森宮莉子は突き進む。 | ナノ
本音
私とは少し異なる劣等感を久家くんも同じく抱えていると知って動揺した日から数日。
相変わらず久家くんの前にいると落ち着かない気分にさせられるが、以前と変わらない態度で接することができている。
あの時、久家くんはどう頑張っても私に勝てないことを悔しく思っている的な事を言っていた。
冷静になった今は半分くらい盛ってないだろうかと疑っている。
だって大病院の跡継ぎ息子よ? きっとこれまで学費のことを気にすることもなかっただろうし、親の存在も大きく、ヒエラルキー的な意味でも苦労したことがなさそうな彼である。
もちろん、医者の息子ということでプレッシャーはあっただろうけども、久家くんにはそういう気負いは感じない。成績が悪いわけじゃないし、サークル活動する余裕もあるし、そこそこの成績で満足しているものだと思っていた。私に追いつこうとしているような素振りなんて全く見えなかったのに。
私は家族のことを考えて必死に特待生の枠にしがみついているだけ。その為だけになにもかも捨てているとは言わないが、その為に犠牲にしたことは少なくないんだ。
──私からしてみたら、お金のことを考えずに大学に通える彼のほうがよほど恵まれていて羨ましいと思うんだけどなぁ。
……正直、医学部に通うようになって、家のコネって大きいなぁって感じることも増えたし、後ろ盾のない不安定な私のどこを羨むのだろうか。
隣の庭の芝は青く見えるのかな。
やっぱり私とは違う。
久家くんの考えてることってよくわからないや。
◇◆◇
「おんも…っ」
別の図書館から取り寄せを頼んでいた蔵書が届いたと図書館から連絡があり受け取りに行った土曜の昼下がり。
医学関連の専門書だったのだけど、想像よりも重くて私は小さく呻いた。
こんなことならキャリーケースを持っていけばよかったかもしれない。本を入れたリュックサックが私の肩をえぐってくる。ちょっとした筋トレと思って帰れって事だろうか。
定期が使える範囲の駅まで歩いて移動していたのだが、駅前通りの店からふわぁと挽きたてコーヒーの香りが漂ってきた。
「だって大病院の息子だよぉ? かなりのイケメンだし。勝ち組っしょ」
コーヒーの誘惑を振り切って店の前を通り過ぎようとして……ぴたりと足を止めた。
なぜだか、引っかかるワードが聞こえてきたからだ。
声のするところは、出入口付近にあるカフェテラスだ。寒さ対策のために各所にヒーターが置かれてあり、冷たい風が入ってこないようにビニールカーテンで覆われているのだが、その声はやたら大きく聞こえた。
なぜなら、私はビニールカーテン越しにその人物の真後ろにいたから。
「意中の女いるみたいだけどー…逃すわけ無いじゃん」
「別れさすの?」
本人は私に背を向けているので気づいていないようだ。
友人らしき女友達が面白そうに問うと、彼女はキャハハッと笑う。
「見合いを断ったら寄付をやめるってパパが脅したし、あの女は地味そのものだから余裕だって。うちとは長い付き合いだから、断れないに決まってる。うちのパパ怒らせたら怖いんだから」
……顔は見えないけど声でわかる。
それに頭から肩、背中にかけての骨格の作りも彼女に似ている。
髪の毛のカラーだけは先日遭遇した時よりも明るくなっているけど、恐らく染めたのだろう。
それに寄付とか、脅すとか、ここ最近耳にすることの多かった単語である。
「女慣れしてないのか、腕に触ると緊張するんだよねあの人ー。頭硬そうだし、一回ヤれば落ちそう。初めてなのにって脅せば責任とってくれるっしょ」
「本命いるくせにやばい女だなー、史奈ってば」
「結婚となれば話は別だって。医者って多忙だから浮気しててもバレないだろうし」
ぺらぺらと楽しそうにネタ晴らしをする女……澤井娘は、久家くんとの結婚は家柄やお金目当てだと自慢話のように暴露していた。
それを棒立ちしていた聞いていた私は、身体を流れる血液がボコッと泡立った気がした。
ふざけるな、久家くんの心を置き去りにして、脅しみたいな真似をしようとして……!
しかも彼氏がいるみたいな口ぶりじゃないか!
なんなの、この親子は。利用して裏切ってやる前提で久家くんの人生を奪おうとしているの……!?
「しかも、お手伝いさんに作らせた弁当をあたかも自分が作りましたアピールしてんのこの子」
「印象付けるには手作り弁当かなと思ってー」
久家くんに惚れて彼のお嫁さんになりたいのだと言うのならまだよかった。
それですらないと。
彼はひどい失恋をして、それから女性不信に陥ったというのに。彼の心の傷口に塩を塗り込むつもりなのかこの女はっ…!
私はぎゅっとこぶしを握った。ぎりりと奥歯が擦れ合う音が耳に響く。
怒りで目の前が真っ赤になるというのはこういうことなのか。もう黙っていられない!
ビニールカーテンの向こう側にいる澤井娘に一喝しようと、私はそれに手を掛けた。
──ぐいっ!
しかし、それは未遂に終わる。なぜなら後ろから腕を掴まれたからである。
邪魔するのは誰だと苛立ちを混ぜて荒々しく振り返るとそこには久家くんのお父さんがいた。
それに私は一気に毒気が抜けた。
なんで、おじさんがここに……?
彼は私に静かにするよう合図すると、私の腕をやんわり握ったままその場から引き離した。
えっ、いつからいたの?
今の話、どこから聞いていたの?
いろいろ聞きたかったけど、前を歩くおじさんは一刻も早くここから離れたかったみたいだ。
息子が利用されそうになっていたんだ。怒り狂ってもおかしくないのに、感情が見えない。彼の背中は何を考えているのかわからなかった。
おじさんに引っ張られて連れてこられたのは、オフィスビルの一階にテナント間借りしているコーヒーチェーン店だった。あ、ここ、大学近くにあるショップと同じチェーンだ。
澤井父とのあれこれを思い出して苦々しい気分になる。
前払い制なのでカウンターで自分の飲み物を注文すると、おじさんがまとめてスマートにお金を払ってしまった。財布から自分の代金分の小銭を出そうとしたけど、笑顔で押し切られる。
ここは人生の先輩の顔を立てておいたほうがいいのだろう。ご馳走になります。
「……久家さんは、どうしてこちらに?」
私が恐る恐る話を切り出すと、おじさんは小さく笑顔を浮かべた。
あれ、その笑い方久家くんにちょっと似てる。顔立ちは似ていないのに不思議なものだ。親子だからかな。
「うちの病院と協力関係の病院がこの近くにあるんだ、そこへ挨拶にね」
そういえばこの辺にはちょっと奥まった場所に中規模の総合病院があったな。
「病床不足や、診療科の医師不足などの問題を補うために、よその病院同士での連携があるんだよ」
「あぁ、なるほど。医師は部分的に不足してますもんね……」
「悩ましいことにね」
訴訟リスクや、多忙レベルに合わせて進路選択する医学生も多く、診療科医師の割合は偏っている。
例えば救急救命医や麻酔科医などは人手不足で有名である。人手が足りないから限られた医師のみで回してこき使われた貴重な医師が過労でつぶれる、なんて話も珍しくない。
「用を済ませて駅前を歩いていたら森宮さんに似た女の子がいたから声を掛けようとしたらあんな場面に出くわすとは。世間というものは狭いね」
おじさんから切りだしてきた。この口ぶりだと、重要な発言は全部聞いていそうだ。
父親としてこの縁談について本当のところどう考えているんだろう。以前お食事に御呼ばれした時は、お見合いと言っても会うだけだからってスタンスだったと思うけど、実際には寄付金が断たれるのは痛いんじゃないだろうか。
「拓磨のために怒ろうとしてくれたんだろう? ありがとう。でも森宮さんが火を被る必要はないんだよ」
私の心を見透かしたような言葉にぎくっとした。
安心させるように優しく言われたけど、今回の一連の流れを思い出すと納得できなかった。
「煮え切らないって顔だね」
ふふふと笑われて、私は表情を取り繕う。
キリッとしてみたけど、今更取り繕ってもおじさんには私の気持ちが丸わかりな気がする。
「あの澤井先生のお父様と私の父が旧友だったんだ。生前は市民のためにとご厚意で寄付をしてくださるお方だった。それが世代代わりしても続いていたんだけど……息子さんはそうじゃないようでね…」
父親…つまり澤井娘にとっての祖父は、見返りを求めずに厚意で寄付していたけど、その息子はそうじゃないということなのだろう。
寄付って見返りを求めてやるものじゃないんだけどなぁ。
「大丈夫、私たちは我が子が苦しむような選択をすることはない」
おじさんはそう言うけど、今現在も対応に苦慮しているんじゃないの? あの親子は力でごり押ししてくるんじゃないかな。そんな気がする。
……あのおっさんはこのままにしておけない。
やっぱりあの音声データを拡散してやろうかとほの暗い感情が沸き上がってきた。
「森宮さんが録音してくれたあのデータがいい仕事してくれたから」
やっぱり私の心を覗き見しているんだろうか。もうすでにあの録音を活用した後らしい。
割とおじさん、澤井代議士にむかっ腹立てていたとかそういう……どう活用したかそこんとこ詳しく…
「私は我が子を人身御供にするほど落ちぶれたつもりはないんだ」
にこにこ笑っているけど、その笑顔の裏に怒りを感じる。
全然感情が見えないと思っていたけど、実際はとてもお怒りだったようである。
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