リナリアの幻想 | ナノ
殴り足りない男【ルーカス視点】
馬車で移動しながら、念の為にヘルマンさんやプロッツェさんにも連絡を飛ばしておいた。
するとすぐにふたりから返事が来て、彼女たちもリナリアの窮地に立ち上がってくれたので途中で合流した。
一緒に乗ってきた犬猫らは気が急いているのか、落ち着かない様子でずっと鳴いていた。
だけど気持ちはよく分かる。僕も同じ気持ちだったから。
ウルスラさんの記憶を見せてもらったことで新たにわかったことがいくつかある。
今の代のハイドフェルト子爵は、魔なしであること。それ故に隠されて育てられた彼はひどい劣等感を抱いており、魔力を持った子どもを望んでいること。
平民女性のほうが守りが甘いので、そこを狙ってさらって、子供を産ませるために監禁していたこと。
彼は金で雇われた魔術師の他に、裏社会で生きているならず者たちをたくさん雇っていること。
ハイドフェルトの元にリナリアはいる。
ウルスラさんが受けた仕打ちと同じことを彼女も味わわされようとしているのだ。
湧き上がる怒りが魔力となって放出されそうになったので僕は慌てて制御する。
地理がわかれば転送術で飛べるのに。動けないこの時間が憎たらしくて仕方ない。
自由の利かない状況の中、僕はじっと前を睨みつけていた。
早く、早く、急がなくては。
リナリア、無事でいてくれ。
馬車は途中で馬を変えて、ほぼ休憩無しで走った。事態は一刻を争う。
長く感じた移動時間を乗り越えて、ハイドフェルト領へとたどり着いた。
見た感じはどこにでもある領地だ。他の地方との生活水準も変わらなそうである。たまにすれ違う領民も普通で、領主である子爵が重大犯罪を犯しているなんて夢にも思っていなさそうである。
目的地に馬車で近づくと、子爵の屋敷は案の定、厳重な結界が張られていた。
ご丁寧に2重張りされたそれを破って突破するのに少々手こずったが、そこは同行した叔父さんたちが手を貸してくれた。僕一人だったらここで魔力消耗を起こしていた可能性もあったのでとても助かる。
侵入を察知した屋敷の人間が集まってきて一線交えたが、そこは魔法であしらっておいた。
その中に魔術師がいたのだけど、それが過去に教師だった男だったことに、元教え子として複雑な心境に陥っていると、叔父さんが僕の前に立った。
「ルーカス、お前は先へ行きなさい。早くリナリアさんを救出してきなさい」
「…うん、わかった。ありがとう叔父さん」
目の前の魔術師は自分が相手するから急げと促してくれたので、叔父さんに後は任せた。
僕が駆け出した後に、背後でものすごい爆音と爆風が伝わってきた。魔法同士の衝突波なのはわかったけれど、僕は振り返らなかった。
叔父さんなら大丈夫だろうと信じて。
さっきから向かってくるのは男ばかりだ。この屋敷には男しかいないのか?
すれ違いながら向かってくる奴らを魔法でいなしていると、使用人らしき女性たちとも遭遇した。
彼女たちは攻撃してこなかった。
驚くことも、叫ぶこともなく、言葉も発さず、反応が薄かった。
僕たちの姿が見えていないんじゃないかと疑うくらいに。
「この女性は…行方不明者じゃ」
同行した魔法魔術省の職員が、行方不明者の女性ではないかと言い出して保護していた。
彼女たちは抵抗せずに黙って連れて行かれていた。
無表情の彼女たちはまるで心を抜き取られたように見えた。
……彼女たちも子爵の毒牙にかかった被害者なのだろうか。
ハイドフェルト家は貴族の屋敷なので当然ながら広い。ヘルマンさん、プロッツェさん、同行してくれた役人達と手分けして隅々まで捜索することにして途中で別れた。
この先には隠し部屋がある。
秘密の通路でつながっている場所なので、廊下側には扉がない。だからからくりを探し当てて侵入するしかない。
ウルスラさんが見せてくれた記憶を頼りに進んでいくと、同行していた犬が先導してくれた。絨毯張りの床に鼻を近づけてしきりに匂いを嗅いでいる。恐らくリナリアの匂いを辿っているんだろう。
……と思ったら、後ろからどどどと轟き共に地響きが伝わってきた。誰かが屋敷内で魔法を使用しているのかと振り返ると、こちらへ向かって馬が走っていた。
屋敷の中を馬が走っている。
移動のために馬車に繋がれていた馬が屋敷に突入している。
……なぜ?
「ワンッ!」
犬が大きく馬に向かって吠えた。
このままじゃぶつかると判断してとっさに犬を抱えて避けると、そのまま馬は真横を通過していき、階段を壊す勢いでどかどか登っていった。
そしてそのまま突き当りの壁を破壊した。
ドゴォォンと轟音が襲う。
屋敷が壊れるんじゃないかというくらい大きな破壊音が鳴り響く。砂埃が舞い散り、ミシミシと嫌な音を立てる建物。
救出する前に、全員建物の下敷きにならないだろうか……
「ブルルッ」
「ワゥ、ワゥ!」
馬が嘶く声の後に、犬一頭が鋭く吠えた。それに反応した犬猫も駆け足で破壊された壁穴へ駆け込んでいく。
リナリアはそこにいるのかと僕も慌てて飛び込んだのだが、目の前に広がる光景に頭が真っ白になった。
その部屋には拷問用の道具がずらりと並んでいた。手入れはされているようだけど、血の匂いが漂ってきそうな嫌な気分になった。
「ギャァァァ!」
「グルルル、ガゥッ!」
「フギャァアー!」
『いっそ噛み千切ってもいいわよー!』
そこでは動物たちによって制裁を喰らっている成人男性がいた。その中に僕の眷属である白猫トリシャがいて、動物たちにさらなる制裁を加えろと命じていた。
鳥に激しくつつかれ、容赦なく猫に爪を立てられ、犬に足やら尻たぶを噛まれた全裸の男。汚らしいものを隠さずに悲鳴を上げていた。
こいつがハイドフェルト子爵。
別行動していたトリシャがすでに乗り込んでいたのだ。彼女はベッドに寝転がった全裸の女性のもとに腰を落ち着けて、制裁を監督している。
──見つけた。
部屋の奥に配置されたベッドの上に彼女はいた。
リナリアは両腕を鎖で拘束されて、ぐったりしている。全裸の彼女の肌は強く握られたような赤い跡が残されていて、乱暴な事をされていたのだとひと目でわかった。
敷かれているシーツには少量だが血が付いている。そこには事後のような光景が広がっていたのだ。
「ルーカス……」
頬をひどく打たれたのだろう。顔を赤く腫らして、口の端からは血が出ている。
涙を流しながら弱々しい声で僕の名を呼んだ彼女の姿。
遅かったのだ。
目の前が真っ赤になった。
怒りと憎しみに囚われ、冷静さを失った僕は、制裁中の男に近づき、背中で爪研ぎしている猫や噛み付いている犬を退かした。
そして男を仰向けにして、握った拳を振り下ろす。
ガコッと手の骨に相手の顔の骨の感触が伝わっていた。
「ひゃ、ぶっ! やめ、ぐぅッ」
男が泣き言を言おうと、歯や血が飛ぼうと、僕は拳を振り上げ続けた。自分の拳は血塗れになり、最早どちらが流す血なのかもわからない。
こんな男、魔法を使用する価値もない。
「あなたたちは魔術師でしょう! 魔法を使ってちょうだい! どいつもこいつも腕力だけで勝とうとして!」
プロッツェさんからそんな指摘を受けたが、僕は叔父さんに止められるまで休まず子爵を殴り続けた。
手枷を外されたリナリアは、被害証拠保存のためにすぐに治癒魔法を掛けてあげられなかった。痛々しい傷跡を見ていると自分まで痛くなる。
彼女の肌を他の男に見せたくなくて、着用していたマントで彼女を包み込むとそっと抱き上げた。
「帰ろう、フェリクスが君を待ってる」
優しく声をかけると、リナリアは静かに涙した。
「あの子の元へ……連れて行って……」
可哀想で、痛ましい。
そして取り返せた安堵感に僕まで泣きたくなった。それを誤魔化すために彼女の額にキスを落とすと、気が抜けたリナリアは寝入ってしまった。
もっと早く駆け付けていたらここまで彼女が傷つく事はなかったのに。
そばにいられたら、こんな目には遭わさなかったのに。
リナリアは精神的・肉体的に疲弊して発熱を起こしていた。何度も殴られたことが大きく影響しているらしい。
他の外傷は女医と女性魔術師立ち会いの検査と調査の後に治癒魔法で全て治したが、それでも精神的な損傷は色濃く残り、今も寝込んでいる。
女医の見立てでは男性器の挿入までは至っていないそうだ。
傷口を診て下した結果、恐らくあの男が指を乱暴に突き立てて内部を傷つけて出血したのだろうと聞かされた時は、潰しに行こうかと思ったけど叔父さんに止められてしまった。
あれだけ殴っておいてまだ殴り足りないのか? と言われた僕は憮然とした。
ヘルマンさんと僕が中心になって、必要以上に犯人たちをボコボコにしたことで、叔父さんはたくさんの始末書に追われたのだという。