森宮莉子は突き進む。 | ナノ
胃洗浄、若しくは点滴投与で処置いたします。
タトゥー男は警察署へドナドナされた。
弓山さんはレイプドラッグ未遂の被害者として警察に証拠を提出しないといけなくなり、薬物検出のため病院へ送られた。
ろれつの回らない状態の弓山さんは意識が危うく、とてもじゃないが自力で歩行できる状態ではなかった。そのため、病院まで送ってくれたパトカーを降りると病院のストレッチャーをお借りして運び出された。
救急外来の人には警察の人が事情を話してくれたのでその後のことは割とスムーズであった。
今日の宿直に専門医はいないとの事だったが、救急外来には睡眠薬や向精神薬、あるいは市販薬をオーバードーズする人がたまに搬送されるそうで対応自体は問題ないようだ。状況に応じて胃洗浄や点滴投与がされる。
アルコールと睡眠薬を同時併用すると、強く効果が現れると同時に肝臓に過剰な負担がかかる。その上予期せぬ副作用も考えられる。
その症例として、せん妄や幻聴、健忘などである。それらに加えて依存症に陥る可能性もあるので、禁忌とされているのだ。
女性の体の自由だけでなく、思考判断能力を抑え付けようとするあのタトゥー男は人間のクズである。
もちろん、弓山さんも無防備すぎたと思う。
しかしそれらを念頭に置いておいても悪いのはあの男だけである。絶対に許されることではない。法律が許してくれるなら、私は喜んでパイプカットしに行く所存である。
実際には許されていないので私には何にもできないんだけども。
それにしても飲み物に睡眠薬入れる奴って本当に存在するのか……自分にはあまり関係ないと思っていたから、ある種の都市伝説の様に感じていた。
混入してもバレないってのがなぁ。変なにおいがするとか、味が酸っぱいとかなにか工夫できないのだろうか。
◇◆◇
「お母さんが到着するまで病院で付き添いしていますので、どうか落ち着いて事故に気を付けていらしてください」
『はいっすぐに向かいますっ』
電話の向こう側の相手にそう告げるも、相手は気が動転しているようで慌てた様子で通話を切られた。
当然か。娘が性被害に遭いかけた上に薬を盛られたのだもの。
スマホの待ち受け画面を見下ろして、私はため息をひとつ。
まさかこんな騒動に巻き込まれるとは。
いや、自分から首を突っ込んだから巻き込まれに行ったともいうけどさ。
一時期トラブル続きで警察や弁護士さんとのお付き合いが多かったけど、最近は落ち着いたと思っていたのになぁ。自分のことじゃないからノーカウントになるんだろうかこれは。
そもそも疑問だ。久家くんを好きになったくせに、どうしていきなりあんなやばい男に引っかかるんだろう……?
正直、弓山さんの人となりはよくわからない。だけど男に簡単になびくような女性ではないと感じている。……あのタトゥー男にはそれなりの魅力があってのことなんだろうか。私には輩にしか見えなかったが、人には好みってものがあるもんね。
「…なんで、ほっとけばいいじゃない。…わたしのこと、選んでくれなかったのに」
彼女のお母さんとの電話を終えて弓山さんがいる場所に行くと、そんなつぶやきが聞こえてきた。
ひょこ、と覗き込むと、病院の待合室にある長椅子の上で横になっている彼女が、付き添っている久家くんにそんな言葉を吐き捨てていた。
話せるまで回復したならよかったと安心する前に、彼女の泣きそうな声になぜか私は切なくなってしまった。
弓山さんはあれを放ってほしかったのだろうか。あのタトゥー男に不同意行為を働かれてもよかったのだろうか。
「……あなたを放って置けなかったのは莉子です。俺じゃない」
それに突き放すような返しをしたのが久家くんだ。
こんな時まで冷たくしなくてもいいのに、と思いつつもそれが彼って人間だ。
「弓山さん、莉子が気づかなかったら今頃あなたは大変なことになってましたよ。動画や写真を撮られでもしたら泣き寝入りしなきゃいけなかったかもしれなかった。それをわかっていますか?」
久家くんが可能性の一つを挙げると、彼女は自分の目元に手を載せて隠していた。
そうだぞ、私にもっと感謝するべきだ弓山さん。そして反省するべきなのだ。
「就職も決まって後は卒業を待つだけなんですから、馬鹿な真似はよしたほうがいいですよ」
被害者であっても事件に巻き込まれたと公になれば、噂になるってものだもんね。
久家くんなりに心配してかけた言葉のようである。
「私は拓磨くんを忘れたかったの! それなら相手は誰でもよかったの!」
弓山さんは八つ当たりの様に叫んだ。
なんだそれ、当てつけみたいな真似だな。
「薬を仕込まれるなんて思わなかった……怖かった」
すすり泣きする弓山さんに久家くんは特に何かするわけでもなく、隣の長椅子に座って沈黙していた。
今の彼女に何を言っても感情的になって返ってくるだけだろう。そもそも久家くんは弓山さんを苦手としている。こうして付き添いしてあげているだけでも十分譲歩してあげているのかもしれない。
私はそこに恐る恐る入っていく。
「あの、もうすぐお母様がいらっしゃるそうです」
どのタイミングで言うべきか迷ったけど、会話が止まった今を見逃さなかった。
私が戻ってきたと気付いた弓山さんは顔も見たくないと言わんばかりに、そっぽむいた。
べつにいいけどさ。
「お礼なんか言わないから! あんたが勝手にやったんだから!」
「別にいいですよ。あそこで見捨てたら。私がスッキリしないからやった事ですし」
あなたからのお礼は期待してないと言うと、彼女は忌々しげに舌打ちしていた。
綺麗な顔が台無しである。
「あんたのこと嫌い」
「はぁ、どうも」
「ホントそういうところ腹立つ!」
じゃあどういう返しをすればいいんだ。
私も同じ気持ちですって言ったら対抗する子どもみたいだし、私は好きですとは嘘でも言いたくないし。
無言で返したら返したでこの人噛みついてくるだろうしさ。
全くもって面倒くさい人である。
「本当に、この度は本当にありがとうございました!」
「いえいえ」
迎えに来た弓山さんのお母さんが私にぺこぺこお礼するそばで、弓山さんはブスくれた顔で横になったままだった。
「ほら夏帆、ちゃんとお礼言いなさい!」
「なんで私が」
「あんた! この子が気づかなかったら今頃どうなってたかわかんないの!?」
お礼を言えと促されて不満を露にすると、お母さんにぺしっと太もも付近を叩かれていた。
「じゃあ私たちは帰りますので、後はよろしくお願いします」
「帰りのお車代を」
「いえ、結構です」
お礼にとお金を渡されそうになり、キッパリ遠慮したけど、相手の気は済まなかったようだ。
「そんなそんな、はした金なのでどうか受け取ってください!」
「ちょ」
娘に似て強引なお母さんは私のジャケットポケットに折りたたんだ数千円をねじ込んできた。
それを返そうとやり取りを繰り返したが、相手が「お礼ですから!」とゴリ押しするもんだから、私は諦めた。
「……駐車場代とガソリン代に使わせていただきます」
予定外の事が起きて駐車場代も跳ね上がっているであろう。それらに使わせてもらうことにしよう。
弓山母娘と別れて病院を出ると冷たい風が吹き付けてきた。季節はもう冬に近いな。
この病院からコインパーキングまでバス2つ分くらいの距離だ。
救急病院が近場だったのがラッキーだった。残念ながら時間が遅いのでもうバスは走っていない。
だけどこの距離だとタクシーを使うほどでもないし、私たちは歩いて移動することにした。
「あ、飲み代いくらだった?」
あの状況だったので、私が気づかないうちに彼にさらっとクレカ決済されちゃったんだよ。
財布を取り出してお金を出そうとしたら、久家くんは首を横に振った。
「俺が誘ったから払わなくていい」
言うと思ったー! このお坊ちゃまめ!
私と久家くんは同級生で同等なんだからそういう心遣いはいらないって言っているのにさ!
「そんなこと言うなら今度高級な店に誘っちゃうよー。私の奢りで」
脅しの様に私が提案すると、久家くんがフッと笑った。
「莉子の財布の中身が大変なことになるけど、それでもいいなら」
ひ、人の足元見やがって。
当たっているけども! そうさ、私の財布の中身はそこまで裕福というわけじゃないさ! お高いお店に入れば一瞬で破産するに違いない!
「じゃあ食堂! 大学の食堂で特盛スペシャル奢ってやる!」
私には食堂1年フリーパスという味方がいるんだもんね!
おなかいっぱいでもう食べられないとギブしても食べ終わるまで帰らせないぞ! と宣言すると、久家くんはにっこりと自信満々に「楽しみにしてる」と言って笑っていた。
←
|
→
[ 62/107 ]
しおりを挟む
[back]
×
BLコンテスト・グランプリ作品
「見えない臓器の名前は」
- ナノ -