大正夢浪漫・いろは紅葉 | ナノ




【漆】


「亜希子、悪いのだけど頼んでいた商品を受け取りに行ってくれる? マサさんに行って貰う予定だったのだけど、ギックリ腰になっちゃったみたいなのよ」

 お母様にお使いを頼まれた私は二つ返事で快諾して出かけた。護衛と称した吹雪さんとともに。
 お使い先は何度か行ったことのある海運会社だ。頼んでいた商品が届いたそうなのだ。

「これなんですか?」

 風呂敷に包まれたそれを吹雪さんが持ってくれると言うのでお言葉に甘えて運んでもらうと、それを持ち上げた吹雪さんが首を傾げた。
 
「輸入物の骨董品だそうよ。収集家の人からの依頼なんですって」

 輸入代理も事業の一部である我が家の家業。今回はお客さんに頼まれていたものを引き取りに行っていたのだ。
 中身が骨董品と聞いた吹雪さんはギクッとすると、商品を持ち直した。抱え方が丁寧になった気がする。

「そういえば…輸入といえば、いま外の国がきな臭くなってるって噂ですね」

 吹雪さんの言葉に私は表情を曇らせた。
 ……そうなのだ。日本から遠く離れた西洋の国で小さな小競り合いが始まったという情報が流れてきた。

 日本人の大体は、うちの国には関係ないと言わんばかりにのほほんと生きているが、その小さな火種はやがて特大の火薬となって大火事を起こすことになるのだ。

「商売へ影響が出ないといいですよね」
「…そうね」

 吹雪さんもこの先のことを知らない。大きな戦争が起きるなんて微塵も感じていない。
 ……そして、この未来を知っている私は何も出来ない。この世界の事を知っていても私には何も変えられないのだ。
 私がため息をつくと、吹雪さんがこちらを気にした気配がした。

 もしも私が男だったら未来を変えられたのだろうか。……ううん、人間一人の力で戦争が止められるなら、悲劇が起きるはずがない。考えてもどうしようもないのだ。

 私は考え事に没頭していた。歩いている道はよく通る裏道。荷物は吹雪さんが持ってくれている。まだ明るい時間だから完全に油断していたのだ。


「──おい、宮園亜希子ってのはあんたのことかィ?」
「わりーんだけど、ちょっとツラ貸してもらえるか?」

 だってまさか名指しで絡まれるとは思わないじゃない?
 突如現れたゴロツキはいかにもって感じの風貌であった。着流しにステテコ姿、いかつい顔や腕には生傷が絶えない。いかにも堅気じゃない人間である。

「な、なんだあんたたち…!」

 危険を察知した吹雪さんが私を庇ってくれる。だけど線の細い吹雪さんを見た男たちは鼻で笑っていた。

「そこの女に用があるんだ。怪我したくなかったらひ弱な坊っちゃんは引っ込んでな」

 典型的な悪者のようなセリフを吐いたゴロツキ1は吹雪さんの肩を掴むと、力任せに押しのけた。吹雪さんは力に押し負けてドサッと尻もちをついていた。

「吹雪さん!」
「おら、こい。手間をかけさせんな」

 彼を助け起こそうと私が腕を伸ばすと、その腕を無骨な手に掴まれた。加減のかの字もないそれに私は顔を歪める。

「いやっ」
「騒ぐな!」

 私が抵抗を見せると、それに腹を立てた男が手を上げた。ブンッと風をきる音。振り上げられた拳に私は固まった。殴られる…!

 ──ドスッ
「ぐぉっ!?」
「お嬢さん! 逃げてください!」
「何すんだてめぇ!」

 殴られると思ったけど、それを阻止したのは吹雪さんだった。彼はタックルするかのようにゴロツキ1に飛びかかったのだ。
 邪魔されたゴロツキ1は苛ついた様子で吹雪さんを突き飛ばす。どしゃあっと土ぼこりを立てながら地面に叩きつけられた吹雪さんは「ゲホッ」とむせていた。
 
「吹雪さん!」
「はやくっ逃げて…っ」

 逃げろと言われたのに、私の足は恐怖で竦んで動かなかった。頭ではわかってるのだ、私がここに残っていてもなんの役にも立たないって。だけど吹雪さんを残して逃げるなんて、そんな……

「お嬢さん!」

 吹雪さんはゴロツキ1の足にしがみついて妨害した。

「懲りねぇな! 一度痛い目合わねぇとわかんねぇってか!」
「ぐぁっ!」

 吹雪さんを容赦なく蹴りつけたのはゴロツキ2だ。背中を思いっきり踏みつけられた吹雪さんの腕が脱力した。それから抜け出したゴロツキ1が私に近づこうとしたが、また再び吹雪さんが足にしがみつく。

「しつけぇ! 女の前だからって格好つけてんのか!? 惨めな姿晒して情けねぇと思わねぇのか!」
「うぐっ…」

 次は腹を蹴られていた。
 痛いはずだ苦しいはずだ。それなのに、苦悶の表情を浮かべながら吹雪さんはゴロツキの足にしがみついて離れなかったのだ。
 ゴロツキ共の興味は吹雪さんの方に向いたらしい。

「一旦痛めつけてやろうぜ」

 ガシッと乱暴にわしづかみしたのは、吹雪さんの髪の毛だ。顔を持ち上げられた吹雪さんは痛みに顔を歪めている。脂汗をかいたそのきれいな顔をゴロツキ1は舐め回すように見ると、気に入らなそうに、唾を吐きかけた。
 吹雪さんの白い頬にそれがねっとり張り付き、彼は屈辱で顔をしかめている。

「キレーな顔がボコボコにされても悪く思うなよ? …邪魔したオメーが悪いんだぜ?」
「女だったら高く売れたんだけどなー。男趣味のある奴に売るには年が行き過ぎてるもんなー…それとも色狂いのババァにでも売るか?」

 指の骨をポキポキ鳴らしながら男二人が吹雪さんを囲む。
 そして、拳が振り上げられた。
 ──バキッ

 私は恐怖で腰を抜かしていた。
 逃げなきゃ、なんとかしなきゃ、助けを呼ばなきゃ、彼を助けなきゃ。わかってるんだけど恐怖で正常な判断が出来ない。
 助けを求めようにも恐怖で喉が張り付いて声が出ないのだ。

 その間にも、吹雪さんは大男二人に羽交い締めにされて容赦なく殴りつけられている。
 私を助けようとしたばかりに……私のせいだ……!

 私は悔しかった。
 いきなり現れて絡まれて、理由なく暴力を振るう男たちに怒りすら覚えていた。

 だめだ、しっかりしなさい宮園亜希子。
 しっかりしろ!

 私はあたりを見渡して武器になりそうなものを探した。
 ……だけど小石しかない。下手したら吹雪さんにぶつかってしまうから危険だ。

 とにかくアイツらの意識をそらさねば。
 私は履いていた草履を脱ぐとゆっくり立ち上がり、それを構えた。恐怖で腕が震えるのを抑える。
 チャンスは2回。深呼吸を繰り返し、そして、大きく腕を振りかぶった…!
 
「吹雪さんを離しなさいよ! うわぁぁん!」

 恐怖と怒りがごっちゃになりながら私は叫んだ。
 私がぶん投げた草履はゴロツキ2の背中にぶち当たる。しかし所詮草履である。下駄のほうが威力は高かっただろうが、あいにく草履を履いてきたので仕方がない。
 ゴロツキ2は吹雪さんを殴るのをやめて、のっそりとこちらを振り向いてきた。その眼光の鋭さに私は引きつった声を出しそうになったが、我慢して飲み込む。

「命知らずな小娘だなぁ……どうやら痛い目に遭いたいようだ…」
「なにもしなくてもひどい目に遭わせようとしてるくせに何を言っているのよっ!」

 目的は私なのだろう!
 それ以上彼を殴るな!

「私はっ、あなた達みたいな卑怯者に白旗なんて振らないから…! か、かかってきなさいよぉっ」

 完全に強がりだ。
 現に私の足は生まれたての子鹿のようにガクガク震えているし、声も顔も恐怖で引きつっている。
 だけどこのままやられっぱなしではいられないのだ。

「もう一度言うわ! 吹雪さんから手を引きなさい!」
「…上等じゃねぇか…今の言葉後悔すんじゃねぇぞ小娘…」

 吹雪さんから手を離したゴロツキたちは凶悪な顔をして笑っていた。私は恐怖で竦み上がったが、そんな自分を叱咤した。

 負けるな、負けるな亜希子。
 私は強い子、強い子なのだ…!

「お、じょう……」

 吹雪さんは殴られすぎて血まみれになっている口元を動かしていたが、それすら億劫になるほどぼろぼろになっている。
 私は歯噛みした。

「後悔するのはどっちかしらね!!」

 私は自分の心を激励するために大声で叫んだ。負け戦だとわかっていた。
 だけどここでやられっぱなしなのは性に合わない。無様に殴られても私の心は決して捻じ曲げられない。

 残っている草履を構えて、男たちの動きを注視する。 
 お互いににらみ合うが、先に動いたのは──…

 次の瞬間、私の視界に白が広がった。

「うわっ、何だお前っ」
「なんだこいつっ強いぞ!!」

 突然目の前に現れた彼の人。私が見たのは彼の背中。白の将校服だ。
 まるで舞を見ているようだった。
 流れるような攻撃で、一方的に男たちを薙ぎ払っていくその人。

「…た、忠お兄様!?」

 なぜここに彼が?

 だが、彼が現れたなら勝機はこちらにあり。
 なんたって忠お兄様は現役の軍人。
 喧嘩慣れしている素人と違う。軍人というのは玄人だ。戦いなれているのがどちらかなんて明らかである。
 無駄に人を痛めつけることを好まない彼は適当に弱点をついて男たちを簡単にのしてしまった。
 うぐぅ、と呻く男たちを見下ろしていた忠お兄様がこっちを振り向く。
 その顔を見た私は泣きそうになった。
 …助かった、と一気に安心が押し寄せたのだ。

「亜希ちゃん、一体何が…? それになぜ吹雪君がこんな目に…」
「あの人達、私を拉致しようとしたんです! 吹雪さんは私を助けようとして……」

 地面に伏したままの吹雪さんを助け起こすと、吹雪さんは呻いていた。彼のきれいな顔は文字通りボコボコ。私はハンカチを取り出すと、彼の血を拭う。

「ごめんなさい、吹雪さん…ごめんなさい……」
「…ぶじで、良かった」

 ひどい目に遭ったというのに、吹雪さんは私の心配をしている。
 私は自分が情けなかった。
 そして怒りを覚えていた。あの男たちは一体何なのだと。…無力な自分に腹が立っていた。
 吹雪さんの状態を確認していた忠お兄様は吹雪さんに背中を向けてしゃがみこんだ。

「早く手当をしたほうがいい。運ぶから背中に乗って」
「……」
「横抱きのほうが良かったか?」

 忠お兄様の言葉にムッとした吹雪さんはおとなしくおんぶされていた。横抱きは嫌だったらしい。

 
 
■□■


 家に運び込まれた吹雪さんはすぐに部屋で寝かされた。お医者様を呼ぼうかと聞いたが、吹雪さんはそれを遠慮した。代わりに忠お兄様が怪我の具合を診てくれている。
 私は手当用の道具とお湯と手ぬぐいを準備して彼が使用している部屋の前に立つ。

 すると、閉められた襖の向こうから会話の一部が聞こえてきた。

「俺は庇うことしかできなかった。……俺さ、悔しいけどあんたには勝てないと思ってるわけよ。だから早いとこけじめ付けてくんない?」
「……」
「ボサボサしてるんなら奪うからな? ほら、俺って若いから、早乙女さんみたいに枯れてないしさ」

 なんの会話だろう?
 枯れたとかけじめとか……

「亜希子です。入ります」

 私は外から声をかけると、襖を開いて入室した。中で触診されていた吹雪さんはさっと着物を羽織って身体を隠していた。
 お湯を張った桶を運び入れて、その中に手ぬぐいを浸した。それを絞りながら2人に先程までの会話の内容を尋ねた。
 
「何のお話をしていたんですか?」
「なんでもないですよ」
「大した話じゃないよ」
 
 男同士の秘密ですか。そうですか。
 普段あまり仲良くないのに珍しくふたりとも息が合っているじゃないか。
 それはそうと早く傷口を清潔にして消毒しなければ。私は素早くたすき掛けをすると、濡れた手ぬぐいを構えた。

「さぁ着物を脱いで、吹雪さん」
「えっ」
「私のせいでひどい目に遭ったのだもの。私に手当させて頂戴!」

 せめてこのくらいさせてほしい。罪悪感で胸が押しつぶされそうなんだ。お詫びに手当てくらいはしないと割に合わない。
 私は吹雪さんの看護をしてあげる気満々だったのだが、持っていた手ぬぐいを忠お兄様に取り上げられてしまった。

「大丈夫だよ、亜希ちゃん。俺がやるから。それとね、年頃の娘が男の裸を見るのはあまり褒められたことじゃないんだよ?」
「今はそんな事言っている場合じゃないわ、吹雪さんは私のせいで…」
「いいから出ているんだ」

 私は忠お兄様によって部屋を追い出されてしまった。

「いてぇ!」
「痛みがあるのは元気な証拠だ」

 部屋の中では吹雪さんが痛みに喚く声と、忠お兄様が珍しく脳筋な叱咤激励する声が漏れ聞こえてきた。
 なんか……仲間外れされたみたい……

「あんたっわざとやってるだろ!?」
「うんうん、これだけ元気ならお医者は必要ないな」
「いってぇぇ!」

 私はひとり蚊帳の外に出されたような気持ちで、部屋の外で一人しょんぼりしていたのであった。





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