森宮莉子は突き進む。 | ナノ
最先端の技術を用いて細胞を遺伝子レベルで分析いたします。
医学科3学年で基礎医学が終わるため、うちの大学では後期に入ると基礎医学系の研究室配属がある。
数ヶ月ほど先生方に一対一、もしくは少数精鋭の研究室メンバーに教わりながら医学研究の経験を積むことになるのだ。
普段教科書とにらめっこしての勉強ばかりの学生たちにとって貴重な機会である。
私が今回配属されたプレシジョン医療学分野。
患者一人一人にあった個別の治療を検討する分野で、ガン治療にも大きく関わっている。
ガンで言えば、臓器別・部位別に確立された治療法があるが、人によっては合わない場合がある。
そのミスマッチを無くすためにゲノム情報、生活習慣などさまざまなデータを活用して、患者さんにより適した治療法・予防法をみつけるのだ。
研究室では、英語論文の抄読会や研究室メンバーの実験様子の見学、関連する実験が行われる。
私も一介の医学生なので論文は目にするが、外国語の論文は訳することに没頭しすぎて論文の内容があまり頭に入らないこともある。もっと英語力を付けなくてはと猛省する。
教授に論文の読み方のコツを教えてもらい、以前より要点を掴みやすくなったと思う。
学ぶことをやめない人たちの間で学ぶのはいい刺激となり、自分も頑張らなくてはという気分にさせられた。
研究室内では、実物は初めて触る測定機器や、初めて聞く専門用語が飛び出してきた。
毎秒が学習のチャンス。ここでは知らないことが多すぎて、私の知識欲に火がついた。
慣れない実験も教授や先輩がそばについて指導してくれたので徐々に手馴れてきた。
モニターに表示される細胞の変化を眺めていると、ふと小学生の時に初めて電子顕微鏡を覗き込んだ瞬間を思い出す。
川の水の中にいる微生物をレンズ越しに眺め、生命の不思議について考えた小学生の私は今こうして、医学部で生命について学んでいる。妙に感慨深い。
あんなに小さな生き物が身の回りで生きていることが不思議で仕方なかった。
世の中には誰も知らない生命体が存在するのだと考えると、ほんの少しの恐怖とそれを覆い隠す好奇心に満たされたあの頃の私が、今の私を見たらどう感じるだろうか。
時間を見つけては、他の研究室の見学にも出向いた。もちろん先方にお邪魔していいかアポを取ったうえで訪問している。
他の友人たちが所属された研究室にもお邪魔した。
真歌は免疫細胞の比較をするためにマウスの臓器を取り出して細胞の解析をしていた。真歌は比較的余裕があったので、研究室で何をしているのかを私に簡単に説明してくれた。
琴乃はまばたきせずにモニターの変化をガン見していたので声を掛けづらく、周りの人に声を掛けておくだけにした。
集中するとピリつくからな、彼女は。ドライアイにならないかだけが心配である。
続いてとある研究室にお邪魔すると、彼の姿を見つけた。
ここは臨床薬理学研究室。久家くんが配属された研究室である。
ちょうど久家くんは実験中だった。教授が付き添ってのマンツーマン実験。
何をしているんだろうかと気になったが、私が割って入ったら中断させてしまうだろうから声かけは遠慮した。
集中しているようで、私の存在に全く気づかない。白衣の久家くんは見慣れたつもりだったけど、真剣なその姿はなんかかっこいいな。
ひと段落着くのをしばらく待っていたけど、久家くんは教授となにか話していて、終わりそうにない。
邪魔にならぬよう、実験の様子を遠くから見学させてもらい、近くの人に軽く挨拶をして静かに退室した。
それぞれが配属された研究室で頑張っている。その姿を垣間見れて私は充実した気分だった。
希望分野は異なるけど、皆が目指す先は同じだ。皆着実に夢に向かっていってると思うと嬉しい。
ひとりじゃなく、仲間がいるからみんなで頑張っている気分になれる。
いままでこんな感情を持ったことはない。
高校時代までは単純に個人プレーヤーのような気持ちで動いていたから、私にとってこれは大きな変化である。
そうこうしていたら時刻はもう19時になっていた。残る人はまだ研究室に居残るのだろうか。
私は疲れを持ち越さぬよう、今日のところは帰ろうと更衣室で着替えて帰宅の準備を整えた。
「森宮さん? もう帰るの?」
「はい、お先に失礼します」
廊下へ出たところで同じ研究室の先輩に声を掛けられたので挨拶をすると、「そっか、じゃあ俺も帰ろうかな」と横に並んできた。
「研究室には慣れた?」
「えぇ、皆さんが親身になってご指導してくださるので」
これは本当だ。研究室にいる人って根っからの研究者であるから、気難しい人ばかりかなと思っていた。
実際には、それ以上に熱意を持った人たちの集まりで、足手まといになるであろう私たちにも熱心に指導してくれる。そのおかげで私も積極的に質問できるし、向こうも質問以上の答えを返してくれるからそれが楽しいし、心地よい。
教授に誘われるがまま所属した研究室だったけど、ここでよかったなと今では思っている。
私が本音をこぼすと、先輩は「そっか、それはよかった」と笑っていた。
「ところで、さ。森宮さんって彼氏いるの?」
その質問に私は内心身構えた。
真歌のバイト先で働いたときにもよく聞かれたが、なぜみんなそんなことを知りたがるのだろうか。
「今は必要ないのでいりません」
面倒くさい流れを止めるために、前もって不要であることを宣言しておく。
じゃないと誰かを紹介しようとおせっかいをする人がいるからね。
でも本当に欲しいとは思っていないんだよ。だって学業の妨げになるじゃない。私は元来そういうことに冷めている人間なのだ。
私の返事に先輩は「……女子大生なのに枯れてるね」と言ってきた。
「枯れてて結構です」
そんなの中学校時代から友人に言われてきたことである。
私は決して器用な人間ではない。恋愛と学業を両立する自信がないからストップをかけているだけ。そこは理性的な人間であると評価してほしい。
交際した相手に「俺と勉強どっちが大事なんだ」と言われたら迷わず「勉強に決まってるでしょ」と答えて別れるパターンが想像できるだけあって、ほいほい彼氏を作ろうとは思わない。男性側も私のようなかわいげのない女を好まないだろうし。
毎日メッセージや電話に応答するのもだるいし、デートとかもしんどい。勉強する時間が減るから今は恋人とか邪魔だよね。
相手にしてくれないからといって浮気をされた時には目も当てられない。
ひとり自嘲していると、着替えた時に下した髪に違和感を覚えた。
横を見てみれば先輩が私の髪をひと房持ち上げているではないか。何してんだこの人。
「髪とか染めないの?」
「……いや、髪を触らないでください。セクハラですよ」
ちょっと毛先が傷んでいるから見られるの恥ずかしいし、親しくもない異性に触られるのもなんか嫌である。
「好きなやつとかいないんだったらさ、お試しで俺と付き合わない?」
今の流れでどうしてそうなる。私は髪を離せと言ったのだが。
──さては、この先輩もお手頃そうな私で手を打とうとしているのか?
←
|
→
[ 54/107 ]
しおりを挟む
[back]
×
「#年下攻め」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -