リナリアの幻想 | ナノ
成長と変化
新学期が始まり、私は2年生になった。
去年入学したての時とは少し違う気分で乗合馬車を下りると、横から「リナリア」と男性に呼びかけられた。聞き覚えのない声だったので、怪訝な顔をして振り返ると、そこにはダークブロンドの少年が立っていた。
私は彼を見て、首を傾げる。
「久しぶり。休み中はなんともなかった?」
やっぱり。さっきの聞き覚えのない男性の声は、彼から飛び出したものだったのだ。
「こ、声、どうしたの?」
誰の声かと思った。
もしかして風邪? まだまだ寒いもんね。
「声変わりだよ。これでもマシになったんだけど、聞き苦しかったらごめんね」
声変わり。そうだ、男の人は声が低くなるんだったね。
私は戸惑いを隠せなかった。ルーカスであることには変わりないのに、知らない男の人みたいに見えてびっくりした。
「キレイなボーイソプラノだったのに、なんか勿体ないね」
私がそう言うと、ルーカスは苦笑いを浮かべていた。
「そんなことより、クラス替えの発表がされていたよ。今年も同じクラスだ。よろしく」
「そうなんだ、また1年よろしくね」
うちの学年は2クラスで編成されている。
学年が上がるとクラス替えが行われるそうだけど、クラスのいじめっ子たちの大半とは別クラスになった。ルーカス曰く、2学年からは成績順で分けられるようになるそうだ。私をいじめていた彼らは慢心して成績が下がったという訳である。
ルーカスだけでなく、イルゼやニーナとも同じクラスだ。なんだか幸先良い気がしてきた。
学年が上がって去年よりも難易度が少しあがったが、まだ基礎の範囲。1・2年はとにかく基礎を身につける段階だ。
去年は悪戦苦闘していた私も、かろうじて制御できるようになったが、今年も変わらずマンツーマンで自主練を続けていた。
「君は感情で暴走させる癖があるから、そこをなんとかしなくては」
私が再び魔力暴走する可能性は多いにあるというルーカスの助言からである。
そんなこと言われても、と言い訳したくなるけど私には前科があるため、偉そうなことは言えない。
2年生初っ端の実技練習で出された課題を復習していると、監督していたルーカスが欠伸を噛み殺していた。
そういえば、今日は朝から眠たそうな顔をしている。さては本を読んで夜更かししたんだな。
「夜遅くまで本を読んでいたの?」
「いや、寝ようとしても体が痛くてなかなか眠れないんだ」
「えっ」
さらりと言われたが、それは大変なことなのでは。私がギョッとすると、彼は首を横に振って否定していた。
「病気じゃないよ。背が伸びるのに体がついていけてないみたいで」
「……骨が痛いの?」
「骨もだけど、内臓も成長についていけてないようなんだ」
話を聞くだけで痛そうである。確かに言われてみれば、目線が下だったはずの彼が私の背丈を追い越していた。会えなかった休みの間に追い越されてしまったのかな。
「医務室いく?」
「病気じゃないからそれはいいよ」
大丈夫とは言うけど、ルーカスの顔色は優れない。
骨も内臓も痛いとか言われたら心配するなって方が無理である。
「さすってあげようか?」
私の得意な治癒魔法をついでにかけてあげようと両手を彼の体に伸ばすと、その手をがしっと掴まれて寸前で阻止された。
「遠慮しておくよ。リナリア、それ他の男の前で言ってはいけないからね?」
「……?」
「男にベタベタ触るのもなしだ。君はレディなのだから」
私は別にいたずら目的で触ろうとしたわけじゃないのに拒絶された。しかも他の男の人にはやるなって。
やる訳無いじゃない。親しくもない異性にベタベタ触れるのは慎みのないことなんだから。ルーカスは私をなんだと思っているんだ。
◆◇◆
「──どうしてお茶会に来てくれませんでしたの?」
その声は震えていた。怒りと言うよりも、泣きそうな声に聞こえる。
「……用事があったんだ」
「嘘。あなたは屋敷で読書をしていたとブレンおじ様に聞きましたわ」
「毎日ってわけじゃないよ」
一方で彼の声は突き放すような冷たさの中に戸惑いのようなものが見え隠れする。彼女のことを嫌っているわけじゃなく、そうしないといけないから仕方なく冷たく接しているのだ。
「それに、学校でもあの子とばかり一緒にいるじゃありませんの。確かに美人かもしれないけど、所詮平民でしょ?」
「前にも言ったけど、リナリアを理由に君を避けているわけじゃない」
えぇぇ? 私!? そこで私の名前がでちゃうの?
あれ、もしかしてお邪魔虫認定受けてたりするの? 私はそれに衝撃を受けた。
彼の言い訳に彼女は首を横に振って黒髪を振り乱していた。
「前はもっとわたくしと一緒に居てくれたのに。最近のあなたは変わってしまった」
なんかまるで恋人同士の痴話喧嘩にも聞こえる。私と同じ14歳なのにいろいろと進んでいる。さすが貴族様といったところだろうか。
「僕たちはもう子どもじゃないんだよ、ドロテア」
「そんなことわかっていますわ! でも」
「君は貴族で僕は平民。その距離感を保っているだけさ」
やっぱり彼は冷たく突き放す。
貴族でもおかしくない血筋の彼だが、現状は平民身分だ。位置づけのためにも、身分が違うものと親しくするわけにはいかないと言うのが彼の考え。
そもそも、彼は彼女を好きというわけじゃない。彼女の想いには応えられないのだ。期待させるわけにもいかない。だから中途半端に優しくできないのだろう。
「いやっ! そんなことあなたの口から聞きたくありません!」
彼女は黒にも見える瞳からぼろりと大粒の涙をこぼす。がばりとルーカスに抱きついて、肩口に顔を埋めてしくしくと泣きはじめてしまったではないか。
前までは彼女の方が背が高かったのに、今は同じくらいになっている。
抱きついて泣くドロテアさんの扱いに困っているルーカス。彼はぎこちなく彼女の背中を撫でていた。その手は壊れ物を扱うかのような優しさで、見ていただけの私は、胸がチクリと痛んだ気がした。
……まさか、お手洗いに席を外したタイミングでこんな修羅場に遭遇すると誰が想定したことでしょう。
私は彼らから目をそらして実技塔の出入口付近のベンチに腰かけた。あの場に割って入る勇気なんかあるわけがない。
どうしよう。黙って帰っていけばルーカスに失礼だし……と思っていたら通りすがりのトリシャ(縄張り巡回中)を発見したので、彼女に言伝を頼んだ。ルーカスの眷属である白猫はそれを快諾してくれたので、私はその場から静かに立ち去った。
……胸がモヤつく。
なぜだろう。なんだか嫌な感じだ。
あのふたりは幼なじみではとこ。普通よりも距離が近くて特別なのは当然なのに、私はおもしろくなかったのだ。