リナリアの幻想 | ナノ
新たな才能と思わぬ再会
──まるで、身体全部が作り替えられたかのような感覚だった。皮膚や血液が自分のものじゃなくなるような、全身が泡立つ感覚がしたと思ったら、身体が急に軽くなったのだ。
あれ、飛行術ってこんなのだったっけ? と思っていると、目の前をひらひらと白い紙が舞っていた。私はそれに手を伸ばそうとしてそこでようやく気づいた。
伸ばしたそれは金色に輝く羽根だ。
──私の手が手じゃなくなっている!?
どういうこと!? どういうことなの!? わたわたしていると、自分の足が鳥類のそれになっているのが見えてしまった。
私、もしかして鳥になっちゃったの?
困惑したまま私は口…ではなく嘴でひらひら舞う進路希望表を挟むと、羽根を動かした。
身体が軽い。
こんなことってあるんだ……
呆然としながらも私の身体は上昇していく。そしてさきほどまでいた教室に舞い戻るとパタパタと羽根を羽ばたかせながら友人達の前で停空飛翔した。
ねぇねぇ、私こう見えてリナリアなんだよ、いきなり鳥になったんだよ!
そう訴えたけど、喉奥から出てくるのは小鳥のさえずりである。
参った、これじゃ意思疎通が出来ない……あ、誰かが通心術を使ってくれたらいいんだ! そう思って目の前にいたイルゼのおでこ目掛けて近づこうとしたら、ぬっと行き先を遮るように手の平で通せんぼされた。
誰だ、と思ったら、手の平に優しく包まれるようにして捕まってしまう。私を捕まえたのはルーカスだった。
「……リナリア、落ち着いて。元に戻れる?」
彼の声は震えていた。
私も混乱しているけど、ルーカスも混乱しているよね。
転落したし、鳥になったりでびっくりはしているけど、怪我はない。すこぶる元気だから心配しなくても大丈夫だよ!
そんなこと言っても私の嘴からはぴぃぴぃといった鳴き声しか出てこないんだけどね。これって通心術士の能力の一つだったりする?
「深呼吸して、人間の身体を想像するんだ」
ルーカスの手の平があたたかくて結構居心地がいいんだけど、やっぱりこのままって訳にはいかないよね。
言われた通りに元の身体に戻る想像をしてみる。
深呼吸をして、本当の身体を想像して……それで……
また、体中が泡立つ感触がした。それとともに軽かった身体が一気に大きくなって私は飛ぶ羽根を失ってしまった。
一気に身体が元通りになった私の体重を、身構えていなかったルーカスが支えられる訳がない。ドシンと音を立てて二人仲良く転倒してしまった。
彼の身体を下敷きにする形で倒れ込んだ私は、下で「いたた……」と声を漏らしているルーカスの顔を覗き込んだ。
「私、空を飛んだわ!」
本来なら謝罪が先なのはわかっていたけども、私は鳥に変化して空を飛んだことに興奮していてそのことが頭からすっ飛んでしまっていた。
彼のお腹の上に馬乗りする形でずずいと顔を近づけると、ルーカスは目を丸くしてぴしりと固まっていた。
「飛行術とは全然違うの! 小鳥達が大空を自由に飛ぶ感覚ってあんな感じなのね。動物に変身できるとは思わなかったわ! それでね」
「……リナリア、そろそろどいてくれないかな」
私が空を飛んだ感想を話そうとすると、ルーカスは固い声でそれを遮ってきた。
「やだごめんなさい! 重かった? どこか怪我していない?」
「大丈夫だから」
すぐにどいて、彼に怪我をさせていないか確認しようとしたけど、やんわり避けられてしまった。
顔を赤くしたルーカスはそのあとしばらく様子がおかしかった。
お腹が痛そうだったので医務室に行こうと勧めたけど、彼はそれを固辞していた。
もしかしたら、私が重くて腰を痛めたのかと思って彼の腰に治癒魔法を使おうとしたら拒否された。
「ブルームさん、ちょっと」
オロオロとルーカスの周りをチョロチョロしていると、騒ぎを聞き付けたエーゲル先生が私を呼んだ。
私はそのまま職員室に連れていかれ、そこでまたもや見つかった天賦の才能について説明されることになったのである。
◇◆◇
私の中に眠っていた新しい天賦の才能は動物に変身する能力だ。これは通心術とは全く別物の能力なのだという。
変幻術というもので、呪文を唱えれば変身できる人もいるにはいるそうだが、これにも向き不向きがあって、私のように自然に変化出来るのは稀なんだって。
変身と言えば、獣人が人から獣に変化することができるけど、私の場合服ごと、いろんな動物に変化できるので彼らとも少し違う。それも才能なのだという。
練習もかねて猫に変身してみる。
池の水に自分の姿を映して確認すると、どこからどう見ても猫だった。金色の毛並みに瞳は碧色。自分の持っている色のまま変化している。毛並みは長毛だ。ここは自分の好みにはならないようである。長いとボサボサ感が目立つような……
「リナリア、危ないよ」
「ニャッ」
窓の外に転落したこともあったからか、過保護になってしまったルーカスに抱き上げられて池から遠ざけられてしまった。
私はこれでも泳げるの。大丈夫だと言うが、猫に変身中の私の口から飛び出すのは猫の鳴き声だけである。
「ミャウ、ニャニャッ」
「ふふ、かわいい」
ルーカスは何を思ったのか、私を撫で回して来る。そんな甘々な視線を向けられたら勘違い起こしそうなのでやめて欲しい。
飼い猫を眷属にするくらいだ。もともと猫が好きなのだろうが、今撫でているのは同級生、元は人間である。
あぁ、でも気持ち良くて喉が鳴ってしまう。恥ずかしいはずなのに幸せで抗えない……!
喉奥からゴロゴロ音が鳴って、それに気をよくしたルーカスの手がますます私をもふっていく。
ねぇ私が女の子なの、理解してるよね? いくらなんでも無遠慮過ぎるでしょ……幸せだけど複雑な乙女心なんだ。
私は自分の新たな能力を発見してからいろんなことを試した。
様々な動物に変化したり、猫姿でルーカスの眷属トリシャとおしゃべりしてみたり、森のお友達と同じ姿になってその姿を維持したまま通心術を試みたり、友人らに通心術を試してもらったり。
私としては新しい能力が発現して「やったね!」という気持ちでいたのだけど、この能力を魔法庁で登録しておいた方がいいと先生方に促された。
これは私がこの能力を悪用しないよう、そして私という特殊能力者保護のための意味合いもあるのだという。
本来であれば、在学期間は学校の敷地外には出られない。だけど今回は特例で外出許可された。
エーゲル先生に引率してもらい、王都の魔法庁へ出向くとブレンさんがわざわざお出迎えしてくれた。
能力を悪用しない誓約書みたいな書類やらいろんな小難しい手続きを経て、登録が済むと、あっさり用事は終わった。
魔法庁というからもっと堅苦しくて重苦しい手続きや面談があるのかなぁと身構えていたけどそんなことないし、割と軽く終わっちゃったな。
「ただでさえ通心術士であることでいろいろ狙われるだろうからあまり周りに言いふらさぬようにね」
だけど帰り際にブレンさんから警告されて、ごくっと生唾を飲み込んでしまった。
「悪知恵が働く人間はどこにでもいる。君を利用しようと狙われる恐れもあるからね」
「先生方にも耳が痛くなるほど警告されてますから大丈夫です」
他の誰にもない能力を持っているというだけで目立っているから、目を付けられてしまうかもしれないと先生方に口酸っぱく言われているからね。わかっておりますとも。
魔法庁の受付に提出するものがあるから、外で待っていてと先生に言われたので正門前で大人しく待っていると、「おや…」と誰かがつぶやく声が聞こえてきた。
「君はモナートという港町にいた女の子じゃなかったかな?」
そう、声をかけてきた人物の姿を前にした私は固まってしまった。
「あなたは……」
「今の時期は在学期間のはずなのに、なぜ魔法庁に?」
あれから数年経過しているけど、忘れはしない。
いきなり声をかけてきて、私を養女にしたいと申し出てきた怪しい貴族のことを忘れられる訳がない。
この人の冷たい瞳はあの日と変わらない。
飢餓感のようなものを抱えたその瞳に捕われたら最後、全てを根こそぎ奪われて、何も残らなくなるそんな気持ちにさせられるのだ。
この人に近づいてはいけないと本能が訴える。それなのに恐怖で身体が動かなかった。
「ブルームさん、お待たせ……あ、えぇと失礼ですがどなた様でいらっしゃいますか?」
そこに戻ってきたエーゲル先生が間に入ってくれたのでよかった。助かった。
緊張で浅くなっていた呼吸。やっと息をまともに吸えた。
「私はロート・ハイドフェルトと申します。レディが外で一人だったので不審に思って声をかけました」
「左様ですか。お気遣いありがとうございました」
「いえ、私はこれで」
ハイドフェルト子爵はあっさりこの場を離れた。
立ち去る際にちらりとこちらに視線が送られて、私の顔は引き攣った。こっちを見る目が怖かった。
──私を襲ってきたあの男と同じ瞳をしていたからだ。
エーゲル先生はにこやかな表情から警戒した眼差しに変えて、ハイドフェルト子爵を注意深く観察していた。
「……卒業したばかりの女の子が行方不明になったり、貴族の男に騙されてもてあそばれて捨てられた話はよくある」
視線はハイドフェルト子爵の背中に向かっているけど、言っていることは私宛ての話みたいだ。
「あまり人を疑いたくないが、尚更警戒するんだよ」
私は口を開かずに、こくりと重々しく頷いたのである。