんはふぅと一息ついた。
「私はあなたを見くびっていたようだわ」
「……へ?」
「認めます」
……???
なにを?
主語もなく言われた言葉に私は眉間にしわを寄せた。
「度胸だけでなく、物怖じしないその態度、自立したその精神に感銘を受けたわ。──うちの病院の人間としてふさわしいと判断しました」
あ、久家くんの実家の病院にいずれ就職するものだと思われてる?
私は一言も働きたいなんて言った覚えはないんだけど。
「あの……」
「これで久家家も将来安泰ね」
彼女はにっこりと満足そうに微笑んでいる。
あれ、私の将来の事を勝手に決められた感じですか?
その日以降、彼女のストーカー行為はぱったりなくなり、私には平穏が訪れたのだが……なんだかすっきりしないのは気のせいであろうか。
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