リナリアの幻想 | ナノ

幸運の子

『リナリア、愛している』

 ──夢の中で彼と会った。
 夢の中の私は彼からの愛の言葉を素直に信じた。彼に抱きつくと顔中キスを落とされて、むぎゅっと体を抱き返される。それだけで私は嬉しかった。
 
『あの日の朝もこうして欲しかった、傍にいて欲しかった』

 私が彼にそう文句を付けると、彼は困った顔をしていた。

『そういうことは言ってくれなきゃわからないよ。それに君は僕の話を聞こうともしてくれなかったじゃないか』

 そう言われてみたらそうだなと思いつつ、なんとなく腑に落ちない気持ちになっていると、なんだかお腹が痛くなってきた。

 その痛みは月のものの痛みとは比べものにならないほど強い痛みで、私は自分が漏らす苦悶のうめき声で目が覚めた。室内は真っ暗で、まだ深夜の時間帯みたいだ。あまりの痛みに呼吸が乱れる。
 助けを求めて両手を伸ばすが、なにも掴めるものはなく、私は痛みに悶絶していた。

「リナリア、どうしたの! 産気付いたの!?」

 私の異変を察知したウルスラさんが隣の部屋から飛び込んできた。彼女は私の様子を見てすぐに状況を把握したみたいだ。

「待ってて、産婆を呼んでくるから」
「う、うるすらさん…」

 痛みで意識が朦朧とする中で、ウルスラさんが飛び出していくのを見送った私はものすごく心細い気持ちになった。
 ──この子は、父親に存在を知られず、隠れてこの世に生まれるのだ。
 私はちゃんと良い母親になれるだろうか? ひとりでちゃんとこの子を育てられるだろうか?

 不安を感じられたのは少しの間だけだった。その後は痛みが襲いかかってきて思考するどころじゃない。何度も何度も痛みの波が押し寄せてきては私は痛みに悲鳴を漏らした。
 痛い、痛い、助けて。
 声にならない声で助けを求めるけどもこの痛みから解放してくれる人はいなくて。

 ウルスラさんが産婆さんを連れ帰って来ると、騒ぎを聞きつけた近所の女性陣がお手伝いに来てくれた。
 私は彼女たちの応援を一身に受けながら産みの苦しみに喘いでいた。
 今の陣痛はほんの序盤らしく、これからもっと痛みの感覚が短くなるのだと産婆さんに言われたときはこのまま気絶してしまいたかった。しかし気絶なんかできるはずもない。襲いくる痛みの波に汗だくになりながら耐えた。

 私はお母さんになるんだ。私が頑張らなくて誰がこの子を守れると言うんだ…!


 夜の闇が朝焼けに変わっても私は陣痛に苦しんだ。長い長い苦しみだった。

 ──それから昼が過ぎて、日が暮れて一日が終わろうとした頃に、ようやく生まれた。

「ギャアアアアン!」
「リナリア! 元気な男の子よ!」

 顔を真っ赤にして泣き喚く赤ちゃんを取り上げたウルスラさんが私の胸元に連れてきてくれた。
 私は初めての出産で動くのも億劫だったけど、赤ちゃんが落ちてしまわぬように腕を回して体を支えた。

 この子が、私とルーカスの子。
 私が守り続けた秘密。命をかけて生んだ大切な存在。

 あぁ。なんて愛おしいんだろうか。
 私は生まれたての息子を抱き寄せて涙を流した。
 この子を産めてよかった。この子の命を守れてよかった。この子を殺す選択をしなくてよかったと改めて思った。

「良かったわね、リナリア」

 休まずお産を手伝ってくれたウルスラさんは泣いていた。自分のことのように喜んでいた。
 あの時彼女が声をかけてくれなくてはこの子は無事に生まれなかったかもしれない。彼女はこの子にとっても恩人だ。

「ウルスラさん…この子の名前を考えてくれる?」
「え?」
「名付け親になって欲しいの」

 私がお願いすると、ウルスラさんは少し躊躇している様子だった。くしゃっと泣きそうに顔を歪めていたが、涙を堪えながらとある男性名を呟く。

「フェリクス…はどうかしら。この子が幸運に恵まれるように」
「…いい名前ね。フェリクス、あなたの名前はフェリクスよ」

 あなたは確かに私が望んで産まれた子。私はあなたのために命を懸けて守る。

「我に従う全ての元素達よ、この子に祝福を」

 ウルスラさんは祝福の呪文を唱えると、フェリクスのおでこに軽くキスした。今は理由があって魔力抑制状態で魔法が使えないという彼女だが、その時確かに、フェリクスには最大限の祝福が与えられたと思う。

 この子にはお父さんはいないけど、お母さんと名付け親のもうひとりのお母さんがいる。だから大丈夫。きっと幸せにしてみせる。


◇◆◇


 フェリクスはほんのり頭頂部に生えた産毛がルーカスの髪と同じ色で、瞳の色は私と同じ碧色だった。

 はじめての子育ては、ウルスラさんや近所の人達が厚意で手伝ってくれることも多く、慣れないこともあって戸惑うこともあったけど、なんとかなっていた。
 だけど、母親にしかできないことで早速私は躓いてしまった。

「ゥギャアアアアン!」
「ごめん、ごめんね…お腹すいてるよね」

 癇癪を起こしたように泣いて苛立ちを訴える赤子に私は謝罪した。謝ったところでどうしようもないのだが…
 フェリクスにご飯をあげようとしたのだが肝心のお乳の出が悪く、満足に与えてやれずに困ってたのだ。産婆さんに色々聞いて試したけど、どうにもうまくいかない。私が落ち込んでいるとウルスラさんが慰めてくれた。

「リナリアは華奢だし、今までの心労がたたったのよ。たくさん食べて栄養とりましょう」

 確かに私は周りに妊娠に気づかれぬよう神経質になっていて、食欲がなくてあまり食べなかった時期があった。友人やルーカスに捕まらぬよう必要最低限しか食べていなかったこともある。
 それが今になって代償として出てくるとは…

「母乳の出がいい人にお願いしたから、分けてもらいましょう」
「そうね…」

 いつまでも出ない母乳に足掻いていたら、フェリクスは空腹のままである。母として複雑な気持ちだけど、今はこの子がお腹いっぱい満たされることを優先すべきだ。

 その人は暴力夫から逃げてきた女性だった。妊娠中の大きなお腹で大神殿に助けを求めてきたそうなので、ほんのちょっと親近感がある。
 お乳を分けてくれないかという厚かましいお願いに快諾してくれた彼女はフェリクスにお乳を分けてくれた。
 その姿を見ていると、いたたまれない気分になる。
 自分が母親失格の烙印を押されたわけじゃないのに、罪悪感でいっぱいになった。

「ありがとうございます、なにかお礼を」
「いいわよ、そんなの。赤ちゃんだもの」

 相手の女性は母乳を分け与える程度なんてことはないと遠慮したが、そうはいかない。
 この人も赤子を抱えた身で苦労しているだろう。色々と物入りも激しいに違いない。
 私だってそうだ。これからはフェリクスが増える分生活費が必要になる。いつまでも引きこもっていたらいけない。今まで手仕事で稼いでいた賃金じゃとてもじゃないがやっていけない。

 そう考えると、居ても立ってもいられなかった。

 
「私、仕事がしたいと考えています。今の内職とは違って、もっと稼げるような仕事を」

 出産のお祝いに訪れて、産まれたフェリクスに洗礼を与えてくれた大巫女様にそのことを相談すると、彼女はわかっていたと言わんばかりに意味ありげな笑みを浮かべた。

「あなたにピッタリのお仕事があります。あなたの天賦の才能を最大限に活かせる環境ですよ」

 その言葉に私は目を丸くした。
 …あれ、天賦の才能について話したことあったっけな。

「身体が回復次第、あなたの身分を隠して、別人として就労できるようにして差し上げます。姿かたちを幻影術で変えて、別の名前を使用して外で働いてきなさい──」

 指し示された紹介先の機関名を言われた時、私はしばし呆然とした。

 彼女はどこまで私のことをご存知なのだろうか。
 そこは私が内定を蹴った研究機関だったからである。


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