森宮莉子は突き進む。 | ナノ
飲食店のツケ払いの消滅時効は5年です。
医学部運動サークルの部長さんに声を掛けて、OGである弓山さんの連絡先を教えてほしいと頼んだ。
仲良かったっけ? と不思議そうに首を傾げられたが、何の疑いもなく教えてくれた。
私からの連絡に彼女は素っ気ない文面を返したけど、私の呼び出しには素直に応じた。
「それで? 渡したいものってなによ」
この人と街中のカフェでお茶を囲むなんて考えられなかった。
人間関係の進歩を感じつつも、あまり面白い話ではない。余計なことは言わぬよう、すっと透明クリアファイルに入れたコピー用紙数枚を彼女に差し出した。
「……なによこれ」
「ホスト問題を法律で解決できないか調べてきました。あ、法学部のサークル後輩にも色々確認したので、内容は確かです」
弓山さんは眉間にしわを寄せてぐっと苦しそうな顔をしていた。
同僚さんの事を思い出したのだろう。
「きっと同僚さんはもうすでに借金を抱えていると思うんです。そのツケを払うために、風俗業の斡旋もしくは闇金とかサラ金から借金させられる可能性もあると思います」
まず、飲食店のツケの消滅時効について記したプリントを見せる。
「現在、飲食店では5年間ツケを払わなければ消滅時効が発動しますが、そこを逃すほど奴らは甘くないです。職場や家族に弁済を求めたり、回収業者による取り立てもありえますから。裁判を起こされたら勝てないでしょうし」
支払わなくていいパターンもいくつか存在する。
頼んでないのに高いお酒を頼まれた、酔っているときに勝手に注文された場合など、無理やりツケや借金させられた場合、借用書などの証明がない場合、出資法の上限金利を超える利息を取られている場合、客が未成年だったり、さっき言った消滅時効が成立している場合などだ。
「こういうトラブルは当事者本人が警察に被害を訴えて、弁護士に対応を頼んだほうが丸くおさまります。知り合いの弁護士さんの事務所の連絡先載せてますんで、ご活用ください」
お金はかかるけど、プロに任せたら安心だ。
私の作ったプリントはあくまで参考程度にしてくれ、と告げると、弓山さんはプリントと私の顔を交互に見比べていた。
「あんた……がり勉だとは思っていたけど、そこまで知恵が回るとは」
「私に失礼ですよ」
勉強が出来るだけのバカと思われていたのなら心外である。
社会を知らない学生ではあるが、弁護士を使って色々解決した経験は山ほどあるんだぞ。
ティロリロリン♪
どこからか着信音が聞こえてきた。繰り返し同じメロディが流れる。音源は弓山さんのスマホから。
彼女は机に伏せて置いていたスマホの液晶を上に向けると、息を呑んでいた。
「…同僚からだわ」
躊躇うこともなく、素早く通話ボタンをタップした彼女は「もしもし、結愛?」と応対する。
『夏帆ちゃん……』
通話はスピーカーオンになっていて、私の耳にもその声が届いた。
『助けて夏帆ちゃん、私売られる……』
電話の向こうで、涙声の女性の助けを求める声。
売られるという、不穏な発言。
『おい! いつまでトイレにこもるつもりだ!!』
扉をドンドンと叩く音とともに男性の急かす声まで聞こえてきた。
それだけで電話の向こうの人物が追い詰められている状況がわかった。
「──行くわよ!」
弓山さんの判断は早かった。
席を立ち上がると、伝票を手に素早く会計。そして店を出ると流しのタクシーを素早く停めた。
「え、私もう店には」
「つべこべ言うな!」
なぜか彼女の中では私も一緒に行くことになっているらしい。
力技でタクシーに押し込まれると、後から乗り込んだ彼女が行き先を指定する。
「おじさん飛ばしてよ!」
「赤信号だよ、無茶言うねぇ」
「安全運転でお願いします」
弓山さんが危険な発言をするので、私が訂正を入れる。
運転手さんを困らせたらいけないよ。
「到着前に事故ったら余計に辿り着けなくなりますよ」
「わかってるわよ、そんなの!」
いつもの弓山さんだな。
あーあ、もう行かないって彼と約束したのに。今度は許してもらえないかもな。
でも……あんなのを聞いた後で知らないふりなんかできないもんね。
私はため息を吐きつつ、スマホを操作した。
□■□
夕暮れの繁華街ではぼちぼち看板の明かりが灯されていた。
しかし例のホストクラブはまだ開店前のため、明かりは付けられていない。
「…ちょっとあんた、さっきからスマホポチポチしてんじゃないわよ。緊張感がないわね」
店舗前で仁王立ちし、ホストクラブの看板をギロリと睨みつけていたかと思えば、私に苦情をつけてきた。
無理やり人をここまで連れてきたくせになんでそんな言い方するの。
それに私はスマホで遊んでいるわけじゃなくて…
私の言い訳には興味がないらしい彼女はガツガツとヒールで地面を削るような音を立てて、ホストクラブの扉に手をかけた。
正面突破するのか、とか、鍵あいてるの? 不法侵入にならないか、など疑問に思ったが、ここで無粋な質問はしないほうがいいだろう。時は一刻を争うだろうから。
扉は普通に開いた。弓山さんは迷わず店内に侵入する。
私はスマホカメラを前に向けて、ホストクラブ内が映るように構えた。
弓山さんの同僚さんが店内のどこにいるのかまではわからなかったし、そこに辿り着くまでに阻止されないかを心配していたが、そんな心配は不要だった。
「いやっ! 私は書かない!」
「抑えてろ! 身分証はこっちにあるんだ。最低拇印でもいい」
大きなフロアの真ん中。大勢のスーツ姿の男に囲まれた女の人がテーブルに引き倒されて、何かの書類に無理やりサインをさせられている最中だったからだ。
「あんたたち! 何やってるのよ! 結愛を離しなさいよ!」
弓山さんが怒鳴ると、あちら側はギョッとした顔で一瞬固まるも、すぐに我を取り戻していた。
「おい! 営業時間前だぞ!」
「部外者は出ていけ!」
どこからどう見ても裏社会の人間ぽい強面男たちが私達を排除しようと動いた。普通に生きていれば絶対にお関わり合いになることのない人種を前にして私は尻込みしそうだった。
「うるさい、あんたたちこそ何よ! その子を離して!」
しかし弓山さんは果敢にも立ち向かっていた。相手が怖くないんだろうか。私は少し怖いんだけども。
ちなみにこの店に入る前から私はスマホカメラで動画撮影していた。
「てめぇ! なに撮ってる!」
隠れず堂々と撮影していたのですぐに見つかった。
ドスの利いた声で脅すように怒鳴られたので、私はスマホの画面から目を反らさず言った。
「これって強要罪、脅迫罪ですよね。力づくで拇印させたところでその契約書は無効ですよ」
なんの契約書かは知らないけど、仮にツケや借金があるにしても、そのやり方は通用しないよ。
ちゃんと決定的現場撮影してるからね。
「消せ!」
スマホを奪おうと男が近づいてきたので、私はひらりと避けた。
「逃げるな!」
よく見なくても堅気じゃない雰囲気の男たちは私を捕まえようと腕を伸ばす。
捕まったら私まで変な書類にサインさせられる流れじゃないですか。巻き込まれただけなのに!
男たちの手から逃れるべく、慌てて逃げ回った。店の中じゃ絶対にそのうち捕まるので、思い切って店の外に飛び出ると、紺色のチョッキを着たおじさんたちと対面した。
「うおっ!?」
「お前っ、サツ呼びやがったのか!」
彼らは突然飛び出てきた私に驚いていたけど、その背後に迫るガラの悪い男たちの姿を見て、すぐに職務モードに切り替わっていた。
「警察だ!」
「お前ら何してる!」
警察官は男たちに威嚇するように叫ぶと、店内に押し入った。パトカーに残っていた警察官のひとりは無線で応援を呼んでいるようだ。
外に停まったパトカーは夜の街では浮いて目立っていた。周りでは何事かと群がる野次馬。
危ないところだったと胸を撫で下ろしていると、渋い顔をした弓山さんが同僚さんの肩を抱いてエントランスの奥から歩いてきた。
その奥では警察とホスト、裏世界の人間の騒ぐ声が聞こえる。
これは大事になりそうだなぁと私は他人事のように考えていた。
「…警察呼んだのって、あんた?」
「そうですよ」
聞かれたので肯定すると、彼女は頭が痛そうにしていた。
勝手なことして、と呆れているのかもしれない。
「私たちの手に負える範囲を超えています。ここからはプロの仕事ですよ」
まさか自分達だけで解決できる問題と思っていたの?
それはいくらなんでも自信過剰すぎる。
弓山さんはため息を吐き出した。
警察の到着で危機を脱したのは間違いない。小言を言うのはお門違いと理解したのだろう。
「…いつの間に呼んだのよ」
「移動中にスマホで。通報用のアプリがあるんですよ」
耳が聞こえない人、声が出せない人も使える通報手段だ。
それだけじゃなく電話ができない状況下でも役立つアプリなんだぞ。
「…あんたホントにガリ勉ってだけじゃないのね」
「見直しました?」
「調子乗らないで」
私の印象良くなったかな? と期待したけど、彼女から突き放されてしまった。冷たい眼差しが刺さって悲しい。
調子に乗ったわけじゃないけど、少しくらい褒めてくれても良くない?
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