リナリアの幻想 | ナノ

私の気持ち、君の気持ち

 交流パーティが終わったその日の晩、踊り回って疲れているはずなのに、全然眠くなかった。
 ベッドに寝転がって目を閉じると、きらきらのダンスフロアでルーカスと踊った時の光景が思い浮かぶ。ふわふわと浮かれた気持ちでステップを踏む足が軽くて、いつまでも踊れそうだった。

 きっとあの瞬間を楽しんでいたのは私だけじゃない。
 ルーカスだって一緒に楽しんでいたはずだ。私を見下ろしていた彼の頬はほのかに赤く色づき、ネックレスの宝石と同じ深い蒼の瞳がとろりと溶けそうになっていたもの。

 その美しさに見惚れてしまった私は、ダンス中ずっと彼のことばかり見ていた。
 ルーカスとのダンスはとても踊りやすかった。以前通っていたダンス教室の先生よりもリードが上手だったように思える。さすがルーカス。ダンスまでお手の物なんだろうな。
 ……もっと踊りたかったなぁと思うのは、欲張りなのだろうか。

 あっという間に過ぎ去った夢のような時間を思い出してうっとりしていた私だったが、ふと大事なことを思い出した。
 ──ルーカスが他の女性にダンスの誘いをしなかったことを。

 私のお守りでいっぱいだったのだろうが、本当は他の女の子とも踊りたかったんじゃないだろうか。
 彼の時間を無駄にして、いらぬ労力をかけさせた事実に私は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 
◆◇◆


「今日の授業で習うのは、通心術についてだ」

 呪術学の授業で、通心術が登場した。大の得意術であるそれに私がひとり心踊らせていると、各生徒の机に白いマウスがぱっと出現した。

「ひっ! ネズミッ」

 それに悲鳴をあげる人もいたけど、このマウスは特別培養したマウスのため、変な病気は持っていないのだと先生が言っていた。

『どこ…ここ……』

 突然知らない場所に飛ばされたマウスは後ろ足で立ち上がり、呆然としていた。そりゃあそうだよね。同じ目に遭ったら私も同じ反応すると思う。

「こんにちは、ご機嫌いかが?」

 私がマウスにむけて話しかけると、マウスの鼻先がひくひく動いてヒゲが細かく震えた。

『ここどこなの』
「ここは魔法魔術学校だよ。あなたたちはこれから魔術師の卵達との対話のための練習相手になってもらうんだ」

 危害は加えられないと思うから安心してくれと告げると、マウスはちょっと疑いつつもなんとか信じてくれたみたいだった。

「あぁそうだった。ブルームさんは通心術士だったね」

 私が呪文をふっ飛ばして、マウスとおしゃべりしているのに気づいた呪術学の先生が思い出したように口にする。そのことでクラスメイトの視線が一気に集中した。

「知ってる者もいると思うが、ブルームさんの通心能力は生まれ持った特別な力なんだ。どんなに優秀な魔術師でも得られない先天的能力だ。他にも呪いを見分ける力や、瞳で相手のことを覗ける力、擬態する力や、隠蔽する力など自在に操れる術者が稀に存在する。彼らは呪文を唱えることなく、息をするようにそれらを操れる術士と呼ばれている」

 先生の説明に、クラスメイトの視線がさらに強くなった。
 誇れる事なんだけど、ちょっと居心地悪い。

「天賦の才能を狙って近づこうとする輩もいる。ブルームさんはこの力をよくわからない外部の人間に口外しないように。もちろん君達もだぞ。世の中にはいいように利用しようとする輩もいる。君たちは魔力があるだけで特別の存在であり、同時に狙われやすい。平民ならなおさらだ。その力を利用されぬよう日頃から心を律するように」

 先生の警告に私は寒気を覚えた。
 私としては動物達のおしゃべりは日常の事だけど、この能力は狙われやすい。動物達とお喋りする能力が世の中の役に立つかと言われると首を傾げてしまうけど、魔力を求めて止まない人ならそれすらも利用したいと思うだろう。

「じゃあブルームさん以外の生徒たちは教科書に書かれている呪文通りにマウスとの意思疎通をはかってみて。ブルームさんはこの時間別の予習をしておいてもらおうかな」

 なんと私だけ自習らしい。
 確かになにもせずに通心術を使えるのに呪文を習ってもあんまり意味ないものね。唱えたところで呪文が使えているのかもわかんないし。
 すでに習得済みのルーカスは苦戦している生徒に指導してあげていた。一方の私はそもそもコツがわからないため、指導できない。ひとりで先生に出された課題の自習をしていた。

 先生は私に教科書を手渡して「比較的簡単で、便利な魔法だよ、わからなかったら先生に聞いて」と言い残すと、他の生徒の指導で離れてしまった。
 開かれた教科書のページに書かれているのは伝書鳩の魔法。ちなみに渡された教科書は1つ上の4年生の教科書だ。これは4年生で習う範囲らしいけど、低学年でも習得できるくらいやさしい魔法なのだそう。

 わかんなかったら聞いて、と言われたけど、教科書に書かれてある通りに呪文を唱えて術式を組み込んでいくと、あっさり半透明の鳩が目の前に出現した。
 私がすっと手を差し出せば、それに飛び乗る鳩。重さは感じない。温もりも鼓動も無い、声さえも聞こえないため生きている気配が無いけど、遠くからみたら本物と見間違えそうだ。

「伝書鳩の術、習得できました」

 半透明の鳩に向けて習得したことを伝言する。宛先は先生である。

「行って」

 腕を持ち上げて指示すると、半透明の鳩はぐるーんと教室内を飛び回り、生徒に指導している先生の肩にちょこんと着地していた。それに気づいた先生が開封の術をかけて私の伝言を聞いていた。成功したみたいだ。

 これ、便利だなと思って、早速今晩にでも両親に送ろうと思ったのだけど、魔力持ちの人間にしか扱えないことを思い出してすぐにがっかりした。
 魔力が無い人には手紙で伝えるしか方法はなさそうである。



 せっかく新しい魔法を習得できたのに、活用する機会に恵まれずがっかりしていた私だったが、試しにルーカスに伝書鳩を送ることにした。
 夜、入れ代わりでお風呂に行ってしまったニーナがいない部屋でひとり、私はドキドキしながら伝書鳩の呪文を構築していた。

 そして伝言を乗せる前に咳ばらいをして、いつになく緊張しながら透明の鳩に向けて口を開いた。

「ルーカス、こんばんは。夜遅くにごめんなさい。……今日の先生の話を聞いて、今更ながらに危険を再認識したわ。心配かけてゴメンね、自分でも気をつけます」

 えぇとそれともうひとつ、彼には謝らないといけない事があるのだ。

「それとね、交流パーティの時、私としか踊れなかったでしょう、ごめんね。ルーカスと踊りたそうな女の子たくさんいたのに、あなたを独り占めする形になって申し訳なかったわ。……今度また学内パーティがあった時は私のことは放っておいて構わないから。気に入った女の子と踊ってきてね」

 最後の言葉を放ったとき、自分が言った言葉なのになんかものすごく嫌な気分になった。
 ルーカスほどの男の子なら、誘わずとも女の子の方から声をかけられるに違いない。彼はきっとますます素敵な男の人になるはずだもの。あの日も会場内で女の子から熱い視線を受けていた彼。特別塔の女性陣の視線は特別熱かった。彼に好意を抱いている女の子はたくさんいるはずだ。
 そうよ、彼だっていつまでも私のお守り役をしてくれるわけじゃないのに……

 言語化できない、複雑でもやもやした気持ちを抑えながら、窓を開けて伝書鳩を外に放つ。半透明の鳩は夜の暗闇にぼんやり発光しながら飛んで行った。

 私は窓を開け放ったまま、星が煌めく夜空を見上げる。
 なんであんなこと言ったんだろう。余計な一言だったかもと後悔していると、暗闇をひゅんと一直線になにかが飛んで来た。
 ──伝書鳩だ。
 まさか私が送った伝書鳩が受け取り拒否で戻って来たのかなとドキドキしながら、開封の呪文を唱える。

『こんばんは、リナリア』

 鳩から紡がれた声は男性のものだった。それにドキッと心臓を跳ねさせた私は、部屋には誰もいないのに無意味に立ち上がった。

『まず、今日の授業で先生が話された件は…君は自分の事を過小評価している節があるから、そこを狙われて利用されそうな気がするんだ。だから人一倍、周りには警戒してほしい。僕も目を配るけど、四六時中君の側にいられるわけじゃないから』

 ルーカスらしい、責任感の強すぎるお返事である。
 別に私を守らなきゃいけない義務があるわけじゃないのに。

『──それと、君はなにか誤解しているみたいだけど、僕は踊るのが好きな訳じゃないから大丈夫。とびっきり綺麗な君と踊れたことで満足してる』

 それは私に気を使っているとかではなく?
 本当にそう思ってくれているの?
 問い掛けたいけど、目の前に彼はいない。

『君は危なっかしいから放っておけないよ。僕がしたくてしていることだから気にしないでくれ』

 その言葉に私はぐむっと唸った。毎度毎度私の面倒ばかり見せて申し訳ない。気にするなという方が無理です。


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