リナリアの幻想 | ナノ

説得と提案

「呆れた」

 ルーカスの弁解という名の言い訳を遮ることなく、全て聞き終えた大巫女様は心の奥底から呆れた顔をなさっていた。

 私は彼女が腰掛けているソファの隣に座ってうつむいてフェリクスの顔を見つめていた。話を聞いていく内にだんだんルーカスの顔を見るのが辛くなってきてしまったのだ。

「我ながら間が悪い上に、情けない男だと思っています。ですが僕は決して彼女を裏切るつもりではありませんでした」

 ルーカスの言葉に私は唇を噛み締めた。
 そんなのわからないじゃない。妊娠したと私が打ち明けたら怖気づいて逃げていたかもしれないじゃない。
 今だからこそ、大巫女様の前だからそんな事言っているんじゃないの?
 口を開けば冷静さを欠いて醜態を晒してしまいそうだったのでぐっと堪える。

「それで? あなたはリナリアさんを見つけた。次はどうするおつもりで?」
「もちろん、彼女に許しを得た上で、求婚したいと考えています」

 大巫女様の問いかけに迷わず返答したルーカス。
 ぴくっと私の肩が揺れたのに気づいた人間はどれだけいるだろう。

 そんなの、今更すぎる。
 私にどうしろって言うの。  

「なるほど…どうしましょう、リナリアさん」

 隣から優しく大巫女様が声を掛けてくださる。敢えてここは私の意見を最優先してくれるみたいだ。
 例えば、私は今の生活を守りたいと言えば、ルーカスから私を庇ってくれるだろう。

 だけどそれを言うには、私の心には迷いが生まれてしまった。
 だから彼と会いたくなかったのに。私の正体を知られたくなかったのに。

「大巫女権限であなたを神殿巫女に出来ます」
「…へっ?」

 私の沈黙をどう捉えたのだろうか。大巫女様の提案に目を丸くして気の抜けた返事をしてしまった。

「女神様の下僕になるということは、異性との結婚・接触が禁止になります。そうすればこの男性の手から逃れる。誰であろうとあなたに干渉できなくなります」

 いや……別にそこまでせずとも。
 どっちにせよ、未婚で出産している立場なので結婚は諦めていたし、神殿入りすると、今より戒律に縛られそうだから都合が悪いかな。今の仕事は気に入っているからやめたくないし。

「ただのリナリアとして女神様に仕えますか? もちろん坊やは俗世に籍を置いたままにも出来ます」

 私の困惑をよそに、神殿巫女になることをおすすめしてくる大巫女様。私はそれに何も言えずに返事に窮していた。
 どう言えば角が立たずに収められるだろう。

「おやめください! なんてことを仰るのですか!」

 断固反対の意志を見せたのはルーカスだった。
 私のことなのになんでルーカスが口を出すのか。私がムッとしていると、同じく気に触ったらしい大巫女様が冷たい目でルーカスを睨みつけていた。

「黙りなさい。発言を許した覚えはありませんよ」
「しかしっ」
「…つまみ出しておきましょうか?」

 それに怯まず言い募ろうとしたルーカスの言葉を遮るようにして口を挟んできたのは、第三者だった。

 黒髪を持つ女性だったので一瞬あのドロテアさんかと錯覚したけど全然違う人だった。
 その人はドロテアさんと同じ漆黒の髪色だけど、年頃も顔立ちも瞳の色も違った。不思議な紫色の瞳をしたその人はエスメラルダの高等魔術師であることを証明するペンダントをしていた。
 難解な試験を突破した、国に数人いる程度の高等魔術師。女性では初めて見たかも。
 私よりもいくつか年上のきれいな女の人。大巫女様と同じくらいのお年だろうか。一体誰……?

「あなたは」

 ルーカスはその女性を知っているようで、驚いた顔をしている。クライネルト家はエスメラルダの魔術師と交流があるのかな。

「お久しぶりです、サンドラ様。先日ご依頼いただいていた薬ができたので配達に来たんですが、他人の痴情のもつれに巻き込まれたとお聞きして……」

 どうやら大巫女様に用があって近くに立ち寄ると、この騒ぎを耳にしてやって来たようなのだ。
 紫色の瞳がちらりとこちらをみた。私とフェリクス、そしてルーカスへ視線が送られる。

「外で大体の話は聞かせてもらいましたけど、ここで話し合いしても、建設的な解決には至らないと思います。夜遅いですし、坊やもお休みの時間が迫ってるでしょうし」

 言外に、話し合いは持ち越して解散しろと言う女性。
 確かに時間のことを考えるとご近所迷惑にもなるし、そろそろフェリクスをお布団で寝かせてあげたい。大人たちの会話はうるさくて敵わないだろう。

 ルーカスは不満そうに眉間にシワを寄せていて納得していない様子だが。
 それに気づいた女性は腰に手を当ててため息をついた。

「君は自分のした責任を負いなさい。まずはすることがあるでしょう?」

 少し年上の女性にチクリと言われて気まずいらしいルーカスはぐうの音も出ない様子だ。

「未婚の女性が妊娠することに対して世間の目が冷たいのは理解したと思う。なにか事情があったにしても、苦労させることになった原因は君にあるからね」

 少し感情的になっていた大巫女様と違って、こちらの女性はあくまで第三者としての意見を冷静に述べた。
 ルーカスも重々理解しているからか、反論はないみたいだ。

「今の君は中途半端すぎる。責任を取るとは言うけど、全くもって信用がない。まずは自分や彼女の親に真実を述べて頭を下げて、殺される覚悟で許しを得てから、このお嬢さんに初めて求婚できると思いなさい」

 ころ、殺される覚悟って。
 流石に言いすぎじゃと思ったけど、大巫女様は同じ意見らしく、大きく首を縦に振っていた。
 出る言葉もないルーカスから興味をなくした女性は視線を私に向けた。

「お嬢さんは、家族に見捨てられたの?」
「いえ……迷惑をかけたくなくて自己判断で失踪しました」
「親にひどく当たられるとか冷たくされるってことはあった?」
「いえ、ありません。両親は私を大切に育ててくれました…」

 なんでそんなこと質問してくるのだろう。不思議に思いながら正直に答えると、ここに来て女性は初めて無表情から心配する親の顔を見せた。
 
「頼れる親がいるなら頼った方がいい。今まで大切に育ててくれたのであれば、妊娠したことで娘を放り出すような非情な人たちではないはずだよ? あなたは迷惑をかけたくないと言うけど、訳も告げずに失踪される方が余程迷惑だし、心配で不安だよ」

 私も若い頃散々親に心配かけさせたから偉そうなことは言えないけどね、と苦笑いを浮かべる女性。彼女にはお子さんがいるのかな。だから親の立場になって意見を言っているのだろうか。
 私もすでに人の親だけど、まだまだ未熟者ということなのだろうか。

「私が実家まで一緒についていって親御さんに話をつけてあげる。仮に突き放された場合はその後のことまで対処してあげるから、一度顔を見せに帰ってあげない?」

 黒髪の女性の提案に私はまごつく。
 もう二度と実家には帰らないつもりでいた。
 夫でもない相手と子供を作った私は両親を裏切ってしまった気がして、合わせる顔がないと思っていたから。

 どうしよう……帰ったほうがいいのかな。
 帰ったら、優しく出迎えてくれるだろうか……?

 両親には会いたい。
 だけど嫌われるのが怖くて帰れなかった。
 その結果、2人を傷つけているのだとしたら、私の選択は間違っていたのだろうか。
 
「彼女は信用に値する方です。悪いことにはならないとお約束しますよ」

 迷いはまだあったけど、大巫女様に後押しされて私は決めた。
 ルーカスに存在を知られた時点で、このままではいられないというのは確定なんだ。来る日が来てしまったと割り切ろう。
 私も人の親だ。けじめをつけよう。それで両親に軽蔑されてもそれを甘んじて受け入れる。

 帰ろう、実家に。もう隠れず真実を両親に話すんだ。
 決心した私は、黒髪の女性に家まで送ってもらうことになったのである。


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