リナリアの幻想 | ナノ
探る目
一歩一歩前に進むにつれて帰り道がわからなくなるそんな場所。私は道なき道を迷わず進んだ。
最初のうちは道に迷っていたけど、今ではすっかり自分の庭のような場所に変わった。
ここは還らずの森。木々に覆われた広大な森は手つかずのまま自然のままの姿でお出迎えしてくれる。
この森は危険が隣り合わせの大自然。簡単には足を踏み入れられない場所なので人の手が加わっていない。そのためまだ発見されていない不思議な生物や植物が存在する。
「皆、おはよう。今日の調子はどう?」
『おはよう』
『ぼちぼちだよ』
『ミモザ、羽根を怪我したから治して』
ぜぃはぁと息切れしながら周りにいる森の動物達に声をかけると、あちこちから返事が返ってくる。私にとって動物の心が伝わるのは普通のことだけど、やっぱり他の人にとっては動物に向かって独り言を言っているように見えるみたいで、本日の依頼者であるクラウスさんは「彼らはなんと言っているんだい?」と尋ねてきた。
「挨拶を返してくれました。あとあの木に留まっている鳥型魔獣の子は…」
私が腕を持ち上げると、その子はこちらに向かってすいーっと飛んできた。そして躊躇うことなく腕に留まる。
「この子は羽根を怪我したそうで治してほしいそうです」
「あぁ、痛そうだ。肉食獣に噛まれたのかな?」
怪我の具合を覗き込むクラウスさんは物珍しそうに鳥型魔獣を眺めている。この子は派手な孔雀のような見た目をしているが、その嘴からは青い炎を吐き出す。扱い方によっては危険な生き物でもある。
「我に従う光の元素たちよ、哀れな魔獣の怪我を癒やし給え」
普段は使わない正式な治癒魔法の呪文を呟く。だって仕方ない。私以外の人がいるんだもの。クラウスさんもだけど、さっきから私を監視するような視線をバシバシ送ってくるどっかの誰かさんとかね。
「…治せてないみたいですね」
「ちょっと調子が悪いみたいですね。ウゥンッ……我に従う光の元素たちよ、哀れな魔獣の怪我を癒やし給え」
ルーカスの指摘に私は明るく返すと、大きく咳払いをして、もう一度願いを込めて呪文を唱えた。
すると私の願いを聞き入れた元素たちが力を貸してくれたので内心ホッとする。
こんなところでポンコツを発揮しなくてよかった。魔法が発動してよかったよ。
クラウスさんについていく形で還らずの森の魔獣調査参加していたルーカスはなにやらこちらを怪しんでいるようなのだ。
私の動きを見逃さないように注視している気配があって、実にやりにくい。……クラウスさんだけならなんとかなったんだけどなぁ。
バレないようにため息を吐くと、私は鳥型魔獣を宙へ放つ。
『ありがとう、ミモザ』
色鮮やかな羽根を広げた魔獣は自由自在に飛び回って羽ばたいて行った。その姿は幻想的で美しい。
隣にいたクラウスさんがほぅ…と感嘆のため息を吐いていた。
「素晴らしい能力だ。……彼女もこんな風に呪文無しで自由に生き物たちとやり取り出来たのだろうか」
ポツリと呟かれたクラウスさんの言葉に私が首を傾げる。彼女って誰のことだろう。哀しそうな目で懐かしむように言うものだからなんか心配になってしまった。
「──リナリアも息をするように対話が出来てましたよ。丁度今のように」
私のことだった。
やめて、どんな反応したらいいかわからなくなるからここでリナリアの話を出さないで。
「わ、私と同じ能力の方なんですね。私、他の通心術士に会ったことないんですよー会ってみたいなー」
我ながら棒読みに聞こえる。でもここで黙っていたら不自然に思われるじゃない?
「リナリアさんはルーカスの同級生で、1年前から行方不明なんだ。ルーカスもずっと探しているんたけどね……せめて無事でいてくれたらいいんだけど」
「……大丈夫ですよ! 魔術師なら職にも困りませんし、何とかなってると思います」
心配してくれているクラウスさんに対して良心が傷む。両親と同年代の人だから尚更だ。
私は元気だと遠回しに伝えると、クラウスさんは悲しそうに笑った。……一度会っておしゃべりしただけの息子の友人をそこまで心配してくれるのか。なんだか申し訳ないや。
クラウスさんを慰めながら歩いていて、足元に注意を向けてなかった私は泥に足を取られた。
「きゃあっ!」
ズルンと滑った私は後方へと倒れ込んだ……けど、想像したような痛みは訪れなかった。私を包んだのは逞しい腕だ。その腕を私の体は憶えていた。
力強く抱きしめられたあの晩のことはきっと一生忘れられないから。
「…大丈夫ですか」
「ご、ごめんなさい! …グフッ」
しばし惚けていた私はルーカスに声を掛けられて正気を取り戻した。慌てて離れると、また泥に足を取られて滑って、今度は彼の胸に顔面強打する。
「うぅ~…」
私は一体何をしているんだ。
鼻の痛みに呻いていると後ろから「ミモザちゃんはドジだなぁ」とからから笑われた。
「手を貸してあげるよ、ほら」
「大丈夫です。自分で歩きます」
同行者として先導してくれていたモーリッツさんが笑顔で手を差し伸べてくれたが、私はそれを断る。
つれないんだからぁと言っているモーリッツさんを追い越してザカザカと速歩きしてルーカスから距離を作る。
……つい学校時代を思い出してしまった。ドジな私を彼はいつも助けてくれた。そんな優しい彼に私は恋をしていたのだ。
彼に裏切られた事で、お母さんになった事で、未練がましい恋心を完全に封印したはずだったのに、彼を前にすると封印が解けそうになる。
……ルーカスに接近しすぎたらだめだ。必死に隠している幻影術が解けてしまいそうになる。
ドキドキと高鳴る胸の音を聞こえないふりして、私はお仕事に専念したのである。
◆◇◆
朝から探索しては素材の収集をしてきたが、一旦休憩を挟むことにした。
私は魔法で作られた地図を広げて現在地を確認していた。午後の段取りを立てるためだ。
還らずの森の中は磁場が狂いやすいし、薄暗くなるのが早い。なので夕方前には今日の作業を終わらせて依頼者たちを連れて引き返さなくてはいけない。
仮にもここにいるのは全員魔術師なので、一晩くらいは野宿できるとは思うけどここは安全第一に考えて……。
「どうぞ」
地図を睨んでいたら目の前にほこほこ湯気の立つ紅茶入りカップが出現した。
気配なく近付いたルーカスにお茶を差し出されたのだ。
「えっ……あっ、お気遣いなく」
飲み物なら携帯しているから別にいいのに。ていうか依頼人にお茶を振る舞われるってどういうことなの。
「休憩を取ったほうがいい。あなたはさっきから何も食べずに地図ばかり眺めている」
「仕事ですから」
お昼一回食べなくても別に死にやしないのに。断ったけど、グイグイと紅茶のカップと美味しそうなマフィンを押し付けられたので、仕方なく食事することにした。
「……失礼ですが、魔法魔術学校はいつ卒業なさったんですか? 見た感じ僕と同じくらいのお年ですよね」
……ルーカスは、ミモザという存在に違和感を持っているからそんなにも警戒しているんだろうか。
確かに同年代なら学校で見たことあるはずだもんね。魔術師の才能に恵まれる子どもの数は限られている。同世代なら大体どこかで見たことのある人ばかりになるんだよね。
「私は隣国エスメラルダの魔法魔術学校を卒業したので、ご存じなくて当然かと」
私は前もって考えていた言い訳をした。
外で働くことになったときに大巫女様と一緒につじつま合わせをするためのミモザ・ヘルツブラットの設定を考えていたのだ。
自信満々で答えるも、ルーカスはジッと私を凝視してくる。
なんだろう、その疑いの眼差しは。
「ミモザさんにはお姉さんがいますか?」
「……いいえ? 私はひとりっ子です」
「ご家族は?」
「両親がいますけど……」
「エスメラルダに?」
「えぇ…」
引き続き、身辺調査のように質問を繰り返された。
なんでそんなことを聞いてくるんだろうか。
「では、今はおひとりで住まれているんですか?」
「…あの、ご依頼に関係ない、個人的な話は控えさせていただきたいのですが」
流石にそれは仕事と関係ないし、話さなくてはいけない内容でもない。
私がそれ以上の質問を拒否する姿勢を見せると、彼は「気分を害したのであれば、申し訳ありません」と謝罪しつつ、やっぱりどこか探るような目をして私を観察していたのである。