リナリアの幻想 | ナノ
落ちこぼれの烙印
「あの、プロッツェさん……朝はありがとう」
放課後練習を終えて寮に戻ると、彼女は部屋で本を読んでいた。
おずおずと朝のお礼を言うと、彼女は怪訝な顔で首を傾げていた。
「朝、私の代わりに男子達にひどいことを言われたでしょう?」
何についてお礼しているのかを説明すると、プロッツェさんは小さく頷いていた。
「まぁ、彼らから言われたことは本当のことだし、別の場所でも似たような言葉を言われたこともあるから」
「でも」
「平気よ、私は慣れているから……もしかしてあなたも私のことを哀れんでいるの? 誤解しないでね、私は大巫女様直轄の孤児院育ちだから恵まれてるわ」
私の心の内を読み取ったのか、プロッツェさんは先制して否定していた。
哀れむとかそういうんじゃないけど、大変だったんだろうなぁと思っていただけなんだけど……彼女にとっては全部同じことなんだろうか。
「私は両親が流行り病で亡くなって、親戚にたらい回しにされた挙げ句に孤児院へ入れられたけど、今の孤児院は本当に恵まれている場所なのよ」
シュバルツ王国大巫女様は慈善活動に力を入れておられて、不正が多発していた慈善事業に梃を入れて悪を一掃したという伝説をお持ちだ。
神殿の関係者が管理する孤児院は抜き打ちで大巫女様直々に視察に来られるし、定期的に職員の指導・人員配置の見直し、そして第三者機関の厳しい監視があるから変なことはなかなか起きないのだという。
「私の境遇を可哀相という人もいるけど、親戚の家で肩身狭い思いをするよりはいいわ。私は魔力に目覚めたから、それで恩返しもできるし」
プロッツェさんは淡々と話しているが、そこに虚勢とかは見えない。
「これまで税金でお世話になった分、大人になったら納税者として還元してやるからいいのよ。魔術師は高給取りだからね」
「……プロッツェさんは強いね」
芯があるというかなんというか。
同じ歳なのにどうしてこうも違うんだろう。自分が情けなくなった。
「私だって最初は強いわけじゃなかったのよ。だけど自分自身を守れるのは最終的に自分だけだから、自然とそういう考えになっただけ」
利用出来るものは活用して生きていくのが賢い生き方なの、と持論を語った彼女は私を見て「それより、私はあなたの方が心配だわ」と言った。
「このまま押し潰されてしまいそうだわ」
心配そうな目をする彼女の言葉に、私は何一つ否定できなかった。
今の段階で私の中にあった希望は絶望に代わり、やる気は地の底を這っていた。
ここに新たに追い打ちをかけられたら今度こそ私は潰れてしまう気がする。
だけどプロッツェさんにはそんなことを言えずに、笑うことでごまかしたのである。
◇◆◇
「ブルームさん、こんなに簡単なことなのにまだ出来ないの? 入学して何ヶ月経過したと思ってるの?」
実技の先生から失望通り越して軽蔑の眼差しを受けた。
周りからはクラスメイトからの嘲笑が飛んで来る。私は情けなくて申し訳なくてただ萎縮するのみ。
「自主練は、しているんですけど」
できないのだ、そう言いかけたが、先生がわざとらしくため息を吐き出したことにギクリとしてそれ以上の言葉を紡げなかった。
「結果が出てないなら意味がないんだよ。やる気がないんでしょう?」
これまでの私の努力を全否定された気がした。体が震える。寒い訳じゃないのに、体の中央から冷えて行くようだった。
「ここまでして出来ないなら魔術師としてやっていけないし、今後の身の振り方も考えた方がいい」
先生から突きつけられたのは、私の未来を否定するような言葉。
つららのように心へ突き刺さり、体が動かない。
「やーっぱりな。落ちこぼれは退学しろよー」
「おーいブルーム! 今のうちに荷物まとめた方がいいんじゃねーの?」
同じクラスの意地悪な男子が野次を飛ばして来た。私は俯いて耐える。ずっとこの繰り返しなのだろうか。
私はこの学校にいないほうがいいのだろうか。
「おらぁ!!」
「グヘッ」
気合いの声とカエルが潰れたような音が聞こえたのはそのすぐ後だった。
「せんせー! ヘルマンがジョセフのこと殴りましたー!」
「あんたもよ! この、減らず口がぁ!」
「ぶへぇっ!」
目の前で突然起きた乱闘騒ぎの渦中にはイルゼがいた。イルゼはグーで意地悪な男子をぶん殴り、顔を真っ赤にして怒っていた。
「何をしている、イルゼ・ヘルマン!」
実技の先生はイルゼだけを叱り付けていた。私に暴言を吐いた男子達を窘めることなく。
イルゼは一人、長いこと指導室で説教を受けていた。イルゼが意地悪な男子をぶん殴ったことで彼女は7日の謹慎と反省文を書かされていた。私を庇うために、彼女は罰を与えられてしまったのだ。
「暴力に走るなんてありえない」
「馬鹿な子ね。あんな子庇う必要ないのに」
そんな彼女の不在時に悪く言う人たちがいた。意地悪な男子だけでなく、女子も一緒になってイルゼの行動を非難していた。
確かに暴力はいけない。だけどイルゼは私の代わりに怒ってくれたのだ。優しいイルゼは私を守るためにそういう行動にでたのだ。そう訴えたかったけど、今の私の話を聞いてくれる人がどれだけいるだろう。結局馬鹿にされて更なる暴言を吐かれるだけだ。
いっそあなたには魔力はありませんでした、退学してくださいと学校側から告げてくれたらどんなに楽なことだろうか。
私のせいで友達にも火の粉が飛んでいく。イルゼは私にとって初めての人間の友達なのに。
「我に従う、すべての元素達よ……っ、」
必死になってひとりで基礎魔法の練習をしていると、魔力の放出の限界を迎えた体が鉛のように重くなってきた。私はそのまま意識をなくして地に伏した。
──……どのくらい意識を失っていたのかはわからない。身体に暖かいものが流れ込んできて沈んでいた意識がふわふわと浮上するような感覚がして、意識を取り戻した。
目を開けば落ち着いた静かな瞳が私の顔を覗き込んでいた。……なんで、クライネルト君がここにいるんだろう。
「加減を知らないのか。魔力枯渇を起こしているじゃないか」
彼の口から飛び出してきたのは呆れを含んだ台詞だ。
言い返してやりたかったけど、声を出すのも億劫で私は開きかけた口を半開きにしてうんともすんとも言わなかった。
力が入らないせいか、勝手に涙がボロボロ流れて来る。私が声もなく泣いているのをクライネルト君は静かに見下ろしていた。
──出来なきゃ、私は退学になってしまう。私と一緒にいるイルゼまで馬鹿にされてしまう。無理でもしないと、私はずっとこのまま落ちこぼれの烙印を押されてしまう。
体を抱き起こしてくれたクライネルト君の腕から離れて自分の力で立ち上がろうとしたが、ぐらりと眩暈がして地面に逆戻りする。
「こんなときに意地を張るなよ。医務室に送る。──我に従う風の元素達よ……」
クライネルト君は風魔法の浮遊呪文を唱えた。
この人は私の出来ないことを軽々とやってのける。同い年なのに、どうしてこうも違うのか。差を見せつけられると惨めな気持ちになってしまう。
私の体は見えない力によって浮き上がり、そのまま医務室へと送られた。
◇◆◇
初めて入った医務室は、薬草の独特な匂いでいっぱいだった。出迎えてくれた医務室の先生はすぐに私をベッドに寝かせて、探索魔法で私の身体の隅々まで検査してくれた。
「魔法が上手になりたいのはわかるけど、子どもは魔力が安定しないの。思春期も相まってうまく制御できない子もいるんだから焦らないことよ? あなたはまだ1年生なんだから」
医務室の先生は何かを紙に書き出して、それを付き添いのクライネルト君に渡していた。女子寮の寮母さんに渡す入院命令通知書らしい。
クライネルト君は私に何か言う訳でもなく、淡々と退室の挨拶をして医務室から出て行った。
「今日は入院。とにかくしっかり寝て休養をとるようにね」
医務室の先生からそう命じられると、カーテンを閉められた。
いつもなら同室のプロッツェさんの寝息や身じろぎする音が聞こえるのにここは静かだった。
真っ暗な空間には私ひとり。
静かすぎて余計なことをぐるぐる考えてしまう。
体は疲れているのに全然眠れなかった。