森宮莉子は突き進む。 | ナノ
心拍数の異常を検知いたしました。
大学の構内の一角で私と久家くんは対峙していた。
屋外なので、完全なふたりきりというわけではない。しかしこれまでの事を考えるとやっぱり気まずくて彼と目を合わせられずに靴をじっと凝視していた。
「ごめん、莉子を巻き込む形になって」
久家くんが告げた言葉は謝罪。
怒られているわけではないのに、私はびくっと肩を揺らしてしまった。
「母さんに聞いた。澤井さんの父親と会ったんだろう?」
確認するように聞かれたそれに私は声を出さずに頷く。
久家家にチクったくらいなのでおそらく私を悪者に仕立てて、クレームつけたんじゃないかな。
「おばさんはなんて言ってた?」
「『目上の者を敬わず、挙句の果てに失礼なことを言われた』と聞かされていたらしいけど、澤井さんが莉子を怒らせるようなことを言ったから反論されただけだろうって母さんは想像しているみたいだ。……録音していたらしいだけど、それは本当か?」
案の定である。
あのおっさん、どうして私に反論されたのか皆まで話さなかったんだ。
私には切り札があるというのに、馬鹿なことをする。なんという小者なのか。拡散されたいのだろうか。
「うん、最初から最後まで録音したものを残してる。また私に接近したら弁護士通じてこれを使うって警告もした。ついでにSNSで拡散するかもよとも言った」
「そうか……」
久家くんは疑う様子もなく私の言い分を信じたみたいだ。
証拠のデータを確認せずとも私の言葉を信じている。──よほどあのおっさんは信用ないのかな。
「だけど解せない。莉子が俺を避けるには理由が足りない気がする」
理解はしたけど納得はしていないらしい。
私は口ごもった。本当の事を言ったらがっかりされそうな気がして。
もちろん、澤井娘が鬱陶しいから、一緒にいる久家くんを避けていたというのもある。しかし大きな理由は私の中に芽生えた劣等感に似た感情からである。
「莉子?」
「……本当のこと言って失望しない?」
「まさか、するわけがない!」
念のため確認すると、久家くんは大げさに否定した。
本当かな。知ったらがっかりするんじゃないの。表に出さずとも内心で。
だけどここまで来たら本当のことを言わなくては納得してもらえないし、私も自分の感情に振り回されて久家くんを避ける行動をしていたという負い目もある。
腹をくくるしかないのだろう。
「……澤井代議士は、私と久家くんが恋愛関係だと思いこんで、娘のために別れさせようとしていたみたい」
自分で言っていてなんだか情けなくなってきた。
久家くんと私がそういう関係になるわけがないのに。
「何を言われても、最初はスルーしようと思っていたんだけど……医学部だから偉そうとか、可愛げがないとか、久家くんに相応しくないとか身の程知らずとかボロクソ言われてさ、さすがに腹が立って反論したら、」
「あの人からそんなことを言われたのか!?」
まだ私の話の途中なのに、カッとなった久家くんが大きな声を出したので私はビビッて後退した。
怖いんですけど。
「あ、ごめん。莉子に怒ったわけじゃないんだ」
「う、うん……」
「莉子は可愛い。着飾っても、そのままでも綺麗だ。俺は莉子の魅力をよく理解している! あちらの目が節穴なだけだ。鵜呑みにするな」
力説されて、私は一瞬息が止まった。
なんでこの人恥ずかしげもなくそんなこと言うの…。
「あ、ありがとう…」
「身の程知らずで相応しくないのはあちらの方だ。うちの両親を脅した上に莉子にまで絡んできて…許せない」
ギリィ…と久家くんの拳が握られる。
私が言われたことなのに、まるで自分の事のように怒るんだね。
「…それで、面と向かって就職妨害すると脅されたから、私も録音したものを拡散する、また絡んできたら弁護士に対応してもらうって返して逃げてきたの」
また話の腰を折られたので、簡潔に説明し終えると、久家くんは悪鬼のような形相をしていた。
イケメンが台無しである。
「莉子、録音データを俺に送ってくれないか? 両親に聴かせて今後のことを相談する。抗議しなくては」
「…逆上してまた突撃してこないかな?」
「その時は俺が全力で莉子を守る」
全力で、私を守る…?
またもや人に聞かれたら誤解されそうな発言して…。
私だからいいけどさ、久家くんはもうちょっと気をつけたほうがいいよ。
胸がむず痒くて緩みそうな頬を隠すようにして、私は久家くんからそっと目をそらした。
「私ね、生まれ育ちこそ久家くんとは違うけど、同じ医学部の学生としてそれなりに信頼関係があると思っていたの。だけど、あのおじさんに言われて、劣等感ていうのかな? 嫌な感情でいっぱいになっちゃって、それを知られたくなかったんだ」
それがここ最近避けていた理由だと暴露すると、彼は鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしていた。
「劣等感なんて…」
久家くんの口からため息交じりに吐き出された劣等感という単語。
私のこと、呆れてしまっただろうか?
私だって自分の心の変化に驚いているんだよ。どうしたらこの感情を消化できるのか解らなくて悩んでいる最中なんだ。
「莉子」
名前を呼ばれて恐る恐る視線を向けると、久家くんが私を見つめていた。
てっきり呆れ返った表情をしているものだと思ったけど、彼は真剣な眼差しだった。
「医者家庭出身じゃない莉子に負けっぱなしで、どんなに努力しても君には追い付けない俺だって劣等感を抱いている」
「……へ?」
まさかの暴露に私はぽかんとした。
久家くんが、私に劣等感だって??
「いやいやいや……」
「嘘じゃない、本当だ。これはおそらく俺だけじゃなく、似たような境遇の人間は同じく莉子に対して劣等感があるはずだ」
慰めで言ってるのかと思ったけど本音なのだと言う。
ええ、でもさぁ、明らかに医者家庭の子のほうが恵まれてるじゃん? 劣等感持たれる理由なくない?
「莉子にとってそれが普通でも、俺達にとってはそうじゃない。自分が情けなく思うことは多い。……それでも、腐らずにいられるのは、君が一生懸命だからだ」
苦笑い混じりの微笑みを向けられた瞬間、ドクン、と心臓が強く鼓動した。
「君に追いつきたくて必死なのは俺のほうだ。莉子は俺の憧れなんだよ」
ドクン、ドクンと心臓が痛いほど脈打つ。
そんなの知らない。
私に憧れてるとか、追いつきたいとか……
あれ、なんで私こんな……
顔が熱い。彼の顔を直視できない。
なんだかよくわからないけど恥ずかしくて泣きたくなって、私はその場から走り出した。
「莉子!?」
突然駆け出した私に驚いた久家くんが呼び止めたけど、今の私は彼に顔向けできなかった。
走って逃げていると、近くで待機していたらしい北堀くんが「やっぱり何かされたの!?」と駆け寄ってきた。
すぐさま壁になってくれ、久家くんから庇ってくれた。
「ちょっ、どいてくれ!」
「ダメだよ! お前なんかいやらしいことしたんだろ! このムッツリ眼鏡!」
「してない!」
追いかけてきた久家くんと北堀くんが取っ組み合いになってワチャワチャしている後ろで、私は熱い頬を両手で隠して俯いていた。
ちがう、何にもされてない。
おかしいのは私。
こんな気持ち知らない。
自分の中に生まれた初めての感情が理解できず混乱しているのだ。
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