森宮莉子は突き進む。 | ナノ
勝負の夜【久家拓磨視点】
夕暮れが迫る時間までふたりで遊んだ。大学から離れた非日常な場所で、まるで子どもに戻ったような気分だった。
本来の目的は急接近だったが、これはこれで楽しいからいいか。
莉子が笑っている、それだけで俺は嬉しいから。
ホテルに戻ったころには他のメンバーは全員戻ってきているようだった。
いつ戻ってきたのかと聞けば、とっくの昔にという回答が返ってきた。
「で? 森宮女史とはどうなった?」
「……海で遊んだだけです」
大学以外で2人きりで過ごせた、それだけでも俺にとって収穫だったのだが、先輩は「はぁ?」とがっかりした反応を隠さなかった。
「弓山抑えるのにこっちは苦労してたってのに、それだけか」
「あいつ、久家達の後を追おうとしてたから慌てて止めたんだぞ」
「それはすみませんでした」
弓山さんは今年大学4年で、看護学科生なので何事もなければそのまま卒業だ。サークル参加できるのが今年度までだから、俺に取り入ろうと必死なのだろう。
うちのサークルの参加資格はうちの大学の医学部の在学生のみ。それから外れればおのずと彼女との接点もなくなるだろうからあともうしばらくの辛抱…だけど、正直邪魔である。
「森宮さん、あれでうちのサークルへの印象最悪になっちゃったかもね」
純粋にこの運動サークル活動を楽しんでいるメンバーからしてみたらそれが残念に感じるようだ。
俺も同じ気持ちだ。今回の活動で気が変わって入会したいと莉子が言ってくれたらとほのかな望みを抱いていただけに、弓山さんの暴挙を憎らしく思う。
「食事は19時半からだから」
「わかりました」
彼らと一旦別れて宿泊部屋に戻ると、一旦海水を流すためにシャワーを浴びた。さっぱりして、少し部屋で寛いでいるといつの間にか夕飯の時間帯になっていた。
ホテル利用者は大きなレストランホールで食事するのだが、今回俺たちは別室を予約した。
学生のノリで他の宿泊者に迷惑をかけないようにという気遣いもあるが、周りに気を遣わずに飲食したいという理由もある。
宴会場は和室で、大きなテーブルの上にごちそうが所狭しと並んでいる。
席順は日中に起きたことを考えて、弓山さんと離れた場所に用意してもらった。どこからか視線が飛んできている気がするがあえて無視だ。
自分が何をしたか反省した様子が見られない。莉子に近づけたくないので無視するしかない。
それよりも俺は莉子と過ごせる残り少ない時間を大切にしたいのだ。
俺と同じくシャワーを浴びてきた彼女はすっぴんだった。普段からあまり濃い化粧をしないので大きな変化はないが、化粧という防壁がない分幼く、あどけない雰囲気が出ていた。
「久家くんの言ってた通り、お魚が本当に美味しいね」
莉子は普段通り笑っているが、俺には特別かわいく見える。やはり普段とは違う環境にいるからだろうか。
「そういえばさぁ、この間スーパーで購入した魚にアニサキスがいてさぁ……」
食事しながら寄生虫の話をし始める莉子は通常運転だった。普通の人間なら引くところだが、ここは医学部の集まり。職業柄ならぬ学業病というべきか、俺は彼女からふられた話題を真面目に聞いていた。
「こういうお刺身作る人も神経使ってるだろうねぇ」
ぺろっと裏を確認して寄生虫がいないかを確認してからわさび醤油で食す。
ただそれだけのことなのだが、唇がなまめかしく見えて、俺は無意識のうちに凝視していた。
「下心漏れてるぞ、色男」
その言葉とともに肩にずしっと誰かの腕が乗せられた。
「森宮さん、お酒はいける口?」
日本酒の瓶を持った部長だった。
彼はメンバー一人ひとりのところを回ってそれぞれとコミュニケーションを取っていたようだ。彼は持っていた酒瓶を軽く持ち上げて俺たちに酒を注ごうとしていた。
「いただきます」
「莉子、酒はやめたほうが…」
空気を読んで酌を受けている莉子を止めようとしたが、莉子はくぅっと一気に飲み干してしまった。
小さなお猪口ではあるが、日本酒のアルコール度数は15度以上。3%程度のチューハイで酔っぱらっていた莉子にはきつすぎる。
「一気飲みして大丈夫? 日本酒はちびちび飲むものだよ」
「大丈夫です。ちょっと体がカッとしましたけど。飲みやすいですね、これ」
「もうやめたほうがいい。今はよくても後で来るから」
お代わりを注ぎそうな部長と莉子の間に入って止めた。
もっとこう、普段はしない話をして親密になりたかったのに、莉子に酒が入ったらそれどころじゃない。
普通のその辺にいる男なら酒に酔ったのをいいことに女性を手籠めにするんだろうけど俺はそんなこと……
「久家くぅん、食べないの」
早速酔いが回った莉子が俺に絡んできた。
食が進んでいない俺を心配して言っているんだろうが、いつもの禁欲的な彼女の鎧が酒に酔って取り払われて、やけに色っぽく見える。頬が赤くなって瞳が潤んでいるのは酒のせいだと理解している。
している、が。
想い人にそんな姿で近づかれたら平然としていられる訳がないだろう。
「森宮さん、酔うと無防備になって可愛いねぇ」
そこに入ってきた先輩に肩を抱き寄せられた莉子はむっと眉間にしわを寄せていた。酔っぱらいながらも不快感は感じているようである。
「莉子に触らないでください」
無遠慮に莉子に触れる先輩から奪い返すと、睨むのを忘れない。
莉子は俺の胸板に顔をうずめる形で沈黙していた。
「なんだよお前には夏帆ちゃんがいるだろー」
「弓山さんと俺は全くの無関係です」
あれを見てきて、あの女と俺が交際しているように見えたのか。俺がなびいているように見えたのか。
いくら冗談でも莉子の前でふざけたことを言うのは許さない。
「お、怒るなよ、冗談じゃん……」
「冗談だからって何を言ってもいいわけじゃないんですよ」
あの女、前々からしつこいと思っていたが、今回莉子に危害を加えた時点で俺の中で敵に変わった。
女であっても容赦する気はない。
「久家くん、あつい…」
俺の腕の中から顔を出した莉子は目がとろんとしていた。
これは危険だ。危険すぎる。
「もう部屋に戻るか?」
その誘いに下心がなかったとは言い切れない。
俺だって男だ。目の前にごちそうがあれば飛びつくってものである。
「ん……まだ飲めるよ」
まだ飲める宣言をしているが、これは酔っぱらいの戯言だ。これ以上はダメだ。
急性アルコール中毒とまではいかないだろうが、これ以上の飲酒は体に害しか与えない。
「もうダメだ。部屋まで連れて行ってやるから」
「んー…」
莉子を立ち上がらせて、近くにいたメンバーに部屋に戻ることを伝える。
「莉子ちゃん気を付けて、そいつ送り狼だよー」
余計なことを言ってくる輩を無視して、俺は莉子と二人で宴会場を後にした。
酔いが足にまでやってきた莉子は無防備に俺に寄りかかっている。今にも寝そうな彼女の瞼は開いたり閉じたりを繰り返している。
ふわっと莉子の髪から、俺と同じシャンプーの香りがした。きっとホテルのシャワールーム備え付けのものを使用したのだろう。
俺は莉子の腰に回していた腕に力を籠めた。
──ダメだ。限界だ。
つい先刻までは最低男のように酩酊した女性を手籠めにしないと考えていたくせに、俺の理性は簡単に崩壊した。
俺たちの大学サークルの宿泊部屋はワンフロア貸し切りだ。よって俺たちとホテル従業員以外はここを通らない。
しぃんと静まり返った通路を進み、莉子の部屋の前にたどり着いた。
「莉子…」
このまま彼女を部屋に戻して寝かせるのが最適解なのはわかっている。
これから俺がしようとしていることは彼女の信頼を裏切ることになるかもしれない。
だけど冷静でいられなかった。いい人止まりはごめんだ。
カードキーを取り出そうとデニムのポケットに手を入れている莉子を壁に押し付けると、至近距離から彼女の目を覗き込んだ。
自分の眼鏡のせいで逆にぼやけて見える。眼鏡をしてきたのは失敗だった。
だけどこうすれば酔っぱらっている莉子も意識くらいはしてくれるだろう。
「…どしたの? 気分悪い?」
背後の扉と俺の腕の中に捕らえられているというのに、莉子は俺が体調を崩していると勘違いしていた。
彼女は腕を持ち上げると、そっと俺の頬を優しく包み込んだ。俺は熱を持ったそれを取り、手のひらにキスをした。
「飲みすぎた? 吐きそう?」
これだけしているのに気づかないとは。
男性経験がないのは知っているが、少し純粋すぎないか? 逆に心配だ。
「莉子…」
「んっ」
彼女の小さな唇に俺のそれを重ねる。
これまでに何度か軽いキスをしたことがあるが、彼女はそのどれも覚えていないようだ。1度目は助手席で寝ている時。その次は飲み会の時だった。
それなら記憶に残るようなことをすれば、彼女だってきっと忘れない。
「んん…!」
昼間の人工呼吸の上書きするように、ピッタリ唇を重ねると半開き状態の彼女の口内に舌を入れる。莉子は驚いた様子でくぐもった声を漏らしていたが、抵抗しなかった。
委縮した彼女の舌をなだめるように愛撫し、あますことなく味わった。
「ふ、」
熱い吐息を漏らしながら莉子は黙って受け入れていた。
嫌ならきっと突き飛ばしてでも抵抗するはずだ。それがないってことはやっぱり脈ありってことで。
俺は彼女の腰に手を回し、ポケットからはみ出ている彼女の部屋のカードキーを抜き取った。
今回莉子は一人部屋だ。別にそうなるように仕組んだわけじゃないが、今のこの状況なら好都合である。
このまま部屋へ一緒に入ろうとカードキーで扉のロックを解除した。
「待ってよ、拓磨くん!」
「!?」
がばっと背後から抱きついてきた第三者の腕に俺は身をこわばらせた。
先ほどまで盛り上がっていた情欲が一気に冷めてしまう。
「またあなたですか! ちょっ、離してください!」
「私は納得していないから! なんでその女に負けなきゃいけないの!?」
「おやすみー」
諦め悪く追いすがってきた弓山さんに妨害された俺は、腕の中から解放された莉子がふらふらと部屋に引っ込む姿を呆然と見送るしかできなかった。
──なんで、ここまで来て。
自棄になった俺は弓山さんを振り払ってから自室でふて寝した。
◇◆◇
翌朝、どんよりした気分で朝食の場に行くと、莉子は満足に睡眠できましたという表情で「おはよー」と挨拶してきた。
俺のことを意識している雰囲気なんてまるでない。
「昨日のこと、覚えていないのか?」
念のために確認する。
しかし莉子はきょとんとするのみだ。
「私なにかした?」
覚えてない、だと……
チャンスだと思ったのにあの女……!
「莉子、本当に帰るのか」
「帰るさ」
「残りの宿泊費は俺が負担するとしても?」
「くどいよ。帰るったら帰るの」
最後のあがきで引き留めたが、無情にも莉子はひとり帰っていった。
今度は俺の泣き落としにつられてくれなかった。
本当に泣きそう。
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