リナリアの幻想 | ナノ
思い出したくない記憶
「うちの娘の惨状を見て、よくもそんなことが言えるな!」
お父さんが誰かに怒鳴る声が遠くで聞こえてきたので、私はまぶたを持ち上げた。最初に見えたのは見慣れた天井だ。私は部屋のベッドで横になっていた。
階下ではなにやら大騒ぎになっているようだったけど、私はぼんやりしたまま。身に覚えのある魔力切れの症状を起こしており、身体が重くて起き上がれそうになかったのだ。
「リナリア! 目が覚めたのね!」
天井を見上げていると、部屋を覗き込んだお母さんが私に飛びついてきた。
泣きそうな顔をしているお母さんはなんだかやつれているように見えた。白い肌だから余計に目元の隈が目立っている。
「わ、たし……どうして……」
声を出すと、喉が乾いているのかかさついた声になっていた。お母さんが「何か飲めるものを持ってきてあげるわ」と慌てて部屋を出て行く。
どうして私は魔力切れを起こしているんだろう、一体何が起きたんだっけと考えていると、開け放たれたドアの向こうから人の会話が聞こえてきた。
「……半殺……お互い…」
「ふざけるな! あんな奴殺されて当然のことをしたんだ! 魔術師様に治癒魔法で治していただいたんだから、命拾いしたことをもっと感謝したらいい!」
階下では複数の人間が口論しているみたいだ。お父さんの怒鳴り声が一番大きい。一方で相手の声は細切れにしか聞こえない。……相手は誰だろう。
耳を澄ませながら、私は意識を失う前の記憶の糸を手繰り寄せた。
そして私が思い出したのは、別荘へ向かうルーカスを見送った後、家に戻ろうとして……まともに会話したことのない男が突然目の前に現れたこと。力任せに拉致され、抵抗しようとしたら繰り返し暴力を振るわれ、穢されそうになったことだった。
下着を脱がされそうになって、それで……目の前が真っ赤になったんだ。
「あ、あぁ……!」
抑え込まれた時の無力感、頬を何度も叩かれた痛み、男の荒い息、首筋を舐め回された気色悪い感触、見下ろされた感覚を一気に思い出した私は戦慄した。
私は、あの男に犯されてしまったの?
「いやっ……いやぁぁああああ!」
悪夢を見ていた、そう思いたかった。
感情の制御ができなくなった私は、体の中に微かに残っている魔力を発して再び暴走しかけた。
自分を抑えなくてはならないとわかっていたけど抑えられなかった。
汚れてしまった私はもうお嫁にいけない。
……ルーカスにも顔向けできない。
「リナリアさん! 落ち着くんだ!」
どたどたと乱暴な足音を立てて部屋に駆け込んできた人物は魔力暴走しかけている私に怖がりもせずに近づくと、私の手首にゴツい腕輪を装着させた。
その腕輪を装着した途端、魔力が扱えなくなった。重しが載せられているようで自由に使えないのだ。
「今の状態でこれ以上魔力を出したら、君の命に関わる。もう大丈夫だから落ち着いて」
腕につけられたのは魔封じの道具。
命に関わるからと心配してくれた相手を見上げて私は動揺した。
その男性は"彼"に似ていたから。
がくがくと震える私に言い聞かせるように訴えかける男性の姿に、彼を重ね合わせた私は涙をこぼした。
「ルーカス、わたし、私……穢されちゃったの」
汚れた私を見た彼はどう思うだろう。彼には軽蔑されたくないのに。
か細い声でそう言うと、眼鏡をかけた男性は悲しそうな顔をしていた。
眼鏡……あ、ルーカスじゃない。この人はブレンさん。彼の叔父さんだ。
「いいかい、リナリアさん。結論から言うと君はまだ純潔のままだ。誰にも穢されていない」
あぁ、ブレンさんはすべてを知っているんだ。
私がどんな目に遭ったのかを。
「君は襲われた恐怖で魔力暴走を起こして、魔力枯渇の昏睡状態だった。そして君を襲った相手は瀕死の状態で見つかった」
その言葉に私は悟ってしまった。
私はまた、魔力で人を殺しかけたのだと。
「破壊された建物の跡地で倒れているのを発見された君の顔は赤く腫れ上がり、服は破かれていた。手首には痣、擦過傷も見受けられた。だけど純潔は保たれている」
私の心を守るために嘘を付いているんじゃないだろうかと一瞬疑ってしまった。
本当? と疑いの眼差しを向けていたみたいで、ブレンさんは慌てて手を振っていた。
「あぁ、誤解しないで欲しいのは、君の身体は女性魔術師と派遣された女性医師に確認してもらった。その場には女性しか同席していなかったからそこは心配しなくていい」
本来であれば魔法魔術省管轄の事件になるが、今回の件は状況が状況であり、私が魔法魔術学校の学生なので、魔法庁から直々に派遣されたのだと言うブレンさん。
何故彼が指名されてやって来たのかといえば、彼の能力が関係していた。
「リナリアさん、嫌な記憶を他人から覗かれるのは辛いかもしれないが、何が起きたのか私に視せてくれるかい?」
思い出したくない思い出を、赤の他人に覗かれるのは正直気分が悪い。できれば避けたい。
だけどここで拒絶したら、泣き寝入りの形になって加害者はなんの罰も与えられずにのうのうと生きていくかもしれない。
ぐっと唇を噛み締めると、私は頷いた。
「大丈夫、君の名誉は私が保証しょう」
彼の瞳と色合いが似ているブレンさんの瞳にじっと見られると、とても泣きたくなった。
ブレンさんは私だけでなく、加害者の記憶も確認したそうだ。これを元にブレンさんが調書を書くそうだが、それに関しては嘘偽りをしてはならないという誓約の元で作成するので、間違ったことを報告されることはないのだという。
それに加えて、周りに漂う元素たちの記憶を呼び出す術で事件の詳細が確認された。それはブレンさんの報告書と照らし合わせるために別のお役人さんが確認して報告書を作成するらしい。
しっかり調べ上げられた上で、私の正当防衛が認められた。
半殺しどころか瀕死にはさせたが、状況を鑑みてお咎めは無しだった。魔力暴走とはいえ、私が魔法行使しなかったら取り返しのつかないことになっていたかもしれないから。
そして男……暴行犯は逮捕された。
私に対する暴行の他に、今回は魔女狩り禁止法という法律に引っ掛かって、通常よりも重い罪に問われるのだという。
魔女狩り禁止法は遠い過去、まだ魔法がちゃんと理解されていなかった時代に女性魔術師が不当な差別をされ、迫害された歴史があったため制定された、女性魔術師を保護するために存在する法律だ。
被害者が魔術師の卵であることもあり、男の身柄は魔法庁に預けられることになった。
裁判の後、10年単位の苦役と罰金刑に処されることになるだろうってブレンさんが言っていた。
自分の恥ずかしい部分をいろんな人に見られて、詳細を知られるのは辛かったけど、頑張って耐えてよかった。ここで泣き寝入りしていたら私はきっと一生引きずって後悔していたに違いないから。
そう、自分の判断を正当化させようとしたけれど、心にしっかり傷が残っており、私は塞ぎがちになってしまった。
私は被害者だ。それなのに周りから後ろ指を指されているような気がして、人目が怖くて仕方がなかった。
これにて事件が一件落着したかと思ったのだが、暴行男が魔法庁のお役人さん達に囲まれて連行されて行くところへ複数人の若い女性達が駆け寄ってきて、一斉に発言したことがこの事件を更に大きくさせた。
『私もこの男にあの廃屋へ連れ込まれて無理矢理乱暴されました!』
その情報はあっという間に町中を駆け巡り、皆の関心の的になったのだ。
私が加害者を返り討ちにして瀕死にさせたという情報を聞き付けて、男が罪に問われることになったと知った過去の被害者達が勇気を出して声を上げたそうだ。
余罪がどんどん増えて行くものだから、お役人さんの仕事が更に増えて大変そうだった。
男の罪が更に重くなったことは間違いない。