森宮莉子は突き進む。 | ナノ
独占欲
あの子が久家くんに触れた時ものすごく嫌になった。
久家くんの意識が一瞬でも小畑さんに向いたのが嫌だった。
これが俗にいう独占欲というものなのだろうか。
今は私を見ていてくれてる。
それが嬉しい。
私の頬に触れている久家くんの手の上に自分の手を重ねてぎゅうと握る。
「私のことバカって言ったでしょ」
納得できない。前言撤回してほしい。
私がそう言うと、久家くんはきょとんと目を丸くして、そして呆れた様子でため息を吐き出した。
「…さっきの行為はバカと詰られて当然の愚挙だろう」
「ひどい、守ってあげたのに」
私がすねる素振りを見せると、コツンとおデコくっつけられる。
彼の眼鏡越しに見える瞳は、眼鏡の度数のせいもあってめまいがしそうだった。決して久家くんの瞳の魔力のせいではない。
「莉子に守ってもらうほど俺は弱くないよ」
「殴られていたくせに」
私の声は震えた。
人前なので、涙が出そうなのを堪えていると、久家くんは困ったように笑って私のほっぺたをむいむい引っ張ってきた。
「暴力を振るったら不利になるだろ」
「いたたた」
「カッコ悪いところ見せたな。心配させてごめん」
引っ張られた頬が解放されると、むぎゅっと抱きしめられた。
なだめるように背中を撫でられ、私は素直に彼の胸に頬をつけて甘えた。
ふと、強い視線を横から感じ、閉ざしていた目を開くと小畑さんがこっちを睨みつけながら泣きそうな顔をしていた。
「医務室行こう、手当てしてあげる」
小畑さんの睨みをあえて無視した私は久家くんを医務室へ誘導した。
彼女の相手をしてあげるつもりはさらさらない。付け入る隙を与えてなるものか。
医務室で手当てしながらもう少しじっくり傷口を確認したところ、見た目ほど派手なダメージはなさそうに見えた。しかし精密検査をしたわけじゃないから実際のところはわからない。
本人が明日にでも近くの病院で診てもらうというから病院送りは断念したけど……私としてはすぐに病院へ行ってほしかった。
「店の仕事できる?」
「この顔じゃ客を怖がらせるから裏方やらせてもらう」
「もうすぐ学祭終わるし、きついなら帰らせてもらっても…」
サークルの人だって怪我人を無理やり働かせることはないだろうと思って提案したのだが、久家くんは首を横に振った。
「今年も莉子と後夜祭を過ごしたいから」
久家くんはまたそんなこと言う。
後夜祭なんて、来年も参加できるのに。
私を喜ばせてなにがしたいの。
私だって同じ気持ちだけどさ。
私は自分の胸の奥で渦巻く衝動を抑え込むのでいっぱいだった。
あぁどうしよう、私この人を誰にも盗られたくない。
自分のものにしてしまいたい……って。
◇◆◇
今年の後夜祭でも去年同様クイズ大会が開催された。
大学卒業生アーティストによるライブや漫才であたためられたステージに立つのはクイズに自信がある猛者たちである。
『医学部1年の天羽晃貴です』
壇上で自己紹介をする後輩に心の中でエールを送る。
盛り上がりを見せるステージ。私はひとり寂しく鑑賞していた。
今、私の隣に久家くんはいない。
飲み物買ってくると言ったきり戻ってきていないんだよね。もしかしたらトイレにも寄っているのかもしれない。
クイズ大会が行われている間にでも戻ってくるだろう、と思っていたけど、彼はなかなか戻ってこなかった。
「見てください、やってやりましたよ!」
見事優勝を手にした天羽くんは私に戦勝報告に来てくれた。
彼の手にあるピカピカの食堂1年間フリーパスは輝いて見えた。
「おめでとう、君は特待生の誇りだ!」
それが自分の事の様にうれしくて、天羽くんの頭をわしゃわしゃ撫でていると、「おおげさですってば森宮先輩」と照れ笑いを浮かべていた。
何を言うんだ。1年の立場で優勝できた君はすごいんだぞ。もっと自分を誇るといい。
同じ特待生として嬉しく思うぞ!
「でも良かったんですか、森宮先輩は参加しなくて」
「順調にいけば私は来年から臨床実習で大学にいる時間も減るからね。実習先で食べることも増えるだろうから」
フリーパスを所持していても宝の持ち腐れになる可能性がある。それなら活用の機会の多い後輩に譲ったほうがいいだろう。
それに同じ人間が連続優勝するのは心象が悪いだろうし、周りの人間のやる気を削ぐ可能性もあるからね。
「医学部2年は本当に大変だから、君は今のうちからたくさん食べて力をつけるんだよ」
「えぇそんなに大変なんですか」
これは脅しではない。
難易度も留年確率も上がる学年なので、特待生である天羽くんはトップ維持というプレッシャーを感じることもあるだろう。私も通ってきた道だからそれがわかる。
「解剖実習は、同じグループになった人間の質で進行状況が大きく変わるんだよ。ちなみに教授がランダムにグループを決めるよ」
「そこは運なんですね」
自分で決められたらいいのに、と言いながら、天羽くんはきょろきょろと辺りを見渡していた。お友達でも探しているんだろうか。
「ところで久家先輩は?」
「……飲み物買ってくるって言って帰ってきてないんだ」
天羽くんの問いに私は肩を落とす。
そうなんだよ、まだ戻ってこないんだよね。
スマホでメッセージ送ったけど既読にならないし。もしかしてどっかで倒れているとか……探しに行った方がいいのかなと不安になってきた。
「あ、戻ってきましたよ」
スマホアプリの久家くんとのトーク画面の未読の文字を見ながらソワソワしていると、天羽くんが声を上げた。しゅばっと首を動かして久家くんの姿を探すと、薄暗いグラウンドに大勢いる学生を避けて通りながら戻ってくる久家くんの姿があった。
久家くん、と呼びかけようとしたが、彼の腕に女性の手が回ったのを見て声に出すのをやめた。
女性……小畑さんは久家くんの腕を掴んで何か言い縋っているようだった。ステージのイベントの声、周りの人の声もあり、彼らの会話の内容は聞こえない。
薄暗いのでしっかりは見えないが、久家くんが冷たい表情にしているように見えたのは私の願望だろうか。
彼の口が短く何かを言うと、小畑さんはぐしゃっと泣きそうな顔をして、その場から走り去っていった。
その先は……例の友人らの元である。彼女たちは小畑さんを慰めるような仕草をしていた。
「莉子、遅くなった」
久家くんは私の姿を見つけると、表情をほころばせていた。
「うぅん、それはいいんだけど」
「いいんだ、話は終わったから」
何の話をしていたの。
そんなこと聞かずとも想像は付く。
小畑さんの反応からして多分告白して振られたんだと。
私はそれに安心してしまった。
そして安心している自分の醜い感情に愕然とした。
人の不幸を喜ぶなんて自分はこんなにも性格が悪かったのかって。
「僕、友達に戦勝報告してきますね。それじゃ」
「うん」
何かを察したのか、天羽くんは離れていった。
「天羽はどうしたんだ?」
「さっきのクイズ大会で優勝した報告に来てくれたの。凄いよね、1年生なのに」
「特待生の意地とプライドを見せると公言するだけあるな」
天羽くんのクイズ大会結果に小さく笑っていた久家くんだったが、ステージを見上げながら疲れた様子でため息を吐いていた。
頬に貼られたシップが痛々しい。もしかしたら怪我が原因で発熱しているんじゃ……。
私は手を伸ばして久家くんの額に触れた。
突然の行動に久家くんがぴくっと反応していたが、手を振り払うことはなかった。
「少し熱っぽいかな……高熱って訳じゃないけど」
「……ちょっと疲れたな」
苦笑いする久家くんはちょっと無理しているようにも見えた。
熱って上がり始めが地味につらいもんね。
「もう帰る? 車運転していいなら私が家まで車で運んであげるけど」
「そうしたら莉子は帰り一人になるだろう」
「大丈夫だよ、毎回変態に遭遇するわけじゃないんだし」
自分の手よりも熱い彼の手を握って、私は久家くんの瞳をじっと見た。
「帰ろ?」
私の説得に、彼は素直に頷く。
後夜祭を2人で抜け出すと、荷物を回収して久家くんの車で彼のマンションまで送り届けた。
事故もなく、どこかにぶつけることもなく駐車場に車を停めると、助手席に深く座っている久家くんの顔を覗き込んだ。
呼吸が荒いとか、眼球の動きがおかしいとかそういうのはなさそうだ。
久家くんの髪をそっと撫でると、私を見る彼の瞳が一瞬揺れ、縋るような感情が見え隠れした。
もしかしたら心細いのかもしれない。
「ひとりで大丈夫? 何なら私一晩くらい泊まっていくけど」
何かあったときにすぐに動けたほうがいいだろうから提案してみた。
彼はそれに数秒考え、グッと唇を固く閉ざすと頭を振った。
「ダメだ……帰ったほうがいい」
久家くんの事だから私のことを考えて遠慮しているのだろう。
何の関係もない男女が一晩共にすることがどういう印象を持たれるか。それがわかっているから彼も私に甘えられないのだ。
「何かあったら連絡して、夜中でも飛んでくるから」
「……あぁ、莉子も気を付けて帰るように。送ってくれてありがとう」
私が彼女であれば受け入れてくれただろうに。
中途半端な友達の関係を自分が求めているくせに、今の立場の不便さに私は腹を立てた。
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