森宮莉子は突き進む。 | ナノ
味方か敵か。
母方の祖母から連絡があって、『久家さんって方が家にいらして莉子のことを聞いてきたけど、なにか知ってる?』と聞かれた時、とうとう私の中で堪忍袋の緒がぷっつり切れてしまった。
この調子だと、父方の祖父母にも接触しているのだろう。下手したら三親等であるおじおばにまで。
久家くんに注意してもらっても効いた試しがない。
逐一、お孫さんを介してクレーム入れるのもいい加減疲れてきたので、本人と対面した際に直接苦情を入れることに決めた。
その日は大学図書館での自習をせずに講義が終わったらまっすぐ帰宅することにした。
時刻は夕方に差し掛かっている。
大学正門から外へ出ると、大きな交差点の歩道の隅で探偵よろしく私を監視する絹枝さんを見つけた。
いつからそこにいたのだろう。暇なのだろうか。
飽きもせずにまだ付け回すのかと呆れつつ、私はそちらへ歩を進めた。
その行動が思いもよらなかったのか、彼女は少し驚いている様子。
私よりも背の低い絹枝さんは目を真ん丸にして見上げてくる。多分私の怒りを察しているからだろう。
「──何故、私の家族の職場をご存じなんですか?」
積もり積もった不満で怒りが抑えられず、自分の地声よりも低い声が出た。
だけどもう取り繕うことはしない。迷惑行為を働いているのは相手で、こちらは家族にまで迷惑をかけられているのだから。
「……興信所で調べていただいたわ。だけど直接お顔を見てお話が聞きたかったのよ。そうじゃなきゃ人の本質は見抜けないでしょ?」
彼女は何故そんなことを聞くのか不思議でならないといった表情をしていた。きょとんとした顔で言われても困るんですけど。
興信所の調査結果だけで満足していればいいものを、ストーカーみたいな真似をして……自分がどれだけ周りに迷惑をかけているかわかってないのかこの人。
「あなたの妹さん、結構な頻度でいろんなバイト先で働いているのね。聞けば今年受験生だっていうじゃない。大丈夫なの? それとも、おうちが経済的に厳しいのかしら……?」
悪気がなさそうに下世話なことを言われて、ぴきっとこめかみが引き攣った。
他人の家庭の経済状況に口を挟まないでいただきたい。
「妹は大学進学後の海外留学のための資金を自分で貯めているんです」
妹の美玖がバイトをするのは、誰かから強制されてしているのではなく、先の事を考えて自発的に行っていることなのだ。そのバイトだって受験に備えてもうすぐやめることになってる。
確かに我が家は久家くんのおうちのように裕福というわけじゃない。
しかし出来る範囲で叶えてもらえている。そこは勘違いしないでほしい。
「だけどねぇ…」
言いたいことがあるのは私なのに、絹枝さんのペースに持っていかれているような気がして気に障る。
私は咳ばらいをして気を落ち着けると、キッと彼女を軽く睨みつけた。
「親兄弟、はたまた親類のプライベートを暴く真似はよして頂けませんか」
絹枝さんに何かを言われる前に牽制する。
これ以上干渉するなと。
親でも祖父母でも教師でもない赤の他人にそれ以上踏み込まれたくない。
「私の母は看護師という命を預かる仕事をしています。元医療従事者ならその責任の重さがわかりますよね? 仕事中に押しかけて業務中断させるなんて非常識だと思いませんか?」
それが常識のない行いだと思わないのだろうか。
余所の大病院の元院長夫人という肩書を使って接触することがどういう影響を及ぼすか理解しなかったのだろうか。この人のことだからスカウトではないというのはわかっているけど、周りは誤解しているかもしれない。
「それと、父の職場や妹のバイト先にまで押しかけてこられるのは迷惑です。私の祖父母にまで接触して……何故そこまでなさるんですか?」
そんなに私は目に余る存在なんだろうか?
もしかして久家くんに害をなすと思われているのだろうか?
ここまで粗探しされると、流石に悲しくなってくる。
「私は医師になるために必死に学んでいるんです。時間を奪ってる自覚はお有りですか? 特待生という特権を維持するためにトップクラスの成績を維持しなくてはいけないんです。これ以上妨害するようでしたら……」
「私はただ拓ちゃんの……」
キィィ…ッ!
──ガッシャアアアン!
絹枝さんが何かを言いかけたその時、甲高い音の後に何かがぶつかり合った大きな衝撃音が響き渡った。
音の発生源に目を向けるとそのタイミングでパッと歩車分離式の歩行者側の信号が青に変わった。
だけど誰も横断歩道を渡ろうとしない。……目の前の光景に驚いて固まっていたのだ。
──交差点の中央で車同士がぶつかって、跳ね返された軽自動車が歩道と車道を隔てるガードレールに突っ込んでいた。どちらかの信号無視による右直事故だろうか。
軽自動車のぐしゃっと潰れたボンネットの隙間からモクモクと煙が溢れだしている。粉々に割れたフロントガラス向こう側の運転席では、起動して膨らんだエアバックの上に倒れこんでいる男性の姿があった。
「やべ、事故?」
まわりにいた目撃者の中には面白がってスマホを向けている人間まで出てくる始末である。
私はそれに嫌悪感に似た感情を抱きつつ、事故現場に駆けて行った。
事故相手の普通車は反対方向にスピンして停まっているが、運転手の意識はあるようである。なにやら車内で電話をかけている模様だ。
「大丈夫ですか!」
車体をドンドンと強めに叩いて、意識があるか怪しい軽自動車の運転手に声がけする。しかし応答が見られない。
鍵がかかっていないことを願って運転席側のドアに手を掛けると、ぎしゃっとどこかに引っかかってスムーズに開閉できなかった。事故の影響で扉が変形しているのだろう。
くん、と嗅ぐと──オイルが焦げたような嫌な臭いがする。車の下から漏れる液体はもしやガソリンだろうか。それとも冷却水?
交通事故の被害者はなるべく動かさないのが一番なのだが、今の状況だと後ろからの追突事故の恐れもあるし、エンジンルームから煙が出ている。車両火災による被害を防止するためにも車から出したほうがよさそうである。
「もしもし! 聞こえますか!」
ぐったりと突っ伏す運転手の肩をとんとんと叩いて声を大きめに呼び掛ける。
「ぅ……」
すると小さく呻く声が聞こえた。
私はそれにほっとしたが、男性を取り巻く状況を見ていたら安心できなかった。
彼の足は事故の影響で変形した車の隙間で圧迫されていた。もしかしたらハンドルと座席に挟まれて内臓にも影響を及ぼしている恐れもある。
私は誰かの手助けを求めようと周りにいる野次馬に視線を向けたが、無遠慮に向けられたスマホのカメラの数々にぐっと息を呑みこんだ。
人の生死の場面だっていうのにマスコミ気取りか…!
「救急車と消防車、警察を呼んで! そっちの事故車は動く!? それなら安全な場所に移動を! 周りの安全確保を、どなたか警察が来るまで交通誘導を!」
「!」
意外だったのが、絹枝さんがきびきびと周りへ指示を飛ばしていたことだろうか。
それに応える様に、三角板を自分の車の後部座席から出して道路に設置してくれる人、発煙筒で危険を知らせてくれる人たちが現われた。
私は重症者である軽自動車側の運転手さんを駆け付けた救援者数名と力を合わせて、なるべく負担を掛けないように細心の注意を払って運転席から引きずりだした。
安全な歩道で男性を安静にさせると、私は自分の持っていたカバンをひっかきまわした。
男性は顔面からあちこち出血しているが、それはフロントガラスが大破した影響だろう。細かいガラス片の除去などは病院でお任せしよう。それよりも心配なのは、内臓への影響と、救出した時に折れている感触がした下腿骨、そして腕からの出血だ。
ぐっしょりと彼の服を濡らしている血液の量は少なくない。なるべく早く止めなくてはまずい。まずは止血をしなくては。
手当に使えるものは何かないか……
「聞こえますか、名前は言えますか、救急車が来るまで頑張りましょう!」
私の呼びかけに男性は唇を動かしていたが、声が出せないようだった。
痛いのか、それとも呼吸器に何か詰まっているのか……。確認してみると気道は確保できているから呼吸は問題なさそうである。
そんな中で歩道側には人が続々と増えていた。
スマホを構えて撮影する人間が無駄に接近してきて、救護の邪魔になりそうな行動を取ってくる。
私はそれにイラつきながらも、講義や実習で習ってきた知識と経験を生かすべく準備を始める。
「撮影してるだけなら下がってなさい! 邪魔よ!!」
私の心中を表してくれたのか、絹枝さんが野次馬に向けて怒鳴りつけた。
突然カメラの前に割り込んできたおばあさんの登場にビビった野次馬は驚いて飛びのいていた。
「軽傷者は私が診ます。あなたはこの重傷者の応急処置に集中なさい!」
私に向けてそう言った絹枝さんは、いつものしつこいだけのおばあさんじゃなかった。
今この状況でもっとも心強い味方に見えたのだ。
指導医も教授もいない状況。
そのことにプレッシャーがないとは言い切れない。
救急隊が駆け付けるまでどのくらい時間がかかるだろうと弱気な自分が顔を出しそうだったが下唇を噛みしめることで我慢した。
私がこの人を救うのだ。
医者の卵候補である私が救ってみせる。
私は彼女の目をしっかり見ると、黙ってうなずいた。
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