今夜だけは自惚れたいのです。私が一番綺麗だって。
「皆のもの、今宵は我が息子ステファンの花嫁候補披露の場によくぞ集まってくれた──……」
王様が招待客へ挨拶をしている間もステファン王子が私の側から離れることはなかった。手も腰もがっちり拘束されているから離れようがない。
四方八方あちこちから致死量の殺気を向けられていた私は、これは新手の拷問か何かかなと微笑みを浮かべながら悟っていた。
まさか私を生け贄にしようとしているのかなと思ったけど、王子はそういう風に女性を利用する人ではないのはわかっていたのでその考えはすぐに排除する。
でも、でもさ……
ファーストダンスを私と踊るってのはどうかと思うよ?
ダンスホールで視線を浴びながらふたりで踊るダンス。それは特別なことで、一番注目を浴びるイベントだ。
本来であれば身分の高い相手と踊るだろうに、王子はなにを考えているのか曲が始まると脇目も振らずに私を連れてホールへ足を向けたのだ。
「で、殿下」
向かい合わせになってダンスの姿勢を取らされた私は冷や汗をかいた。
さすがにこれはまずい。今にでも引き返してパートナーを変更した方がいいのではないかと物申そうとしたが、翡翠色の瞳が熱を持って私を見つめて来るものだから私は口をつぐんだ。
王子の目には魔力でもあるのだろうか。見ているだけでくらくらする。──強く睨まれているはずなのに、今は不思議と恐怖を感じない。胸が高鳴って、くらくらしてしまう。
ダンスはとても踊りやすかった。私の足に負担がかからないように彼が体重を支えてくれているおかげで空の上を飛んでいるように軽やかに舞えた。
私、王子様とパーティで踊ってるよ。すごい。
なんでだろう、王子の瞳に見つめられると泣きたくなる。
ドキドキして、胸が苦しくて、抑えきれない気持ちが溢れ出しそうになるんだ。
「とても綺麗だ」
囁かれた言葉に私はドキッとする。
「他の男に見せたくないくらいに美しいよ。私の花嫁なのに不躾にじろじろ見てくる男たちの視線に気付かないか?」
「そ、そんなことは……」
き、急にどうしたんだ。私のことを口説いているみたいに聞こえるんだけど。恥ずかしくなって私は目を伏せた。
確かに周りからの視線は感じるけど、女性陣からの殺意に似た視線の方が強いかな。
「私を見るんだ、レオーネ」
私が目をそらしたのが気に食わないのか、王子が言った。
そんなこと言われても困る。今夜の王子はいつもと雰囲気が違いすぎて心臓に悪い。彼の一挙一動に戸惑ってさっきから落ち着かないんだ。
「レオーネ」
ぐっと腰を引き寄せられ、体がより密着する。私が驚いて顔を上げると、王子と目がバッチリ合う。思っていたよりも顔の距離が近くて驚いて飛びのこうとしたが、それを王子は許してはくれなかった。
しっかり腰を抱き支えられ、私たちは広いダンスホールで踊る。
まるでふたりだけの世界。周りには誰もいない。
ここには私たちだけだと錯覚した。
ワルツを奏でるオーケストラの音が遠くで聞こえる。
王子は強く私を睨みつけていた。その瞳から目をそらせなくなった私は、彼と見つめ合った。
普段は露出しない肩やデコルテに視線を送られているような気がして恥ずかしかったけど、不思議と不快ではなかった。
住んでいた街で下心を持って私に注目して来る男性、誘いをかけて来る男性達の視線には不快感を持っていたけど、ステファン王子の視線はそんなことない。
もっと私を見てほしい、そう思った。
貴族のお姫様ではない私だけど、王子はさっき私がこの場で一番綺麗だと言ってくれた。それがお世辞だとしても、自惚れてみたかった。
この会場内で私が一番美しいのだと。
──見つめ合っていた王子の顔が近づいてきて、ふわりと唇に柔らかいものを押し付けられた。
いつの間にかステップを踏んでいた足は止まり、王子に体を抱き込まれた私は彼の口づけをおとなしく甘受していた。
「いやぁぁぁ!!」
「なんてことなの! あのような下賎な娘に!」
が、周りの令嬢の怒声で我を取り戻した。
ここ、ダンスフロアだった! 私ったら一体なにを!
王子の胸板を押し返して私は慌ててパッと離れた。どうしてこんなことを、と聞こうとして私は息をのむ。なぜなら、彼の唇に紅が付いていたからだ。
キスをした時に私の口紅が移ってしまったのだ。
それを目にした私は顔から火を噴く勢いで恥ずかしくなり、王子の腕の中から小走りで逃げた。
「待ってくれ、レオーネ!」
ダンスフロアから逃げだし、こちらを観察していた貴族達の波に隠れた。
王子が呼び止める声が聞こえたが、今は冷静に彼と会話できそうにない。なんで私、黙って口づけを受け入れていたのだろう……!
◇◆◇
「私とダンスを是非」
「いや、私と踊りましょう美しいお嬢さん」
熱くなった頬の熱を冷ます目的で壁の置物作戦を決行しようとしたが、先ほどのことで悪目立ちしすぎたらしい。
貴族男性からのダンスの誘いに私は後退りした。下心を含んだ視線が集中して悪寒がする。平民の花嫁候補ということで利用してやろう、遊んでやろうと思われてるんだろうなと彼らの考えを読み取ってしまったからだ。
「いえ、私は殿下だけと踊ると決めておりますので」
それらしい理由をつけたら、人目のあるホール内で無理に引きずり出そうとはしない。
私は仮にも王子殿下の花嫁候補。このパーティで危害を加えるような考えなしな人、さすがにいないでしょ……
──バシャッ
「うっ!?」
突然顔面目掛けて何かをかけられた。目に入ってきたそれに私は顔を抑えて呻く。
「あーぁら、ごめんなさい。ごみ箱かと思って」
くすくす、と笑いながら謝罪してきたのは女性だ。複数人が集まって私を囲い込んだ気配がした。なるほど、壁を使って嫌がらせを働くつもりか……
「流石は平民ですわね、どんな手を使って殿下を誑らかしたのかしら?」
「お綺麗な顔立ちしていますもの、きっと市井でも男性の扱いに長けていたのでしょ」
「先程からひっきりなしに殿方から誘われて、いい気になっていらっしゃるようね」
……市井の女の子達の悪口を少し高飛車にした感じの言い掛かりだな。言っておくけど、私は男性を誑らかしたことなんて一度もない。相手からの誘惑に乗ったこともない。人を見た目で判断しないで欲しい。
「自分の立場を理解していらっしゃらないようだから私が教えて差し上げるわ。いいこと? ステファン殿下の花嫁になられるのはベラトリクス様なのよ。それなのに、あなたはベラトリクス様があるべき場所を奪って妨害しようとしている」
カッと体中が一気に熱くなった。それに頭がふわふわする。なんだろう、これ……
「花嫁候補から辞退なさい。即刻城から出て行くことね!」
目の前の令嬢からびしっと指をさされたけど、私はぼんやりするだけ。
なんだか、眠くなって来たような気がする……
「ちょっと! 聞いていますの!?」
「──君達、誰の断りを得て私のレオーネに説教しているのかな」
なんだか足元がふわふわすると思っていたら、後ろから回ってきた手がお腹に回されて抱き寄せられる。
「で、殿下!」
「条件にすべて該当しない上に伝統を捩じ曲げて無理やり城に押しかけてきたヘーゼルダイン嬢が私に相応しいだと? 冗談は程ほどにしろ。私の花嫁はこのレオーネだけだ」
後ろの彼は怒っているみたいで恐い声を出している。目の前にいる令嬢達は血相を変えてオロオロ怯えているようだ。「そんな」「私は殿下のためを思って」と言い訳をするが、王子はぎろりと彼女たちを睨みつけていた。
彼女たちの言い分を聞き入れる気は全くないみたいだ。