リナリアの幻想 | ナノ
親友たちとの再会
「リナリアー!」
満面の笑みで抱きついてきた彼女は大人になったように見えて、あの頃と全く変わらなかった。
「心配していたけど元気そうでよかったわ」
そして普段は感情の機微があまりわからない彼女もあの頃と変わらない態度で接してくれた。
私は2人を騙した形で失踪したのに、再会をこんなに喜んでくれるとは思わなかった。
今日は私の無事を知ったイルゼとニーナが遊びに来てくれた。
私が発見された直後に2人にはルーカスから連絡が行っていたそうなのだが、途中ドロテアさんによる事件に巻き込まれたので私の近辺が落ち着くまではそっとしておいてくれたらしい。
「妊娠して困っていたのなら私を頼ってくれてもよかったのに。本当に心配したのよ。あなたってば完璧に隠してしまうのだもの」
「迷惑かけちゃうと思って」
今思えば、2人を頼っても良かったかもしれないとも思っている。
ただ、あの頃の私はお腹の中にいたフェリクスを守ることに必死で、周りの人を信用できなかった。誰かひとりに知られたら全員に秘密がバレると思って怖かった。なので誰にもバレずに姿を隠すことだけを考えていたんだ。
「大巫女様に保護されていたのなら見つからないはずだわ。あのお方は口が硬くいらっしゃるから」
捜索依頼が出ている行方不明者を発見した場合は、発見者が通報しなきゃいけないのだが、大巫女様に限ってはそれに縛られない。
彼女のもとには訳アリの人が救いを求めてくる。身柄を親族のもとへ帰してしまったら命の危険があるような人もいるのだ。大巫女様はそんな人達を保護して隠してくださっているのだ。
もちろん、帰してもなんら問題なさそうな人であれば大巫女様も報告するそうだけどね。例えば親と喧嘩して勢いで家出してきただけの子どもとかは問答無用で帰されてる。
「それはそうと、クライネルト君のことは全快した暁に殴りに行くわね!」
なにかを思い出したイルゼがぐっと拳を握って私に宣言してきた。
なんと彼女は、回復して問題がなくなったらルーカスを襲撃しに行くつもりらしい。
「いや、そんな事しなくていいよ…大丈夫、気持ちだけで」
怒ってくれる気持ちはありがたいが、あの件に関してはすれ違いもあったことだし、ルーカスは十分制裁を受けた。もう彼が殴られている姿を見たくない…
「イルゼは魔術師なのよね?」
「そうよ?」
「てっきり格闘技家にでもなるのかと思ったわ」
相変わらず魔法より拳で戦おうとするイルゼを見たニーナは呆れを隠さなかった。
現在は社会人として魔法魔術省でお仕事しているふたりだけど、別々の地で働いているので学生の時のようには会えていないらしい。だけど3人揃うとあの頃に戻ったみたいで懐かしくなる。
「ふやっ」
傍らに置いていたベビーソファで微睡んでいたフェリクスがぐずったと思って顔を見ると寝ている。どうやら寝言だったらしい。
むにゃむにゃと口元を動かすその仕草が可愛くて私は自然と笑顔になっていた。
「かわいい、クライネルト君に似てるね」
イルゼは先程より声小さめに話しかけてきた。フェリクスを起こさないように配慮してくれたのだろう。
「大巫女様の元にいたとはいえ、ほぼ自活していたんでしょ? よく1人で頑張ったね」
「支えてくれた人達がいるから。この子の面倒を見てくれて……私は1人じゃなかったのよ」
もちろん孤独を感じたこともある。
自分の判断で失踪したくせに、後悔したこともあるし、こんな時この人がいたらって寂しくなって、会いたくなったこともある。
それでもなんとか頑張れたのはたどり着いた地で優しい人達に出会えたからだ。
「いい人達に出会えたのね」
ニーナが確認するように聞いてきたので、私は笑顔で頷いた。
私の立てた失踪計画は曖昧で、いきあたりばったりだった。初っ端から王都では危うく人売りにさらわれそうになったけど、あそこで転送術を使って緊急回避をしなければ、優しい人達とは出会えなかったかもしれない。
「あーっ見てみて、指を握ったわ! ちっちゃい!」
「イルゼ、起こしてしまうからもう少し声を潜めて」
フェリクスに指を握られて感激するイルゼをニーナが窘めている。
口を抑えて「ごめーん」と焦るイルゼも、さっきからずっと呆れているニーナも前と変わらない態度で接してくれる。私はそれにホッとしていた。親友たちに自分の大切な子と会わせることができて嬉しい。
「あ、そうだリナリア、昨日発売の新聞は読んだ?」
「……読んでない。事実と捏造が交えた記事が載っていたんでしょ、どうせ」
ルーカスが読んでいた新聞を目にしてから、あの類のものを避けている。
私は誰とも結婚しないのに、近所の人から「結婚おめでとう、いつ頃嫁ぐの?」と声をかけられる私の身にもなって欲しい。
「じゃああの人が釈放されたという情報は知らないの?」
眉間にシワを寄せたニーナの言葉に私は軽く顔をしかめた。
「…知ってるよ、ルーカスから連絡貰ったから」
ドロテアさんが釈放されたという話は彼から事前に聞かされた。
本来であれば殺人未遂で裁判を受けて、有罪となり刑を執行されるはずなのに、彼女は貴族の権力と金の力でそれら全てを免れた。
当初は私とフェリクスを殺そうとしたが、結果的にルーカスを傷つけて殺しかけた。それなのに罪を償う気がないらしい。
あんなにも愛していると言って憚らなかった男性を殺しかけたのにも関わらずだ。
そんな彼女の態度にクライネルト一家はもちろんお怒りだ。
ドロテアさんの父親であるフロイデンタール侯爵が家の門の前まで謝罪に来ていたらしいが、クラウスさんたちはそれを拒否して「金輪際ルーカスに近づかないでくれ」と突っぱねたそうだ。
その流れで親交のあった貴族らもフロイデンタール家と距離を置くようになっている状況なのだとか。…打算で動く貴族らしいっちゃらしいけど。
「…あの人、結婚するんですって。この事は知ってる?」
ドロテアさんがよその貴族男性と結婚することになったという一面記事を見せられて、私は首を横に振る。その事は聞いていなかった。
ニーナから例の新聞を手渡され、ざっと内容を確認する。
結婚相手はグラナーダの貴族らしい。シュバルツだと肩身が狭いから隣国へ逃げるのだろうと遠回しな表現で記事には書かれていた。
実際のところはどうなんだろう。彼女のことはルーカスやクライネルト夫妻に気軽に聞けることでもないし、もう関わらないほうがいいだろうから、やぶ蛇をつつかないほうがいいのかもしれない。
「罪を償わずに逃げるのね。いいご身分だこと」
ここにはいないドロテアさんに腹を立てているのか、ニーナが嫌悪感を隠さずに呟く。
「本当よ、反省した様子がないようね。リナリアには一切謝罪がないんでしょう?」
フンッと鼻を鳴らして不満を訴えるイルゼの問いかけに私は苦笑いしてしまった。
「それは元々期待していないから。……私が妊娠して行方をくらましたのはドロテアさんに知られたらただじゃ済まないとわかっていたのが1番なの……もう関わりたくないわ」
あそこまで憎まれたら、ドロテアさんの謝罪よりも2度と会いたくない気持ちのほうが大きい。それに、彼女から心からの謝罪の言葉をもらえるとは思えない。きっと彼女は今でも私を責めていることだろうから。
今度会えば次こそ殺されてしまうかもしれない。
そしてそうなっても、貴族だから金を積んで大目に見られるんだと思う。そう、今回のように。
影響力を持った旧家出身のルーカスが被害に遭ってもそうだったのだもの。平民の私が被害にあっても、きっとすぐに闇に葬られるだけ。
それなら関わらないのが無難なのである。
世の中は不公平でできている。
私のような平民はどうあがいても貴族に敵わないのだとそんなことをふと思った。