運命の相手と言われても、困ります。 | ナノ

あなたの口づけで口紅が落ちてしまいます。【完】



 嵐が去ったあとの平穏に浸りたいのに、未だに嵐を思い出してしまうのはなぜなのだろう。

「なんだか、怒涛でしたね」

 これまで起こった一連の流れを思い出した私はぼんやりと空を眺めてつぶやくと、ステフが苦笑いを浮かべていた。

 そもそも花嫁選出の儀に参加したときからずっと忙しい。私が想像している貴族の暮らしとはだいぶかけ離れたものを送っているんだけど、これが普通なのかな。これに慣れてしまったら、命を狙われる恐怖に怯える刺激的な毎日にしか満足できない体になってしまいそうで怖い。

 息抜きで散歩していた中庭は薔薇が見頃の時期を迎えており、服に香りがつきそうなくらい強い香りを放っていた。
 ステフは近くにいた庭師見習いの青年に声をかけたかと思ったら、一輪の赤薔薇を手にとって戻ってきた。

「動かないでね」

 お花をくれるのかなと思って手を差し出すと、ステフは私の頭にそれを飾ってしまった。
 完全にカラ振った。恥ずかしい。
 棘などは処理されているようで、髪に差されても引っかかることはない。

「綺麗だ」

 薔薇を髪に飾った私を見てステフが微笑む。
 薔薇に囲まれた王子様は麗しい。そんな…あなたこそ綺麗なんですけど。

 彼の麗しさにうっとりと見惚れていると、彼の唇が降ってきて私のそれに掠った。
 私は慌てて彼の胸を押し返して拒んだ。
 まだ明るい時間だし、ここは外だ。護衛さんたちがどこかで見ているかもしれない。

「いけません、誰かに見られたら」
「こちらには来ない」

 キスを拒まれたステフは不満を隠さずムッとした顔をしていたので、拒んだ理由を伝えれば、大したことのないように一蹴してしまった。
 そんな、誰かに見られることは否定しないんですか?

 私はそのまま、顔を持ち上げられて口づけされた。
 ふんわり重ねるだけの優しいキスは徐々に激しくなり、お互いの唾液を交換するような荒々しいものに変わっていく。

 …さっきお化粧直ししたばかりなのに。
 むちゅ、と音を立てて離された彼の唇はどちらのかがわからない唾液と、私の口紅が移ってしまっていた。

「もう…口紅…ステフが塗り直して?」
「あぁ、だけどもうちょっと君の唇を味わいたい」

 彼の望みを今更拒む理由もなかった。
 ステフの首に腕を回して背伸びをすると、自分から舌を絡める。

 彼の唇と舌の感触に集中したくて目を閉じて夢中になっていると、ポトッと頭上に何かが落ちてきた。

「いやああああああー! 虫ィィー!」

 発狂したように叫びだした私を前にしたステフはぽかんとしていた。
 私は混乱状態に陥ってその場でバタバタ暴れる。
 虫っ! 虫が頭に!!

「ステフッ虫! 虫が!」

 そのまま目の前のステフに抱きついて、虫を取り払ってもらうようにお願いすると、勢いが良すぎたのか私はそのまま彼を芝生の上に押し倒してしまった。

「あぁ、ごめんなさい! でも虫が!」
「ふ、あはははは!」

 謝ればいいのか、虫を怖がればいいのか、メチャクチャな思考回路で慌てていると、ステフが大笑いし始めてしまった。
 ……なぜ笑うのか。
 私は本気で怖がっているのに。
 だんだん腹が立ってきた私は、引き倒されて寝転がった状態のステフの胸元をバシッと叩いた。

「笑わないでよ! 虫取ってよ!」
「いないいない、レオーネが暴れたからどっかに行ったよ」
「嘘! 頭にまだいる気がする!」

 私はそう言って頭をステフの眼前に近づけた。もっとよく見て! 髪の隙間に潜んでいるでしょう!?
 ステフは笑いをこらえきれない風に小さく肩を揺らしていた。

「いないよ、本当にもういない」
「そう言ってステフは昔から私を騙してきたじゃないの!」

 私は忘れない。虫を怖がる私の反応を見て楽しんでからかっていたステフの意地悪なところを今でも覚えているの!
 過去のアレコレを文句つける私を見て、ステフは愛しさを隠しきれないとばかりに優しく微笑んだ。その笑顔に圧倒された私は怒りを忘れて固まる。

 上半身を起こしたステフは私をギュッと抱き寄せてきた。

「うん、レオーネは変わらずレオーネだね」
「? どういう意味ですか?」

 それはどういう意味なのだろうか。
 虫が苦手なのは仕方がないだろう。苦手なものはいくつになっても苦手なのだ。
 だけどステフの言った言葉はそういう意味じゃなかったらしい。

「私の初めての友達であり、初めての恋を教えてくれた可愛いレオ」

 耳元で囁かれた愛の言葉に、私はくすぐったさに似た、幸せな気持ちになった。

 こんな気持ちにさせてくれるのは彼ただ一人。
 私の恋心はまた大きく形を変える。
 恋から愛へと変化していくこの感情は変化を止めない。
 
 初めての恋を忘れず、諦めないでいてくれたステフのおかげで私はまたあなたに恋ができた。
 そしてあなたをこんなにも愛することができた。

「愛しているよ、レオーネ」
「私もよ、ステフ。あなたを愛している!」

 感情が溢れて抑えられなくなった私は、彼に飛びついてキスを送る。
 再びステフを芝生に押し倒してしまったけど、ステフは気を害することなく口づけした状態で小さく笑って、私をきつく抱きしめた。

 薔薇ではなく、土と草の香りが強くする中での口づけはおしゃれではないけど、幼い頃ふたりで駆け回った森の香りに似ていて好き。

 私達ふたりにしかわからない秘密みたいで、特別な感じがするから。



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