輪廻の花ー運命からは逃れられないー | ナノ



1話【繰り返す女】




「千代子を愛してしまったんだ」
「ごめんなさい、お姉さま」

 これで10回目。10回も同じ状況に直面した。最初は何もできなかった。だから2回目以降からは回避しようと頑張った。彼が妹に振り向かないよう気を回したし、彼の理想目指して頑張ってきた。
 ──それでも駄目だったのだ。

「…そう、ですか」
「君には申し訳ないと思っている」
「大丈夫よ、お父様達は他の嫁ぎ先を探してくださっているから…」

 なにが、大丈夫だ。
 私はこの後、3周り以上年上の男やもめのもとに後妻として嫁がされる。拒否権などなしだ。
 嫁いだ後は頑張った。馴染めるように頑張ってきた。嫁ぎ先の人の顔色を伺いながらどの生でも必死に頑張った。

 だけど、嫁ぎ先にも私の気の安らぐところはなくて、夫の娘にイビられ、息子には性的嫌がらせを受けた。夫には愛人がいてそちらに夢中。地味で面白みのない私には用がないと言っていた。
 残飯のような食事、ボロ布のつぎはぎ服。下働き以下の衣食住を与えられ、私は歯を食いしばって生きていた。だけど嫁いで数年後に必ず死んだ。殺されたり、折檻を受けた傷が原因で衰弱死したり、義理息子に乱暴を受けて子を宿したことで、義理嫁に折檻された後放逐されて野垂れ死んだり、事故で亡くなったり……
 どんなに避けようとしても私は死ぬ。婚約者に裏切られ、妹に婚約者を奪われ、親に邪魔者扱いされ、嫁ぎ先でも虫けらのように扱われ…

 もう嫌だ。
 もう、終わりにしよう。

 帯に挟んでおいた小刀をすらっと抜いてみせた。

「静子…?」

 大人しくて従順な私だったら笑って許すと思っているのだろう。婚約者はぽかんと間抜け面を晒していた。
 …1度目の私はそうだった。いい顔したいだけのお人好しだった私。──だけど受け身なままじゃいけないんだって気づいて、運命に抗おうとした。だけどどうしても婚約者は私を切り捨てるのだ。用無しとばかりに。

 ならば、これ以上生きていてもすぐに私は死ぬ。これ以上生きているのは無駄だ。
 それならば、自分で人生の幕引きをしてみせよう。

「お前らの好き勝手にはさせない」

 小刀の柄を握りしめて、目の前でベタベタしている妹と婚約者の男を睨みつける。

「お、お姉さま落ち着いて…」
「うるさい、姉と呼ぶなこの売女。私はずっと、生まれる前からずっとお前のことが嫌いだったんだ!」

 人のものばかり奪いやがって…!
 妹に本音を吐き出したのはこれがはじめてだった。それに驚いた妹の顔はわざとらしく見えて、苛立ちを掻き立てる。
 嫌いだ嫌いだ。父も母も親戚も近所の人も婚約者も妹ばかり可愛がる。甘え上手で器量よしな妹を誰も彼も愛するのだ。
 ……私はおとなしくしていた。気に触ることのないように気を遣って生きてきたというのに…この妹は。この女がいなければ……!

「静子! なんてことを!」
「目を見開いてよく見てなさい! 私を裏切ったお前らなんか呪われろ! 呪われて、血反吐を吐きながら死んでしまえ!!」

 私は小刀の切っ先を自分の首に向けると、勢いよく喉を突いた。
 私の中にあったのは怒りだ。
 私は狂ったように、何度も何度も首を突き刺し、引き抜いて辺りに血を撒き散らした。口から逆流した血液を吐き出そうと、狂人のようにグチャ、グチャッと刺し続けた。

 目の前で呆然とする妹と婚約者だった男。
 それが愉快で私はニチャリと笑った。

 ざまあみろ。
 お前らに好き勝手されて、不幸にされる前に死んでやる。

 力尽きた私は膝を付き、ドサリと地面に倒れ込んだ。冷たい床に頬を付けて、徐々にやってくる自分の命の終わりを感じ取っていた。口の端からはゴボゴボと血泡を吹き出し、漏れ出た空気がゼヒューと音を立てた。

 はじめてだ、自分で望んで死んだのは。
 私は運命に抗った。
 これでようやく終わる。
 
 そう信じていたのに私はまた、静子としてこの世に生まれてしまったのである。


■□■


「わぁ、いいなぁ、それ正男さんからの頂き物よね?」

 これも11回目だ。
 断っても結局は妹のものになる髪飾り。
 婚約者からの贈り物だが、そもそも、こんな可愛らしい子供っぽい髪飾り、私には似合わない。婚約者は妹に似合うと思ってこれを選んだのではないだろうかと今になって気づいた。
 私を中継して贈り物を贈っているんじゃないか?

「あげるわ」
「えっ、いいの!?」

 ぱぁっと明るい笑顔を見せた妹。
 その笑顔を見るたびに私はイライラしていたが、今は凪いでいる。もう関心がないのだ。妹を憎みすぎて、悪意の詰まった箱が壊れてしまったかのように、私の感情は鈍くなっていた。

「私には似合わないもの。こんな子供っぽいものを寄越すなんて、彼センスが無いのね」

 前までは言わなかった悪口。
 いつも私は彼を立て続けたが、もうやめた。どうせ離れていく婚約者なんだ。時期が来るまで放置しておけばいい。

「そんな…とっても可愛いのに、お姉さまひどいわ…」

 今までさんざんひどいことしてきた妹には言われたくない。一瞬湧いて出てきそうだった憎しみの気持ちが、壊れた箱のヒビからにじみ出ていって、消え去っていく。……もう、どうでもいい。
 だけど私は妹と会話するのも面倒だったのでその髪飾りを放り投げると、踵を返した。

 私は家族も婚約者も諦めた。
 どうあがいても絶望なら、その運命の日までしたかったことをしようと思いついたのだ。
 婚約者ができてから私はずっと我慢してきた。いい妻、いい母になれと教育され、抑圧されてきた。のびのび育てられ、何でもさせてもらっていた妹が憎らしくて仕方がなかった。
 今回はもうそれを辞めるのだ。

 幸い、これまで10回の生で身につけてきたことはすべてこの体に染み付いている。家庭教師も舌を巻いて「完璧でございます。私どもには教えることはもうございません」と両親に辞意を表明するほどだ。
 今まで頑張ってきたのだ。少しばかり自由に生きてもいいと思うのだ。どうせ死ぬのなら、その最後の瞬間まで精一杯人生を楽しみたい。
 女性らしくないと眉をひそめられた読書も思いっきりしてやるし、女性だけで入ってはいけないと言われたカフェーにも入ってやる。屋台のものを外で大口開けて食べるし、声を掛けてきた男性ともおしゃべりしてやるんだ。流行のものを身に着けて、お化粧だってしてやる。
 どうせどうせ、運命は変わらないのだから。


「え…静子さんには婚約者がいるのかい?」
「親が決めた相手なんです。ですが婚約者は私の妹にご執心で、私への贈り物と言いながら、妹に似合うものを送ってくるのですよ」

 最近図書館で知り合った男性に誘われてカフェーでお茶をしているときにそんな愚痴混じりの話をしてしまった。今世では婚約者を気遣っていないので、私と婚約者は完全にすれ違いになっている。
 それをいいことに彼らは堂々と逢引を重ねているそうだが…私にバレてないと思いこんで次第に遠慮がなくなってきた気もする。これはもしかすると、婚約破棄を申し出られるのが早くなるかもしれないな。

「それは…ひどいね」
「もう慣れました。そしたら多分私は別の人の後妻として嫁がなきゃならなくなるんですが……運命は変えられませんからね」

 ミルクたっぷり注いだカフェオレを口に含んでその味に頬を緩める。はじめてコーヒーを飲んだときはこの世のものとは思えない飲み物だったけど、牛乳を入れたらこんなにも口当たり良くなるなんて! 目の前に座る斎藤さんのお陰だわ。
 大学生だという斎藤さんとは図書館の中で出会ったのだ。高い本棚にある本をハシゴに乗って取ろうとすると、彼が代わりに取ると申し出てくれたのがきっかけで図書館で会うたびにお話するようになったのだ。
 多分恐らくだけど、彼はどこか裕福なお家の生まれだと思う。小綺麗だし、所作が一般庶民と比べると洗練されているからだ。近眼だからと分厚い眼鏡をつけられているけど、それを外した途端に世の女性が振り返る色男になるだろう端正な顔立ちをした青年だ。

 彼は知識欲の塊で、勉強家で、とても頭のいい方。彼のお話はどれも興味深く、話し込んだことは数え切れないくらい。私の知らないことばかり知っていて、聞かされるたびに私は自分の存在がちっぽけに思えた。
 10回目までの私は世の中を知ったふりをしていて、実は何もわかっていなかったのね。……この生で私は今までしたかったことをたくさんできた。
 もうそろそろ私の運命がやってくるだろうだけど、好き勝手生きられて今回は少しだけ楽しかったわ。

「これからきっと斎藤さんとも会えなくなります。せっかく良くしてくださったのに寂しくなるわ」
「静子さん…」
「お元気でね」

 私は彼に手を振ってお別れを告げた。
 いつもと同じ別れ方だけど、彼と会えるのはこれが最後であろう。眼鏡でわかりにくかったけど、斎藤さんは心配そうな顔をしていた。
 最後なんだから明るく笑顔で別れたら良かったのに。……彼は今までの運命に関わらない人だったから油断して吐き出してしまった。

 帰り道をひとりで歩いていると、地面が歪んで見えた。
 これから私は死に行く。どんなにあがいても避けられなかった死へと歩いていく。

 ……なぜ私の生は繰り返されるのであろう。死んだ後も悪夢を見続けているのだろうか? 私が何をしたというのか。私になる前の人生で余程悪人だったから、罰として地獄のような人生を繰り返し送らされているのか。
 ……やっと、人間らしく笑えたと思ったのに、私は地獄という名の底なし沼に足を取られて動けなくなる。呪われた運命からは逃れられない。

 目を閉じると、斎藤さんの顔が浮かんだ。
 はじめて、私という人間を見てくれたのは斎藤さんかもしれない。そんな人に最後に出会えて、本当に良かった。


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