リナリアの幻想 | ナノ
変わった私、変わらない彼女
お祖父さんとの面会を終えた後にこれからの話があるから、と私は談話室に通された。使用人さんがお茶を出してくれそうな雰囲気だったがそれを断り、単刀直入に尋ねてみた。
「お祖父さんのおっしゃっていたことはどういうことですか? まるで私がこちらに引っ越してくるみたいに誤解なさっているようでしたけど」
私の顔が自然としかめっ面になってしまうのは仕方のないことだと思う。何を勝手に決めているのかと文句を言っても許されるはずだ。
「ごめん。お祖父様はフェリクスの誕生に喜んでひとりで先走ってしまっているんだ」
ルーカスは素直に謝罪した。
先走っているとわかっているなら、大量に買い物する前に止めるなり説明するなりすればいいのにと思っていると、私の考えていることがわかったのだろう。申し訳無さそうに言った。
「最近すっかり衰弱してしまったお祖父様がフェリクスの存在に元気を出したんだ。それなのに否定したらお祖父様の気力を奪ってしまいかねないと思って…」
否定しようにもそれが命取りになるかもしれないから言えなかったと言われたら、私もそれ以上言えなかった。アンゼルムさんにはなんの罪もない。純粋にフェリクスを歓迎してくれている人の生きる理由を奪うほど私も非道にはなれない。
しかし、それとこれとはちょっと別というか…
「リナリアさん、そのことだけど……」
そこに口出ししにくそうに言葉を挟んできたのはクラウスさんだった。ジト目でルーカスを睨んでいた私がちらりと彼を見ると、クラウスさんとマリネッタさんは眉尻を落としてなんだか申し訳無さそうな、許しを請うような表情を浮かべていた。
「こうなってしまった事情があったにしても、息子があなたにしたこと、これまで苦労させてきたことには変わりないわ。改めて本当にごめんなさい」
マリネッタさんに改めて謝罪され、頭を下げられた私はぎくっとした。だけどそれに返す言葉も見つからず、ギュッと唇を噛みしめることを返事とする。
これは私とルーカス、そして媚薬なんかを仕込ませたあのドロテアさんがやらかしたことだ。それを謝られても今更どうにもならないのだから。正直困るのだ。
「ご両親には突っぱねられてしまったけど、私達としても何もしないわけには行かないの」
「君たちの生活の全てを見させてほしい」
クライネルト夫妻の言葉に私は肩を揺らした。
この間家に謝罪に来た時は、私の両親が激怒していたため、彼らは謝罪までしかできなかった。だけど今回の話が本題だったのだろう。彼らは血のつながった孫を放置しておくような人ではない。祖父母として、義務としてしっかり責任を取るつもりだったのだろう。
だけど私はそれには乗れない。
私は自分の両親と同じ考えなのだ。
フェリクスはブルーム家で育てる。他の援助は受けないと。
「せっかくの申し出ですが、お金には困っていないです」
私が断るのは想定済みだったのだろう。
クラウスさんは眉間にシワを寄せて難しい顔をしていた。
「これはフェリクスの権利でもあるんだ。今は良くても、成長していけば何かと今後物入りが激しくなる……クライネルトの血を引いた子と言うことで狙われる可能性だって出てくる」
確かにそれはあるかもしれない。
だけど私だって母親だ。その時は身を挺してでもこの子を守るつもりだ。偽りのミモザではなく、リナリア・ブルームとして、魔術師として、職についてこの子を不自由させない暮らしをさせる覚悟でいる。
「大丈夫です。私は」
「リナリアさん、ルーカスと一緒になる気はないかな?」
私が更にお断りのお返事をしようとしたら、それに重ねるようにクラウスさんが言った。
聞き間違いかと思って私が首を傾げると、マリネッタさんが言葉を変えて言い直した。
「順序は逆になったけど、ルーカスともう一度やり直すことはできないかしら? 今度は夫婦として」
なにそれ……
夫妻の発言に私は変な顔をしてしまった。
事故で傷物にしちゃったから仕方なく結婚するみたい、私の子が目的みたいじゃないの。
やり直すも何も、私と彼の間にはなにもないのだ。媚薬があって、それで身体だけが結ばれただけの関係だ。
恋人同士でもなんでもない。そんな関係なのに結婚してどうなるというのだ。
義務感だけで責任を取られたくない。
そんなんじゃ絶対に幸せにはなれない。
それならば私は未婚のままでいい。
未婚の母だと後ろ指をさされてもいい。私はフェリクスが誇れるような母親になってみせるから。
「困ります。私は彼のこと何とも思っていないので。お断りします」
ここで弱々しく断るとなにか理由をつけて押される可能性があるので、私は毅然とした態度ではっきり断った。
ルーカスはそれに呆然とした顔をしていた。
「僕が贈ったネックレスを手放さず、ずっと持ってくれていたのに?」
「……気に入らないのなら返すわ」
そこを指摘するか。と渋い顔をしてしまう。
私もこのネックレスに未練を持つような真似をしていた。だけどこれを期にここで卒業するべきなのかもしれない。
首につけているとフェリクスが引っ張ろうとするので、ポケットに入れておいたそれを机の上に置くと、ルーカスの前に押し出す。
「私は今更あなたを信じられない。信じるのが怖い。…無理です」
私の本音の一部を吐き出すとルーカスが悲しそうな顔をしていた。
それに胸が痛くなったけど、それを無視してソファから立ち上がった。
「リナリアさん、それなら息子との結婚は別にして、支援だけでも受け取ってちょうだい。せめてフェリクスの分だけでも」
「私達と血のつながった孫なのだから」
部屋を出ていこうとする私を引き止めて言い募った彼らの言葉には孫とのつながりを失いたくないという意味が含まれているように感じた。
「…考えさせてください。両親と話し合います。今日のところは失礼いたします」
そこを曖昧に返事する辺り私もお人好しなのかもしれない。
軽く頭を下げると、私はフェリクスを連れてクライネルト家を後にした。
使用人さんたちに帰りの馬車を出しましょうか? と気を遣われるも、門の外に自分の家から連れてきた馬車と護衛がいるからと断ってフェリクスと2人でお屋敷を後にした。
◆◇◆
目くらましの術と強力な結界で守られたクライネルト家は許可された人間しか中に入れない。訪問者は前もって訪問すると連絡するか、門の外で呼びかける方法しかない。
そんな感じで強く守られた門を何事もなく出ると、ブルーム家の馬車が待機していた。馭者席に馭者さんと護衛さんが2人並んで座っている……のだが、両者とも寝息を立てているようだった。
あまり長く待たせるつもりはなかったのだけど、待ちくたびれてしまったのだろうか。
『リナリア、後ろ。危ないよ』
『あいつが眠らせたんだ、逃げて』
起こそうか迷っていると、馬車に繋がれた馬達が警告してきた。
…後ろ? なんのことだと思って振り返った。
気配もなく背後に立っていた人物を見た瞬間、今の状況がどうして出来あがったのかを察してしまった。──彼女が、彼らを意図的に眠らせたのだと。
風が吹いて彼女の黒髪をなびかせる。
そう言えば聞いたことがなかったけれど……彼女の属性は何なのだろう。
「あれだけ警告したというのに、まだルークの周りをうろついているのね」
最後に姿を見たときよりも大人っぽくなった彼女。
それもそうだ。私だって大人になった。もうあの頃とは違うのだ。
「ドロテアさん……」
私の声は震えていた。
彼女にされたこれまでの理不尽に対する怒りだろうか。それとも怯えからくるものだろうか。
私のことを睨め付けたドロテアさんは私の腕の中にいるフェリクスを見るとギリッと歯噛みした。色鮮やかな紅を引いた彼女の唇が歪んで見えた。
「なるほどね、子どもを使ってルークに取り入ろうとしたのね。汚い手を使うわ」
どの口がそのようなことを言うのか。
元はとは言えば凶行に走ったあなたが悪いのだろうと言ってやろうかと思った。
だけどこの人は私の言葉を素直に受け取らないだろう。あのルーカスの言葉だってまともに受け入れず、自分本意な行動しかしてこなかったのだから。
自分が、ルーカスとの縁を断ち切る選択をしたのに、私を責めようとする。この人はあの頃と全然変わらないんだなと実感した。
「でももうおしまいよ。子供さえ居なくなれば──」
ドロテアさんの不穏な発言に私が身構える。
どうしよう、自分1人ならまだしもフェリクスがいる状態で転送術を使ったら私の身が持たない。だけどどこかに逃げなくては。
『Τα στοιχεία του σκότους που με υπακούουν, το κόβουν αυτό…』
聞き覚えのある古代語の呪文。
またこの人は、私に消えない傷を負わせようとしている…!
「我に従うすべての元素たちよ、最大限の防御せよ!」
だけど私はただやられるだけじゃない。私はあの頃とは違うのだ。
この人に屈するわけにはいかないのだ!
私が大声で防御呪文を唱えると、周りにいた元素たちが反応して煉瓦の盾を作り出して私達を守ろうと覆い隠してくれた。
これで攻撃を凌いで、次の手段を考えよう。
そう思ったのだが、ばきんと嫌な音が聞こえて全身から血の気が引いた。
固くて頑丈なはずの盾。最大限の防御のはずなのに破かれたのだ。
そんな、あっちの攻撃力のほうが上だというの?
確かあの呪文は禁術に近い強力な切り裂き呪文。魔法魔術戦闘大会で同じものを吹っかけられそうになった。あの時私を庇ってくれたルーカスは古代語で防御呪文を唱えていた。
今の呪文じゃ対抗できないんだ…!
だめだ…間に合わない!
せめてフェリクスだけは守らなくてはと、ぎゅうと覆いかぶさるようにフェリクスを守った。
この体が切り裂かれても、絶対にこの子は傷つけない。絶対に。