森宮莉子は突き進む。 | ナノ
依存症は脳の病です。
「うー、さむっ」
長期休暇のみの家庭教師バイトのはずが、生徒さんの親御さんから本命私立受験前だからと継続をお願いされた。どうしてもと頭を下げられての臨時家庭教師のバイト帰り道。
冬の寒さに震えながら、駅までの道をショートカットするために、私はギラギラネオンで輝く夜の街を歩いていた。客引きや、酔っぱらいの隣をすり抜けながら進んでいく。
ここを通ると、過去の苦い思い出が蘇るけど、近道だし明るいから通らざるを得ない。
今頃彼女は何してるんだろう。
奨学金の返済のためにまだこういう店で働いてるのかな……
しんみりしながら歩いていると、目の端で怪しい挙動をする人物がいた。
ホストクラブと思しき建物の前をウロウロ行ったり来たりしているその女性は、夢を見に来た客のような顔をしていなかった。どっちかと言えば、焦りのような感情が強い。
思い出してた人物とは違う相手と遭遇しちゃったよ。
「弓山さん、ですよね。なにしているんですか……そこ、ホストクラブ……」
私が声をかけると、ギクッとした彼女が勢いよく振り返った。表情は硬いままで、私を視認するなりゲッと嫌そうな顔をした。
…そんな顔しなくても。私だって傷つくんだぞ。
「そういえば看護師ってホストにはまる人が多いっていいますもんね……」
激務に疲れて、ひとときの癒やしを求めてやって来たけど、入りにくいとかそういうのかな。
だけどあなたは一度、お酒の席で犯罪に巻き込まれかけたんだから、ホスト遊びはやめといたほうがいいんじゃないかな。
「人聞きが悪い! 私じゃなくて同僚よ!」
弓山さんは首をブンブン振って力いっぱい否定してきた。
そうなの? 私を前にしてるから弱みを握られまいとごまかしてるんじゃないの?
「最近様子がおかしいと思って、尾行したらここに行き着いたのよ。こんなところに通い詰めてるなんて…」
弓山さんはそう言って、ホストクラブの看板を忌々しそうに睨みつけた。
そして何かを思いついたのか、おもむろに私の手首を掴んだ。
「ちょっと、あんた付き合いなさいよ」
「……え、嫌です。彼氏に悪いですし」
なんでよ、私関係ないじゃん。行くなら一人で行きなよ……
私が拒絶の姿勢を見せると、弓山さんは怪訝な顔をしていた。
「彼氏……?」
「先月から拓磨くんと付き合っているんです」
隠すことでもないだろう。彼女はだいぶ前に彼から振られたことだし、いい加減吹っ切れているはず……
しかし、真顔になった弓山さんは私の手首をギュムリと握りしめ直すと、グイグイ引っ張ってきた。
そのまま力技でホストクラブに引きずり込めれそうだったので私は抵抗した。
「まだ尾を引いてるんですか!? あれから1年以上経過してるのに!」
「違う。いい加減吹っ切れたわよ……だけどなんか腹立つ」
お酒なんか飲んでないだろうに、彼女の目は据わっていた。
腹立つって……それ、まだ未練があるんじゃないの!?
「いらっしゃいませー!」
「姫君2名様ご来店でぇーす!」
「よろこんでー!」
弓山さんのゴリラみたいな腕力に負けて、私はホストクラブに初入店してしまった。
体育会系のノリで出迎えるホストたちはギラギラしていた。見た目というか目が。獲物を狙う目をしている。
「うわぁ」
「……なぁんだ、拓磨くんのほうがよほどかっこいいじゃない」
ホストたちの視線に萎縮した私の両肩を掴んだ弓山さんは、私にだけ聞こえる声量で呟いていた。その顔はあからさまにガッカリしている。
確かにそれは同感である。
全体的に胡散臭い人ばかりだ。
テーブル席に案内された私と弓山さんは間にホストが入ることで引き離された。
「名前なんて言うのー?」
「……夏帆」
「かわいー名前だねぇ! 美人てよく言われるでしょ?」
弓山さんのこめかみに青筋が立っているように見えるのは幻覚だろうか。
「君は? なんていうの?」
「由紀。歯科衛生士してまーす」
私の隣に座ったスーツ姿の青年が名前を生きてきたので偽名と職歴詐称をしておいた。
斜め前に座る弓山さんが私を見てぎょっとしていたが、こういうグレーな世界は虚飾ばかりなんだから、自分も偽ったほうがいいのだよ。個人情報は言わないに限る。
「なに飲むー?」
「烏龍茶で」
「えぇ、お酒飲まないの?」
「飲めないんです」
拓磨くんからも絶対に飲むなと厳命されているし、こういう場所で飲むお酒ほど危険なものはないのだ。絶対に飲まない。
断固として烏龍茶を注文すると、隣のホストが私の肩を抱き寄せてきた。
「飲もうよぉ、今月俺ノルマ達成してないんだ」
「それってあなたの都合ですよね?」
耳元で囁かないでほしい。気持ち悪いなぁ。
初来店の客に対する距離感じゃないぞ。相手の腕を振り払うと、「由紀ちゃん手厳しいなぁ」とホストくんは苦笑いしていた。
よく見なくてもこの人、私と同年代……年下の可能性もあるな。
「最近さぁ、奥歯がメチャクチャ痛いの。これって虫歯かな? インプラントってどうなの?」
ホストくんの話を流し聞きしながら、私は周りに意識を飛ばす。
「プレゼント買ってきたのー」
「うわマジで? ありがとー!」
派手に着飾ったお水の世界の人っぽい女性がホストに贈り物をして気を引いている。
プレゼントで心を手に入れられるとは私は思えないが、ホストに溺れた彼女たちはなんとしても手に入れたくてもので釣ろうとしてるんだろう。
その隣では客の言うことを全力で肯定して、客をいい気分にさせているホストもいる。
否定ばかりされて育って自分に自信がない人は、なんでも話を聞いてくれて、肯定してくれるって存在に依存しちゃうんだろうなぁ。
女性客に寄り添って、愛の言葉をかけて相手を陥落させる。
シャイな日本人男性がしてくれない事を彼らはしてくれる。日本人女性が海外の男性に走るのと同じような理由なのかもしれない。
男性に愛されたい、お姫様扱いしてほしい。その夢を叶えてくれるのがこのホストクラブというわけである。
そしてホストは女性客の恋心や執着心を煽って、自分の金になるために動いている。
そんな印象を受けた。
「由紀ちゃん俺の話聞いてるー?」
ホストクラブ内を観察して分析していると、横のホストくんが話を聞いているか確認してきた。
「歯は専門外だから、歯医者に聞いて」
「あれ、歯科衛生士って言ってたよね?」
それはフェイクだ。
ちなみに医師の卵としても同じことだ。歯科に関わることは歯学部を卒業した歯科医じゃなきゃ治療できない。免許が全く違うからね。
なので、完全な専門外。歯医者さんに相談しなさい。
私も大概だけど、弓山さんもホストをほぼ無視して、じっと1つのテーブル席を見つめていた。彼女の視線の先にはとある男と客の姿。親密そうな雰囲気である。
あの女の人が弓山さんの同僚なのかな。
「お時間です、延長なさりますか?」
「帰ります」
延長するとテーブルチャージ料が掛かるとのことだったので、弓山さんはアッサリ帰ることを決めた。
私はてっきり弓山さんが同僚さんに話しかけて、ホスト遊びはやめろと説得するものだと思っていたけど、ただ観察しているだけだった……
「由紀ちゃん、連絡先交換……」
「スマホ修理に出してるからー」
ホストくんからの連絡先交換要請はやんわりお断りして、渡された名刺は受け取っておく。後で捨てるけど。
「こちら、お代金になります」
値段が見えないように請求書を挟む黒い革のホルダーを手渡された弓山さんの眉間にシワが寄った。
彼女はグッと堪えて、クレジットカードを渡す。
「ありがとうございましたー」
「姫君のおかえりでーす」
「またのお越しをお待ち申し上げております!」
支払いを終えると盛大に見送られた。
なんかどっと疲れた……
「とんだぼったくりだわ!」
店を出た瞬間、弓山さんが吠えた。彼女がまとめて支払ったので請求金額は聞いてないけど、吠えるほどの金額だったらしい。
ちなみに私は巻き込まれただけなので1円も払う気はない。
「ホストクラブなんてそんなもんでしょ。客を風俗に沈める……裏社会とつながっているってのは有名ですし」
それが世間では問題になってるし、殺人事件や自殺も多々起きている。
取り締まる法律がないから、被害者が出る一方なのよ。
「医療職されている弓山さんならご存じかもしれませんが、洗脳状態の人間を引き戻すのは並大抵の事じゃないですよ」
ある意味ギャンブル依存症に似てるから、ホスト狂いって。
弓山さんにキレられるかなとは思ったけど、巻き込まれたからには言わせてもらう。
掛金の支払いのために自分を切り売りするのはよくある話で、下手したら家族を巻き込んで一家離散という話も聞く。
ホスト狂いはもはや依存症という病気である。
「……わかってるわよ」
彼女の反応は思ってたより大人しかった。地面を睨みつけて、拳を握りしめるその表情は不甲斐ない自分に腹を立てているようにも見えた。
「でもあの子は大学時代からずっと一緒に頑張ってきた仲間なの。見捨てられない」
私は弓山さんの乱暴な面しか知らなかった。事実邪険にされていたから。
なので、この人にそんな人情深いところがあるとは驚きである。
「何よその顔。腹立つわね」
心の声が顔に出ていたようで、腹を立てた彼女にギロリと睨まれてしまった。
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