森宮莉子は突き進む。 | ナノ
心臓の音が早いですね。胸は苦しくないですか?
「酒の席に参加するときは必ず俺に知らせてくれ」
あの日以降、久家くんが飲み会の時は必ず自分に言うようにって念押ししてきてそれが若干うざい。
パパうざーいと言ってもノーダメージらしく、受け流された。最早パパ気取りらしい。
研究室の飲み会では酔い潰れるという失態を見せてしまい情けなく思っていたが、研究室の面々は心配の言葉をかけてくれた。
なにか泥酔して迷惑をかけていないかと聞いてみたが、森宮さんは酔っぱらって寝ていただけだから特には、と返される。
本当かな、絡んだりとかしてない?
じゃなきゃ久家くんがあそこまで心配してくることないと思うんだけど。
あの先輩もそうだ。
聞くところによると、彼が久家くんに連絡してくれたのだという。
「あの男に何かされなかった?」
「え? 特には……普通に家まで送ってくれましたけど」
「そう」
先輩に聞かれたのはそれだけ。
それ以降はいち先輩として指導してくれた。私も研究の方に没頭していたので、先輩を特別意識することはなかった。
──そして研究室での実習期間は何事もなく終了し、いつものような座学中心の毎日が戻ってきた。
◇◆◇
オムライス
トマトのチキンソテー
ケチャップと赤ワイン煮込みハンバーグ
チキンライス
トマトサラダ
にんじんサラダ
トマトを使ったジュレ
ミネストローネ
ボルシチ
トマトジュース
グァバジュース
アセロラジュース
紅茶
赤を前面に押し出したメニューが一覧表に並ぶさまは異様であり、執着のようなものを感じる。
血をイメージしているんだろうけど、いくら何でも赤々しすぎる。
大学入学して3回目の大学祭が開催された。
例年通り、私が部長を務める教養サークルは発表会という地味な出し物ゆえ、個別に発表テーマを精査して準備する手間はあっても、設営などの大掛かりな作業はないのでそこまで忙しくはなかった。
一方の久家くんは今年も所属サークルで医学部を前面に押し出した出し物に参加していた。
去年同様病院を模した施設は清潔に保たれており、明るかった。
そこで白衣に聴診器という古典的なお医者さんコスプレでお出迎えした久家くんは、甲斐甲斐しく私をおもてなししてくれた。
「今日はどこが悪いんですか?」
私の前に座った久家くんが優しく話しかけてきた。
「お酒が弱いのにとても困っています」
「アルコールを控えましょう」
真面目に悩みを打ち明けたのに、ドクター久家くんは素っ気ない返事をしてきた。
こっちは普通に悩んでいるのに。これからお酒の席に参加することが増えるだろうに毎度毎度泥酔して記憶をなくしてしまうのは困るんだよ。
どうしたら酒に強くなれるかが聞きたいのに、元を断ってしまったら何も変わらないじゃないか。
髪をかき上げてセットした彼は普段よりも大人っぽく見える。
そんな彼に接客されている私はビシバシと女性からの注目を浴びまくっており、その中にはあの攻撃的な看護学科生弓山さんの姿もあった。
彼女はナースコスをしているようだが、昔懐かしのナース帽&ワンピーススカートスタイルだったので、いけないお店に来てしまったような錯覚をしてしまう。
今の看護師さんってパンツスタイルが主流なのに。ナースキャップもしてないのに……スケベな男性客からセクハラに遭わなきゃいいね、とずれた心配をしてしまう。
「お待たせしました、オムライスです」
がちゃんと音をたててテーブルに置かれたオムライス。
配膳してくれたのはナースコスな弓山さんだった。
ここではドクターが接客、ナースが配膳というシステムなんだろうか……と辺りを見渡したけど、そんなことはない。ナース姿のお姉さんがお客さんとおしゃべりしている光景もある。
「久家くん、他の席回らなくていいの?」
こそこそと小さな声で彼に確認すると、久家くんは「朝から接客しっぱなしだったから今は息抜き中」と返した。私は構わないけど、後でなんか言われないだろうか。
彼が私の席から離れないので、弓山さんからギロギロ睨まれる始末である。
「ちょっとチクッとしますよー」
そんなこと言いながら、運んできた出来立てオムライスにケチャップ入り注射器もどきを注入する白衣コスプレをした同期を見ると何とも言えない気分になる。
「久家くん……虚しくならない?」
「それを言うな。なりきるのに必死なんだこっちは」
聴診器を首から下げた久家くんはドクターになりきって、私が注文したお料理に医療行為もどきを施していた。
チクッとしますよーと言われても処置されているのは私ではなくてオムライスだし、そもそもオムライスの元である素材の数々はもう痛みを感じない状況だし。
それ考えたらこの人何してんだろうと思っちゃうよね。それがこの店のコンセプトだとしてもだ。
久家くんは指摘を受けて恥ずかしくなったのか頬を少し赤らめて私から目をそらしていた。
私はふと、彼の首に掛けられた聴診器に意識が向いた。
聴診器使うお医者さんって今減っているけど、実際に心臓や肺の異音を確認するには確実なんだよね。
「その聴診器って本物? 貸して貸して」
私が手を伸ばすと、久家くんは首から聴診器を外して私に手渡してくれた。イヤーチップを耳に装着すると、チェストピースを持ち上げてきりっとした顔を作ってみた。
「胸の音聞きますねー」
ずいっと手を伸ばして、シャツの上から久家くんの胸の音を聞いてみる。
「息を大きく吸ってー吐いてー」
目を閉じてじっと耳を澄ませる。
雑音はない。綺麗な音だ。
ドクン、ドクン、と健康的な心臓の鼓動音が聞こえるけど、なんか……すこし早いかな?
「心臓の音が早いね? 体調悪い?」
閉じていた目を開いて久家くんの顔を伺うと、久家くんは無言で私の耳からイヤーチップを取り外し、自分の耳に装着していた。
「体調は悪くない。大丈夫だ。…すこし冷たいかもしれない」
今日の私はデコルテを出したタイプのカットソーを着用していた。
ぺとっと肌に直接触れた聴診器のチェストピースはひんやりしていて冷たかった。
心臓の音を聞いているだけ。それなのだけど、なんだか妙に緊張してしまうのはなぜなのか。
お医者さんごっこしているから恥ずかしくなってきたのかな。いや、医学生なんて毎日がお医者さんごっこそのものなんだけどさ。
「……早いな。莉子こそ体調が悪いんじゃないか?」
そう言って耳からイヤーチップを外すと、久家くんは私の首をそっと両手で包み込んできた。
急所である首に直接触れられたものだから私はドキッとした。
あたたかくて大きな手が私の身体の調子を確かめる。触れてくる指先がくすぐったくて背筋がぞくっとする。
私の顔色を窺うようにじっと観察してくるその表情にやましいものはなにも伝わってこない。私が過剰反応しているみたいじゃないの。
久家くん、医療行為のつもりかもしれないけど、流石にそれはやりすぎなんじゃないでしょうか……
「久家さぁん! 私も診てぇ!」
がばりと久家くんの首に背後から抱き着いてきた子泣き爺女子は、固まっている久家くんの反応に気づいておらず、ぎゅむぎゅむと彼の背中に自分の体を押し付けていた。
「その人ばっかり接客しないでくださいよー」
甘えた声でおねだりしてくるこの女子は知っている。うちの大学の医学部の一サークルと縁のある聖ニコラ女学院大学の学生だ。
新入生ほやほやだった私が不快な思いをさせられたあの婚活サークルの一員であるから。そして何度か罵倒してきた相手だから嫌でも忘れられない。ちなみに名前は知らない。
この人、婚活サークルだけじゃ飽き足らずに、久家くんにまで手を掛けようとしているのか。
去年の文化祭でも久家くんに付きまとって困らせていたよね。この人は手当たり次第な感じがするから不快感があるんだ。
医学部運動サークルでは他大学の学生は参加できないからある意味守られているけど、大学祭という開けたイベントではこの機会を逃すかと言わんばかりに接近してくるんだから。
久家くんを恋い慕う弓山さんも苦手だけど、彼女は久家くんに一直線だからまだマシだ。
この、医学生男子なら誰でもオッケーな見境なし婚活女子は不快すぎる。
久家くんに触らないでほしい。汚らわしいな。
「胸押し付けてる、逆セクハラだー」
私が非難の声を上げると、女子学生はぎょっとしていた。
まさかセクハラ扱いを受けないと思ったが。男女別になったら完全に案件となっている行為だぞ。
「せ、セクハラって私は別に!」
「久家くんが怯えてるじゃん、やめてあげなよ」
相手の感情を考えずに押し付けるのはもはや好意ではなくて嫌がらせだからな。
私は席を立ちあがると、久家くんに抱き着く女子学生を力ずくで引き離した。
「久家くん大丈夫かい?」
もう大丈夫だ、ここに私がいる限りは。
彼の背中を撫でて擦ってあげると、強張っていた彼の肩が弛緩していった。
もう大丈夫だなと彼の肩をポンポンと叩くと、その手を久家くんが攫って行った。きゅ、と痛くない強さで握られた手。
なんだろう、私の手を握っていたら安心するんだろうか。
私は女ではない位置づけに置かれているから安全だと思われている……?
それはそれで複雑な気持ちになるな。
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