森宮莉子は突き進む。 | ナノ
人の夢と書いて儚いと読む。
真歌のバイト先である家庭教師協会から夏休みも是非にと請われて、長期休暇限定の家庭教師の仕事に精を出した私は真上から降り注ぐ太陽を日傘で遮りながら鉄板のような暑さの道を歩いていた。
暑い。
帰りに古本屋街に寄って行こうかと思ったけど、やっぱり家に帰ろうかな。
今の私には涼しいエアコンが必要だ。
そうと決まれば行動のみ。歩くスピードを上げる。目指すは最寄り駅である。
流れるような動作でICカードを取り出して、改札を通過しようとした。
「あ!」
誰かの鋭くとがめるような声にびくっとした私はパッと顔を上げる。
「……あ」
相手を確認した私は諦めの声を漏らしてしまった。
つい最近一緒に旅行に行って、突き飛ばされるという蛮行を働かれた相手・看護学科4年の弓山さんだったのだ。
久家くんを狙い続け、袖にされて、やけくそになっているという噂の彼女は私を恐ろしい目で睨みつけていた。
彼女に対して親しみなんかないし、尊敬の念も持っていないので、面倒くさい人とバッティングしたなぁと己の間の悪さを呪った。
「あんた……合宿中はよくも! あんたがいなくなった後、拓磨くんにずっとシカトされてたんだからね!」
とんだ言いがかりである。
そりゃあ招待した友達に暴力働くような相手、久家くんだって愛想振りまきたくないだろう。そもそも優しくしたらこの人は図に乗りそうだし、久家くんも考えてそっけない態度を取っているのだろう。
久家くんが女性苦手なの気づいていないのかな。それとも自分は大丈夫だと思っているからそんな態度を取るんだろうか。
確かに弓山さんにとって私の存在は目の上のたん瘤だったかもしれない。が、文句は久家くんに言ってくれ。私はゲスト参加しただけだぞ。
「私を突き飛ばしたこと謝罪してください」
話はそれからです。と返すと、弓山さんは綺麗な顔を台無しになるくらい表情をゆがめていた。
下手したら私あれで怪我していたから。医療職を目指しているくせに人に暴力ふるおうとするとか本当ないわ。
「私はね、拓磨くんのことは新歓の時から時から目を付けていたのよ。それを横から割り込んで来たのはあんたよ!」
「独占欲丸出しにするのは結構ですが、久家くんは誰のものでもありませんよ。それと私たちは同じ学科で共に学んだ仲間です。変なことは何もありませんって」
「そんなこと言って拓磨くんを弄んでるんでしょう! 男を知らなそうな顔してとんだ女ね!」
男を知らないのは否定しないが、私がビッチみたいなものの言い方はやめてもらおう。名誉棄損に当たるぞ。
「──みっともない。自分に自信がないからそうやって騒ぐしかできないんでしょ?」
「なっ」
弓山さんの顔が今度は般若に変わった。
……今の発言は私ではないよ。
視界の端に腕を組んだ、黒髪ロングのモデル美女が立っていた。彼女の口から漏れ出た発言なので私を睨むのはやめるんだ。
「タクマって人のことは知らないけど、莉子さんにどうこう言っても無駄だと思うけど? だって彼女なんにも気づいていなさそうじゃない」
「なによあんた…」
「それとも、敵に塩を送るタイプだったりする? まぁ、今更どうしようと勝ち目はなさそうだけどね?」
「…!」
弓山さんは先ほどまで恐ろしかった形相を一瞬で泣きそうな表情に変化させて、小走りでその場から逃げ去ってしまった。
「あら、泣かせちゃった?」
「さや香ちゃん、すごいね、あしらい方が慣れてる」
感情的に怒鳴られて私はどうしようかと迷っていたんだけど、あっという間に蹴散らしてしまった。
弓山さんが泣きそうな顔をしていたのが気になったが、彼女も大人だし、私が声を掛けても逆に気に障るだろうからそっとしておくべきかな。
「ああいうのからよくケンカを売られるので」
「美人は大変だね」
うふ、と微笑んだ目の前の美女は、私の出身高校の後輩だ。
とはいっても、当時は学年も違う上に接点もなく、私は彼女を把握していなかった。
大学も違う現在なぜこうして話す仲になっているのかといえば、妹関係である。
彼女は現在進行形で妹といい感じの男の子のお姉さんなのである。
「ふぅん、莉子さんの同級生に付きまとってる人だったんですね」
偶然会えたのだから、と近くのカフェに連れてこられた私は、美女を鑑賞しながらアイスコーヒーを飲みこんだ。
チェーン店のものだけど、安定の味だ。私を裏切らない味である。
「久家くん……あぁさっきの人が拓磨って呼んでいた人ね。医学生ってだけでなく、大きな病院の息子で将来安泰だし、見た目も優れている人だから女性に付きまとわれやすくて、そのせいで女性が苦手なの」
「……莉子さんとは特別仲がよさそうなのに?」
さや香ちゃんのアーモンド形の瞳がいたずらに輝いた。
あーこれはごく普通の女子が好きな恋愛話に持っていこうとしている空気だな、と私は勘付いて少し身構えてしまう。
「彼とは解剖実習でも同じグループで力を合わせた大切な仲間なんだよ。そこには男女の垣根を超えた友情があると私は思っているし、彼も私を信頼してくれていると自負しているよ」
「まぁ、そういうことにしておきます。……あの妹にしてこの姉ありか」
さや香ちゃんが最後に何かをぼそっとつぶやいたけど、ちょっと聞こえなかった。なんか言った? と聞き返したけど、なんでもありません、こっちの話ですとごまかされた。
「それにしても莉子さんは、おとなしい格好だからあぁいうのに舐められるんじゃないですか? 化粧とかもっと……そうだ、最近新しくテナントに入ったショップに行きません? 似合いそうなものいくつか見立てますよ」
私にそう言ってきたさや香ちゃんは読者モデルをしているというだけあっておしゃれだ。頭の先からつま先まで隙が無い。持ち物だってその辺の女子大生よりワンランクは上であろう。そんな人に言われると耳が痛い。
「折角だけどごめんね、私は中流家庭の平凡な大学生だから、洋服や化粧品にあんまりお金かけれられないんだ」
きっと彼女がおススメするものはゼロが一つか二つ多いに違いない。だからその気持ちだけありがとうと言って遠慮する。
特待生だから学業優先でバイトは控えめになってしまうし、今のところあんまりブランドとかには興味がないんだよね。貴重なバイト代を興味のないもので消費するのも嫌だし。
「でも莉子先輩は成績優秀者の学費免除を受けているでしょう? その分浮いているのではないの?」
彼女の言葉は純粋な疑問だった。
そうは言うが、大学でかかるのは学費だけじゃないんだよ。
「いやいや、それ以外にもお金がかかるのよ……妹は将来の自分のために留学費をバイトして稼いでるし、親も仕事頑張って、すねかじりな私の面倒を見てくれてる。それを見てたら贅沢できないよ。医学部進学を許してくれただけありがたいと思わなきゃ」
「そんなの、親なら当然でしょう。子供の望みなら学費くらい捻出してくれるに決まっているわ」
不思議そうな顔をされて、あぁこの子と私は生活水準が全く違うと実感した。金銭感覚からして違うんだ。久家くんと同じタイプだ。
「あのね、さや香ちゃん、世の中にはね進学を許してもらえないご家庭だってあるんだよ。今の時代でも高校卒業したら働いてお金を入れろって家もあるし、どうあがいても経済的に難しい家もあるの。」
行かせてあげたくとも、お金がなければ何も始まらない。学費は格段と高くなっているんだから。
「えぇ、だって親には学費を出す義務があるでしょう?」
「大学は自由教育だよ。義務なんて存在しない」
私が笑顔を消して真顔になると、彼女は小さく身を引いていた。
奨学金を借りてやりくりして学校に行くのだって大変なんだよ。返済型奨学金は借金だし、学業とバイトに追われて、それで苦しんで退学してく学友を何人も見送ってきた。
周りの人は遊び回っていてお金に苦労していないのに、自分は必死になって遊ぶ暇もなく働いて勉強している。それが惨めに感じている人もいる。
学業とバイトの掛け持ちは疲れるし、勉強がしたいという気持ちだけじゃ保たなくなるんだって。そして燃え尽きて退学を選ぶ人もいる。
「さや香ちゃん、親が大学まで学費を出してくれて、生活費から遊興費まで不自由なく出すのが当然と思っちゃダメ。自分が恵まれていることに感謝しないと」
でないと無邪気に人を傷つけるだけになる。
知らなければ何を言ってもいいわけじゃない。大学はいろんな人と出会うチャンスのある場所だ。世の中は不平等で不公平であり、いろんな生き方や考え方があるのだと学べる場所なのだ。
同情しろとか、施しをしろと言っているわけじゃないけど、知っておくことは必要だと思うんだ。
「もうあなたは大人でしょう?」
説教するつもりはないけど、ついつい諭すような言い方になってしまった。
彼女はプライドが高そうな子だから、もしかして気分を害してしまったかなと思ったけど、彼女は静かに反省していた。
願えば何でも叶うわけじゃない。
夢を叶えて笑顔の人がいるその下に、夢に敗れた人や、夢を目指すことすら許されなかった人がいるのだと私は考えている。
「あんまりそういう言い方しないようにね。反感買うと思うから」
余計なお世話かもしれないが、彼女の歯に衣着せぬ言い方は見えないところで敵を作る可能性がある。
さや香ちゃんにとっての常識は、その他の人にとっての非常識。またはその逆もしかりなのだと理解しておくだけで、多分無駄な衝突は減らせると思うんだ。
彼女が人と喧嘩していがみ合うのが好きだというなら話は別だが、人間関係は平和なほうが楽だと思わない?
「莉子さんを傷つけてしまったかしら?」
「いや? 私は平気。ちょっとね、いろいろあって退学してしまった同級生を思い出してしまったから」
ふと私は学び舎を去った学友を思い出し、彼女は今どうしているだろうかと感傷的な気分になった。
「本当、世の中難しいよね。どんなに優秀でも、生まれで立場が変わっちゃうんだもん」
きっと彼女だってバイト漬けの毎日でなければ留年しなかったし、身を削るような仕事に手を付けずに済んだはずなのに。
救えなかった学友を思い出してしまって、何もできなかった自分に腹が立った。
本当、世の中ままならないものである。
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