リナリアの幻想 | ナノ
胎動
卒業の日が近づくと同時進行で、お腹の子は私の心を知らずにすくすくと育っていった。日に日に大きくなっていくお腹はもうゆったりとした洋服じゃごまかせなくなってきた。
当初は自分の存在を消すために幻影術を使用していたものの、授業中などは存在を消すと色々とまずいので、一部分だけ幻覚を見せる応用術で膨らんだお腹をごまかした。
「リナリア、どうしたの?」
「え?」
部屋で勉強していると、ニーナに心配されたのでなにが? と怪訝な顔をすると、ニーナの視線は私のお腹に向かっていた。
「お腹撫でてるけど、痛いの?」
ぎくっとしたと同時にばれてしまったかと焦ってしまった。
だけど違った。そうじゃなかったのだ。
ちがうの、この子の胎動が伝わって来るから無意識に撫でてしまうの。
そう言いたいけど、私は「ちょっと食べすぎちゃって」と笑って誤魔化すだけにした。
ニーナは薬を貰いに行くかと心配してくれたけど、私は遠慮した。
優しいニーナを騙すことに私の良心はチクチク痛んだ。
嘘をついてごめんね、本当のことを言えなくてゴメンね。
私しかこの子を守れないの。
誰かに言えば堕胎を強制されるかもしれない。
この秘密を隠し通さなくては。
友達にも嘘を付いて騙すのが心苦しくなりはじめた私は友達すら避けて一人で過ごすようになった。……厳密に言えば、この子とふたりでだけど。
今から孤独に慣れていた方がいいと思っていたのでいい練習になる。
私は友達や家族のことを裏切ることをするから。
裏切るというのは、妊娠したことだけじゃない。
私は決めていた。
この後私は誰にも行き先を知らせずに姿を消すことを。
一人でこの子を産んで育ててみせることを。
◇◆◇
月日はあっという間に流れ、卒業式の日を迎えた。
皆が涙する卒業式だったが、私は最後まで緊張が解けなかった。油断したら幻影術が解けて膨らんだお腹の存在がバレてしまうかもしれないから、最後まで気が抜けなかった。
本当なら無事に卒業できることを喜んでいるはずなのに、今の私はそんなこと考えている余裕がなかった。
みんな卒業パーティのためにたくさんおめかしをしているようだったけど、私は姿を完全に見えないように強力な幻影術を自分にかけていたので、普段通りの格好で静かに参加していた。
パートナーを作るでもなく、友人達と最後の学校生活を楽しむでもなく。一人で会場の隅っこに佇んでいた。
会場の真ん中では男女がペアになって踊っている。
卒業パーティでは特別塔・一般塔両方の学年首席がみんなの前でファーストダンスを踊るしきたりなのだそうだ。
今現在、一般塔首席のルーカスは黒髪のレディと一緒に踊っていた。
それを見ながら、私は過去に参加したパーティを思い出して感傷的な気分に浸っていた。
あの頃の私はキラキラした世界に胸を踊らせ、彼のエスコートに胸をときめかせていた。純粋な少女だったのに。今ではそんな浮かれた気分にはなれなかった。
「あのふたりって婚約したんだろう? ……クライネルト君は仏頂面すぎないだろうか」
その言葉は近くにいた男子グループから聞こえた。
ちらりと視線を向ければ、そこに貴族の子息達が飲み物片手にダンスを鑑賞している姿があった。
「ドロテア嬢のわがままで強行されたって話を聞いたけど?」
「あぁ、ならそうなってしまっても仕方ないか。彼も災難だね」
聞かないようにしたいけど、聞こえてくるからどうしようもない。私は心を無にして彼らの噂話を聞き流そうとしたのだが、どうしても気になってしまう。
「あの子は? クライネルト君は親しい女の子がいたじゃないか」
そのつぶやきに私はどきりとした。
「かわいそうにね、貴族相手じゃ太刀打ちできなかったんだろう」
「クライネルト君が妨害しなければ、貴族の誰かと縁組できただろうに……彼も罪な男だよね」
その言葉に私は反論してやりたかった。
だけどできない。そんなことしたら私の恥を晒すことになるから。
ダンスの曲が終わると、フロアにいたルーカスはドロテアさんの手をパッと手放し、さっさと離れていた。それにドロテアさんが癇癪を起こしたように怒っている様子だけど、ルーカスは振り返りもしなかった。
……もしかしたら本当にドロテアさんの権力だけで婚約が決まったのかも知れないなと一瞬期待して、そんな自分に嫌気がさした。
馬鹿なリナリア、期待してどうするの。私は彼に利用されただけなのに。
ルーカスは会場内を歩き回って何かを探していた。
イルゼやニーナ、クラスメイトに話しかけては回っている。
まだ、私を探しているんだ。探してどうするんだろう。私になにを言うつもりなのだろう。
また、私を利用するつもりなのだろうか。
だけど絶対に私を見つけることはできない。
あなたが教えた幻影術は私の得意中の得意魔法になったから。
彼が前を通りすぎた瞬間、息を止めると私の動揺を悟ったお腹の子が軽く蹴ってきた。
私は膨らんだお腹を抱きしめて勇気をもらう。
大丈夫、あなたはお母さんが守ってあげるからね。
おねがい、私を見つけないで。
この秘密を抱えて生きていくから、私を放っておいて。