森宮莉子は突き進む。 | ナノ
薬にはなりえない、毒。
「もうすぐ後期試験だろう? 君はそちらに集中するべきだ」
もうこれで澤井親子のお話は終わりらしい。
おじさんの言うことはごもっともだ。後のことは久家さんのお宅の問題だから、私が首を突っ込む真似はしないでおこう。
おじさんはその後で、『試験範囲でわからない所があったら今のうちにおじさんに聞くといい』と無料家庭教師を名乗り出てきたので、私はリュックに手を突っ込んでテキストを取り出すと遠慮なく質問した。
使えるものは友人のお父さん(現役医師)でも使う。こちとら一般庶民なので限りある範囲での勉強しかできない。なのでこういう申し出は大変ありがたい。
「森宮さんは拓磨のことどう思っているの?」
おじさんの教えを聞き漏らさぬようノートに文字を書き込んでいると、突然そんな質問をされた。
私は忘れないように急いでメモし終えると、その問いについて少し考えた。
どう、思っている……かぁ。
仲間、学友というのが簡潔な答えだけど、この場ではそういう回答を求められているんじゃないよね、多分。
「……出会った頃の拓磨さんは女嫌いをこじらせていて、当然ながら私ともそんなに仲良くなかったんです」
決していい出会い方ではなかったけど、今となっては割とインパクトの強い思い出になっている。
久家くんの場合、マイナスな印象をプラスに変える行動をいくつもみせてくれたからってのもある。
「素行の悪い人から追い詰められた私を庇おうと行動に出たり、矢面に立って守ろうとしてくれて……優しい人だなって思います」
彼がいなかったら私は早々に潰されていた可能性がある。もしかしたら目立たぬよう縮こまって過ごしていたのかもしれないのだ。
私が堂々としていられるのは、久家くんがさりげなく守ってくれているからなんだと今ではわかる。久家くんが持つ後ろ盾に私まで守られていると言っても過言ではない。
そんな優しい人なんだから、きっといい出会いに恵まれるはずなのに、何故だかごり押ししてくる女子が接近してきて久家くんの女嫌いスイッチを刺激してくるんだよなぁ。
「今回のことでまた女性不信が悪化したらと思うと心配ですね…」
私とも話せるし、私の友人含め下心のない女性相手なら普通に会話できるようになったから女性不信解消もあともう少しと思っていたのに、今回の澤井娘の行動はまずい方向に進んだんじゃないかなって心配になる。
「大丈夫。今の拓磨には森宮さんがいる。君が拓磨の心を開いてくれたんだから」
うむむ、と考え込んでいると、おじさんがそんなことを言ってきた。
視線を持ち上げておじさんを見ると、彼は穏やかに微笑んでいた。なんだろう、その子どもの成長を見た父親みたいな瞳。
「いえ、私はそんな大層なことは」
「わかるさ。私は拓磨の父親なのだから」
えぇ、今の話で何かわかりました?
私は首を捻った。
それでもおじさんは満足そうなので、私の回答は正解だったようだけど。
◆◇◆
息子のために久家くんの縁談をなしにする方向で動くとおじさんは言っていたので、もう大学に彼女が出没することはなくなったと思っていた。
「待ちなさいよ」
しかし、澤井娘は再び出現した。
仁王立ちになって私を睨みつけるその姿は、久家くんの前で見せていたお淑やかな雰囲気は一切見られない。
やっぱり猫被っていたんだな。
カフェで見かけたあの姿こそ彼女の本質なのだろう。
「なに? 何か用?」
「あんたがパパを脅したんでしょう!?」
唾が飛んできそうな勢いで怒鳴られたので私はすこし後ずさった。
感情に任せて爪で引っかかれでもしたら嫌だからね。
脅した、ねぇ。
それじゃまるで私が悪人みたいじゃない。最初に接触してきたのはそちらであろうに。
「違うね、私があなたの父親に脅されたから、自己防衛のために対処しただけだよ」
「あんた盗聴した内容をSNSに拡散するって言ったんでしょ!? 汚い真似をして!」
自分の父親がどんな発言をしていたのか知らないの?
人を貶した挙句に就職妨害するとか恐喝してきたんだよ。自分の立場を笠に着て、後先考えずに発言するから足元掬われるんだよ。
そもそもこの子に汚い真似をしてとか言われたくないな。
やってることすべて自分たちの欲を高めるためだけの行いで、久家くんサイドの気持ちは一切考えていない。
「汚いのはどっち? 交際相手がいるのに別の男と婚約しようとしたり、浮気宣言するような人に言われたくないな」
「な、」
「あなたは久家くんのことをアクセサリーとしか思っていないでしょう? 逆に考えてみてよ。あなたは久家くんにふさわしい人間かな?」
私から相手に喧嘩を売るつもりはない。しかし、相手側から売られたら買うしかないだろう。
私の反撃に対し、澤井娘は口唇をわななかせて震えていた。
「なによ! 医学部だからってお高くとまって!」
「学部のことは関係ないよ。今は人間性の話をしているの」
やれやれと呆れを隠さずに首を横に振る。
澤井娘が久家くんにとっていい人なら、学歴なんて関係ないよ。
学歴で測れるものなんて高が知れてるんだから。
久家くんを傷つける前提で、自分の欲望を叶えようとするその姿勢が気に入らないの。
あなたが本当に久家くんを好きならわかるけど、別にそういう感情を抱いていないでしょう?
「医者の嫁になりたいと考えるのは至極当たり前でしょ!?」
「そんな当たり前とか知らん。医者になるのは私だ」
そんな当たり前は即否定してやる。
私は医者の嫁になりたいと思ったことがない。何故なら私自身が医者になりたかったから。
医師の嫁になりたいという女子はちょくちょく見かけるけど、力説されても私には理解はできないし納得もしない。
「あなたは久家くんにとって毒にしかなりえない」
彼の女嫌いを治す薬にはならない存在。そんな女は久家くんに悪影響を及ぼすだけだ。
私は精一杯怖い顔で澤井娘を睨みつけた。
二度とおかしな真似をせぬよう、眼力で念押しするためにだ。
「あなたみたいな女が彼に相手してもらえると思わないで」
自分をどれだけ高く見積もっているか知らないけど、性格的にアウトだから。
どんな美女でも、お金持ちで権力ありのお嬢様でも、性格が自己中で不倫上等な人間なんかが久家くんの結婚相手になるなんて絶対に許さないし認めない。
「な、何よっ」
「暴力を振るってもいいけど、一気に私が有利になるからね」
彼女が手を上げたので、一応忠告だけはしてあげた。
カッとなって暴力に走ろうとしたのだろう。彼女は不自然な格好で動きを止めていた。
「今の会話も録音中だし。周り見てごらん? たくさん、目撃者がいるよ」
彼女に録音画面のスマホを見せると、止めていた手を再度動かして奪う動作を見せたので私はバックステップで避けた。父親と同じ手に引っかかっちゃってるね。流石親子。
会話に夢中になっていて気づいてなかったみたいだけど、私たち、複数の大学関係者の見世物になっているんだよ?
私はそれらを計算して、彼女の怒りを刺激する発言したんだけどね。
「あなたの一挙一動のせいですべてを失うかもしれないね? ……SNSって怖いよね。どうする?」
私はどっちでもいいよ、とにっこり笑うと、澤井娘は引き攣った顔で後ずさった。
「あ、あんた……馬鹿な真似したら絶対に許さないから!」
「それはこっちのセリフだよ」
この期に及んで生意気なことを言ってきたので私が真顔で返すと、彼女は小走りで逃げて行った。
ふん、口ほどでもない。
私はふん、と鼻を鳴らした。政治家の娘だからもっと口が回るかと思ったけどそうでもなかったな。
先ほどの会話録音はしっかり保存しておいた。何かあったときの切り札その2だ。父親の時よりパンチが弱いけどね。
◇◆◇
なんらかの襲撃とかしてくるかなと思っていたけどそれ以降何も起こらず。
澤井親子は目の前に出現しなくなった。
なんにも巻き込まれなかったのは、神経質になった久家くんが行き帰りの送り迎えをしてくれたからかもしれない。大学のある時は毎日律儀に送迎してくれたからね。私を守るという宣言を実行してくれたのだろう。
澤井代議士の権力を使って周りになにか仕掛けたかもと考えたけど、家族や大学も大きな変化はなく。
流石に政治家生命が無くなるリスクを考えて冷静になったのだろうか。私を敵に回すと厄介だと思われたのかもしれない。
久家くんと澤井娘の婚約の話は完全に消え失せたそうで、久家くんの周りは少し静かになった。
あれだけしつこかったのにいなくなった後はやけに静かで寂しさを覚えるほどである。
それによって寄付がなくなったんじゃないか、病院に影響はなかったのか心配になったけど、私は聞けずにいた。
だけど内心、ほっとしたのは事実だった。
こちらにどんな事情があったとしても後期試験は予定通り行われた。
色々あって正直心穏やかではなかったけど、試験は問題なく上位キープできたので本当に良かった。
ここで落として特待生じゃなくなったらあの親子の思う壺だったからね。
「今回もオール秀か?」
紙で成績表を受け取った私が足取り軽く歩いていると、久家くんが成績について尋ねてきた。
「うんもちろんだよ」
成績表を見せて、片手でVサインすると、彼の視線は成績表にずらりと並ぶ秀の文字を追っていた。
「流石だな。本当に莉子はブレない。あんなことがあって正直集中できなかっただろうに」
そうだね、煩わしいことは多くあったけど、特待生枠維持は私には負けられない戦いだから。自分に負けるわけにはいかない。
あとは常日頃の積み重ねの賜物なのかもしれないね。
「久家くんの献身的な送迎と、久家くんのお父さんのおかげだね」
「? なんで俺の父がここで出てくるんだ?」
「内緒ー」
久家くんが不思議そうな顔をしていたけど、彼の疑問を解消するつもりはない。
下手したら澤井娘の不快な本音を聞いたって話までしなきゃいけなくなるだろうし、今となっては彼女の話を口に出したくないから。
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