森宮莉子は突き進む。 | ナノ
未知の事柄を推しはかり論じましょう。
4学年に進級すると、臨床医学がスタートした。
この1年ですべての科を網羅することになるため、休む暇なく勉強する必要がある。
臨床推論では医療従事者が患者さんの問題を見つけてから解決するまでを考える思考過程を身に着ける。
診断は医師にのみ許された営為だ。
よって、臨床推論とは診断ミスを無くすために、身につけるべきテクニックとも言える。
わかりやすく言えば、「患者さんの抱える問題の原因はなにか?」「その判断に必要なものは?」「解決策の選択肢は?」と考えることである。それをもとに、学生同士でグループディスカッションを行うのだ。
社会医学は、社会的生物としての人間を重視して研究診療を行う医学で、内容として公衆衛生学、産業医学、農村医学、予防医学などを含む。
医療管理学では、医療安全管理、栄養管理、感染制御、褥瘡制御、医療経済、医療行政などの多くのことを学ぶ。
法医学は亡くなった方を相手にした医療だ。異状死の死因の診断、死後経過時間の推定、身元不明死体での個人識別などが含まれる。
そのため、法医学の基礎知識である死体現象、死因論、死後画像の読影、個人識別に関する知見を身に着けておく必要がある。
他にも死亡診断書の作成方法なども学ぶ。死亡診断書は人の死を医学的に証明する重要な書類のため、十分な根拠をもって、適切な用語で記載していくことが大切なのだ。2年の時に行った解剖実習がここで応用となっている形だろうか。
様々なデータを活用して病気の診断、予測、治療効果の検証を行い、医療現場の問題の解決を目的としている医療統計学という学問も学ぶ。
「この人はどんな病気にかかっているのか?」
「どのくらい生きられるのだろうか?」
「どんな治療法がいいのだろうか?」
…という疑問に答えるため、データを集め解析する、医療統計学の知識も必要なのだ。
4年の終わりにはCBTとOSCEという別のテストがある。
これらのテストは国が実施する試験で、医師免許を取る前の「仮免許試験」のようなものだ。
CBTとは、医師免許をまだ持っていない医学部生が、臨床参加型実習において実際の患者さんと接する機会に際して、医学部生としての「質」を保証し、患者さんの了解を得るために実施されるようになった全国医学部共通の筆記試験。
OSCEもCBTと並んで臨床実習が始まる前の医学部生の能力を測る上で重要視される実技形式の試験。試験内容としては、今まで学んだ医学知識や診察手技を用いて模擬患者の診察や指定された医療手技のシミュレーションを行うのだ。
毎週1、2科目ずつテストがあり、ずっと勉強しなきゃいけない。
そのためか、バイト命な真歌も今年度はバイトをセーブすることにしているようだ。長期休暇に力を入れると本人は言っていた。
大体の人は講義と自習以外に、予備校を使って勉強するそうだが、私はクエスチョンバンクという医学生向けの問題集と、先輩方にお借りした過去の努力の結晶類を研究してそれをもとに学習していくつもりだ。
「莉子、今日俺の家に来ないか?」
いつものように大学の図書館で勉強していこうと考えていると、隣にいた久家くんがおうちへのお誘いをしてきた。
今日、俺の家に来ないか? だって?
つまり、一緒に家で勉強しようって誘われているんだよね?
久家君は1人暮らし。つまりふたりきりでって事である。
「いいかい、私はこれでも女なの。恋人でも、家族でもない異性と密室にふたりきりにはなれないよ」
きっぱり断ると久家くんは心底残念そうに肩を落としていた。
そんな顔されたら断ったのが申し訳なくなるじゃないか……
「あ、うち来る? 後でお父さんも帰ってくるから安心でしょ?」
これならふたりきりを回避できるし、周りに誤解されることもない。
我ながらナイスな提案だと思うんだけど、久家くんの返事は元気がなかった。
そんなわけで急遽久家くんを我が家に招待することになった。
これまでに何度も家まで車で送ってくれたので、外観は知っているだろうけど、家の中に招待するのは初めてのことだ。自分の実家とのあまりの違いにがっかりされたりしないだろうか。
玄関の鍵を開けるとその先には静寂が続いている。みんな仕事で誰も帰ってきていない。
「ようこそ森宮家へ……ちょっと30秒待って。人に見られてまずいものがないか確認してくる」
失礼だとは思ったが、久家くんを玄関に待たせて、ひとりリビングに駆け込む。
ものすごい散らかっているわけじゃないけど、生活感がありすぎる机の上をざっと片づける。
他に見られてまずいものがないかを確認すると、リビングと廊下を繋げる扉を開けて「どうぞ入って」と玄関にいる久家くんに呼び掛けた。
「お邪魔します……」
久家くんは緊張した面持ちで靴を脱いで家に上がった。
あっ、スリッパとか必要だったかな? 私はばたばた駆け寄って、玄関の隅の棚からお客様用のスリッパを取り出して久家くんの足元に置いた。
そのままリビングへ誘導すると適当に座るように促して、私はお茶の準備に取り掛かった。
勉強するからコーヒーでもいいだろうか。いや、夕方にコーヒー飲むと眠れなくなる体質の人もいるしな。
「久家くん、飲み物はノンカフェインがいい?」
「なんでもいいよ」
ならコーヒーでいいか。
コーヒーメーカーにフィルターをセットしてコーヒー粉やら水を投入したら抽出ボタンを押す。
できるまで少し時間がかかるので、ダイニングキッチンから出て一旦久家くんが待つテーブルに戻ると、彼はあちこちをきょろきょろ見渡していた。
「そんな観察されても面白いものなんかないよ? 高そうな絵画とかツボとかなんにもないし」
「いや、ここで莉子が育ったんだと思うと感慨深いものがあって」
……感慨深い? なぜ?
久家くんの感想が謎すぎて私は困惑したけど、深く聞くことはしなかった。
そこからはモクモクと勉強した。それは図書館にいるときと変わらない。
ただ、この家の中には私と久家くんの二人だけで、沢山の学生のいる館内よりは静かであることは異なっていた。
そのせいだろうか。
久家くんの息遣いや、テキストをめくる音がやけに近く大きく聞こえる。
普段なら聞こえても意識しないのに、今日に限っては気になってしまって集中力に欠けてしまう。
そもそも、なんで久家くんは私を家に誘ったんだろう。
おうち自慢がしたかったのか。図書館は人の気配で勉強しにくいとか?
そうだとしても異性を招くってことは色々と誤解を招くと思うんだ。彼は一体何を考えているんだろうか。
……まさか、私を女と思っていないから出た発言だったの……?
じろっと久家くんを盗み見した。
あくまでバレないようにさりげなく見たつもりだったけど、久家くんは私から送られる視線に気づいてしまったらしい。軽く視線を上げて、私と目が合う。
「……? どうした?」
「久家くんって私の事どう思っているの?」
単刀直入に聞いてみる。
すると彼はギクッと肩を揺らし、しばし固まってしまった。
なんだその反応。あんまりポジティブな印象はないって意味だろうか。
「私の事、女として見てる? それとも同性のような何かと思ってる?」
医者に男も女もないと考えているけど、久家くんに女として見られていない、男扱いされていると考えるとなんかものすごく複雑な気分だ。
固まっていた久家くんは目をそっと伏せると、意を決した様子で目を開いた。
薄いレンズ越しに見つめられた私は、緊張した顔をする彼のその様子に思わず身構えてしまう。
「……特別な、女性だと思っている」
「特別……?」
「他では絶対に見つからない、特別な……」
──女嫌いの久家くんがいう特別という単語は重みがある。
つまり、苦手な女性の中でも例外中の例外と考えてくれているのか。
なるほど、つまり私が久家くんに迫ったり襲ったりする恐れがない安全圏な女だと判断されての行動だったのだろう。
親友ってことだな。
「ただいまーっ! あれっお客さん来てるの?」
賑やかに帰宅してきた我が父の声に久家くんはびくっとしていた。
スーパーの袋と仕事用のカバンを引っ提げたお父さんがリビングの扉を開けると、私と久家くんの姿を見て目を丸くしていた。
「美玖の彼氏くんかと思ったら、莉子が男の子連れて来てる!!」
やだーイケメンー! と父が騒ぐものだから久家くんが唖然としている。
我が父ながら、娘よりも女子っぽい反応である。以前からなのでそこはもう仕方ない。
玄関に男物の靴があったらまず彼氏持ちである妹の客だと想像するよね。いまだにひとり身の姉の客とは思わないだろう。
「こちらは同じ学部の久家くん。ただの友達だから」
父が誤解する前に釘をさしておく。
私いま彼から親友認定されたばかりなんだ。間違っても彼氏なんて誤解しないことだ。
「……はじめましてお父さん、お邪魔してます。久家拓磨と申します」
立ち上がった久家くんはお父さんに腰低めに挨拶していた。
取引先と出会った営業マンみたいな姿勢である。別にうちのお父さん怖くないから大丈夫なのに。
それを見たお父さんは、ぴーんと何かに閃いたような顔をして、そして私にサッと視線を向けてきた。
その目は疑惑と戸惑いが混じったものだった。
なに信じられないって目。私何かした?
「えっ……莉子、そんなまさか。そんなところまで姉妹揃って……」
ショックを受けたみたいな反応するお父さんに、私こそ困惑する。
なによ、姉妹揃ってって。私と美玖がなにしたっていうのよ。
「なんのこと?」
「うぅん、こっちの話だよ……ごめんねぇ、久家くん」
「いえ……」
男同士で何か通じ合っているみたいで私だけ蚊帳の外である。
私はそれが面白くなくてムッとした。
私のお父さんと私の親友なのに。
「久家くんも夕飯食べてく? 簡単なものしか用意できないけど」
部屋着に着替えたお父さんが台所で夕飯づくりに着手しながら久家くんに問いかけた。
「でもご迷惑じゃ」
「夜勤の多い奥さんの負担にならないように、いつもおじさんが料理担当しているんだ。今じゃ手慣れたものだから1人分増えるくらい大丈夫だよ」
人が多いほうが楽しいでしょ? とお父さんが言うと、久家くんは「では、お言葉に甘えて」と話に乗っていた。
今日はお母さんは夜勤で、妹の美玖はバイトだ。だからお父さんと私だけの食卓に久家くんが混じっても特に影響は少ないのだ。
「あ。お父さん、冷蔵庫に久家くんが買ってきてくれたプリンがあるよ」
「ホント? ありがとうねぇ」
「いえ、お口に会えばいいんですけど」
そうそう、律儀な久家くんはうちの家族分のプリンをお土産に買ってきてくれたんだ。わざわざ途中のケーキ屋さんに立ち寄って。
別にいいと言ったんだけど、本当真面目だよね、彼って。
久家くんは終始仮面をかぶっているように見えた。
うちのお父さんを気遣って持ち上げて褒めたたえていた。
そこまでせずとも、と思ったけど、久家くんなりの気遣いなのだろう。
←
|
→
[ 74/107 ]
しおりを挟む
[back]
×
「#お仕置き」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -