生き抜くのに必死なんです。 | ナノ



シャルリエ騎士爵夫人の昔話・後編【?視点】

 旦那様は今後のことを考えて、本職以外に副業をなさっている。私のために先立つものを残そうと細やかながらも貯蓄をしてくださっているのだ。
 本当に私にはもったいない優しい夫である。

 縁あって、旦那様がエーゲシュトランド公国へ招待されることになった。
 目的は取引、そして社交である。

 そこは豊かな国だった。
 数年前まで略奪・不法占拠されて荒れ果てた土地になっていたと聞いたのに想像を超える復興ぶりを見せつけられた。
 
 エーゲシュトランド城まで馬車で移動し、夫の手を借りて下車すると待ち構えていた使用人の前に一組の若い男女が立っていた。身に着けている服装ですぐに分かった。
 彼らが、エーゲシュトランド大公と公妃……

 一度滅びた国をここまで復興させたのがそこにいる美男子だろう。
 そして、私が育ったサザランドで平民らの不満を扇動して、伯爵夫妻に復讐した人……復讐をやり遂げるほど苛烈な人には見えないので、人は見た目によらないなと思った。

 それにしても聞きしに勝る美男子だ。こんなに美しい男性を初めて見たかも。あの学園にも見目麗しい人はたくさんいたけど、彼ほどの人は……ん?
 エーゲシュトランド大公殿下の美麗さに感心と同時に、私は違和感を覚えた。
 彼の髪の色に引っかかったのだ。
 ──淡い、金髪。

 そういえば、彼は復讐のためにサザランドに潜伏していたと聞く。
 あの女が言っていた淡い金髪の美少年……あの女は敵が潜り込んでいるのに気づいていたのに、放置していたのかしら。

 なぜあの女は、あんな質問をしたのだろう?

「ルネ、どうしたんだい?」
「いえ……すこし昔のことを思い出しまして。大丈夫です」

 黙り込んで神妙な表情を浮かべる私を見た周りの人が心配そうにしていた。旦那様に声をかけられて私は我に返る。
 だめだだめだ、今は社交の場。しっかりしなくては。

 目の前の大公殿下とサザランド元伯爵令嬢の言っていたスラムの美少年像が被ったが、私は首を横に振った。
 大公殿下も復讐するほど憎んでいた相手のことを思い出したくないだろう。野暮なことは聞くまい。

 彼の奥様はあのサザランドのスラム出身なのだと前もって聞かされていたが、そんなことを感じさせないほど明るくて元気な公妃様だった。

 本来、身分違いの彼らは、これまた旧サザランドのスラム街で偶然出会ったらしい。訳アリっぽい大公殿下を公妃様がスラム内に匿ってあげたとか。なのでおふたりともあのサザランドには縁があるというか…両者とも複雑な感情を抱いていそうである。


◆◇◆


 男同士で色々取り決めがあるから、女性同士でお話しておいでと別室にお茶の席が用意された。
 ケーキスタンドに並ぶ色とりどりのお菓子に目移りしそうだったが、私は咳払いをした。

「あの…リゼット様はサザランド元伯爵令嬢についてご存知でいらっしゃいますか?」

 ヴィクトル大公殿下がいないこの機にこそっと質問してみると、彼女はしょっぱい顔をしていた。元領民として今でも遺恨が残っているみたいだ。悪いことを聞いてしまった。

「あ、話したくなければいいのです。変なことを聞いてしまい申し訳ありません」
「いえ、大丈夫です。ルネ様も旧サザランドに住んでいたことがあるのですものね。気になるのは当然のことです。私からお話しできるのは、あの人はちょっと思い込みの激しい自分本位な人間ということだけです」
「はぁ…」

 なんか直接関わったことのあるようなものの言い方だったけど、サザランドの重税で苦しんだ元領民の一人として、いろいろあったのだろうと自分を納得させた。

「…ところでリゼット様のご趣味は何ですか?」

 話のタネをと思って趣味を尋ねると、彼女から返ってきた回答は「畑仕事です」と返ってきた。
 それには私は目を丸くする。
 公妃様が? スラム出身とはいえ、いまや恵まれた生活をしているのに畑仕事??
 私の聞き間違いだろうか……

「畑仕事を始めたきっかけはスラムの近くで知り合った商人に譲ってもらった野菜の苗なんですけど……サザランドでは重税と大寒波、食糧難が続いた時期があって、私は家族と生き抜くために必死に自給自足していたんです」

 つらい思い出だろうに、彼女は包み隠さず過去の話をしてくれた。あの頃のひもじさが忘れられなくて、今でも畑仕事は継続しているのだと。
 趣味のようなものだと笑う彼女の表情に陰りはない。スラム出身の公妃様だというからどんな人かと思ったけど、割と面白くて逞しい人だ。

 季節の野菜苗や種をなじみの商人から入荷してそれを畑で育てており、今は栽培地を拡大している最中だけど、夫がいい顔しないのだと困った顔で彼女は愚痴っていた。

 そりゃそうだろう。……大公殿下としては妻を満足に食べさせてないみたいに周りから誤解されるかもしれないと外聞を気にするだろうし。
 夫の大公殿下から「人を雇って大きな農場にして、君は運営をすれば?」と提案されたけど、リゼット様は現場で働きたい派なのだそうだ。

「本当は山へ狩りにも行きたいのですが、それは断固として許しをもらえないのです」
「狩りまで…本当に苦労なさったんですね」
「私はまだ恵まれてる方です。なんだかんだで生き抜けたのですから」

 苦しい思いもたくさんしただろうに、彼女の表情は晴れやかだった。
 スラム出身の人間は死んでも這い上がれない。悲惨な人生を送るのが常だが、彼女はその前向きで、自分で道を切り開ける強さがあったからここまで這い上がれたのだろう。
 それが夫の庇護によるものだとしても、生半可な覚悟じゃここまで登りつめられない。

 野や山を駆け回ってカエルや野うさぎ、イノシシや鴨を狩っていたのだと懐かしそうに語るリゼット様。
 一部耳を疑う単語が聞こえた気がするけど、この規格外な公妃様なら何でも有りだと流すことにした。
 でもカエルって何、イノシシって何…

 お話を聞きながら、ふと自分の過去を思い出した。
 母が生きていた頃のことだ。
 母と暮らしていた借家には小さな花壇があり、そこで野菜を育てていたこと。理由は彼女と同じだ。高騰する食費を何とか賄おうと思ってやったことだ。

 母のことを思い出すと悲しい感情に襲われる。楽しい思い出もたくさんあったはずなのに、それらを忘れてしまったかのように私はこれまで思い出に蓋をしていた。

 ……あの頃は貧しくても頑張れた。
 母一人子一人で不便なこともたくさんあったけど、お母さんが私を必死に育ててくれる姿を見ていたから、私も耐えられた。
 いつかお母さんに楽をさせてあげたいと思っていたのに、最後の最期まで苦労をかけてしまった…

「ルネ様!? いかがなさいましたか!?」

 リゼット様がぎょっとした顔で私を見ていた。そんな顔してどうしたんだろうと思っていると、彼女は席を立ってぐるりとテーブル周りを回って私に近づいてきた。
 ふわりと異国風の不思議ないい香りが漂ってきたと思えば、レース装飾の付いたハンカチでそっと私の目元を撫でてきたのだ。 
 いつの間にか私は泣いていたらしい。

「──申し訳ありません」
「いえ、何か悲しいことを思い出されましたか?」
「母のことを…母はすでに亡くなっているのですか、私とふたりで一緒に暮らしていた時期は、花壇に畑を耕していたなと思い出して…」

 彼女と話をしているとこれが社交であることを忘れて気が抜けてしまった。 
 手渡されたハンカチをお礼を言って受け取ると目元を拭う。……いい香りがする。何の匂いだろうか。

「ルネ様、私の畑に参りましょう!」
「え?」

 まだ感傷に浸っていたところだったのだが、突然の提案に私はぽかんとした。
 お茶をしていたサンルームから出ると、ぐいぐいとどこかの部屋に連れていかれてそこでは汚れるからと服を着替えさせられた。
 農婦みたいな格好にさせられたけど、手伝ってくれたメイドは何の疑問もないようだった。……つまり、これがリゼット様の日常でメイドもそれに慣れてしまっているということなのだろう。

 吸水性のある布地は肌触りがいい。懐かしいなこの肌感触、動きやすいその素朴な服にますます懐かしくなる。

「ルネ様、失礼しますね。虫刺されと日焼け対策にクリームを塗ります」

 虫刺され日焼け対策と言って何かを塗りたくられ、仕上げにつばの広い帽子を被せられた私はそのまま部屋から連れ出されてお城の廊下を進んだ。前を歩くリゼット様の足には迷いがない。
 
「り、リゼット様、その格好は……なぜお客様まで」

 執事らしき紳士が慌てて止めようとしていたが、リゼット様はいつものことのように「ルネ様と畑に行ってきますね」とあっさりお出かけの挨拶をしていた。
 
「リゼット様、せめてヴィクトル様のお許しを得てからでないと」
「大丈夫! 許してくれるはず! 護衛さんがついているから危険はないと思います!」

 少し強引なリゼット様に連れられて城下町にある一角へ連れてこられた私は、目の前に広がる緑に目を見張った。
 広い。私が想像している以上に畑が広い。

「手を傷つけてはいけないので手袋をしてくださいね」

 言われるがまま、保護用の手袋をつけて手入れを手伝うことになった。

「このさつまいもは、土の肥料はそこまで必要ではないんですが、太陽の光が重要なのです。その為に雑草をこまめに抜かないといけないので大変ですけど、収穫の喜びは何物にも変えられません」

 抜いていい雑草と苗の見分け方を教えてもらっていると、リゼット様はそんなことを言った。
 また、亡くなった母との思い出がよみがえる。
 あの頃は雑草抜きが面倒だったけど、お母さんにさぼるなって怒られたなぁ。

『お日様の光がないと育ってくれないのよ』

 お母さんも作物には太陽の光が大切だって言っていた。
 社交とは違う、農家さながらの雑草抜き作業だったけど、そのモクモク作業で私は母と過ごした日々の記憶を思い出した。

 悲しいだけじゃない母との思い出。幸せだったあの頃。
 もう戻れない大切な思い出。
 私はそれを忘れていたのね。


 雑草抜き作業を開始してしばらくした頃だろうか。地面を蹴る音が聞こえた。
 向こうのほうから馬に乗った人影が近づいてくるなと思って目を凝らしていると、馬上にいたのは私とリゼット様の夫たちだった。

「あれ、大切な商談じゃなかったの?」

 リゼット様は動揺した様子もなく、額から流れる汗を袖で拭って顔に土をつけていた。

「夫人同士でお茶会をして過ごしていると思ったら、2人で畑に繰り出したと言われたら放置しておけないよね?」
「護衛さんいるから大丈夫なのに」
「リゼットがよくてもシャルリエ騎士爵夫人はそうじゃないよ。夫人、私の妻がわがままを言ったようで申し訳ありません」

 大公殿下に謝罪をされて私は慌てて手を振る。
 確かに最初はリゼット様に引きずられて畑に来たけど、作業自体は懐かしくて実は楽しかったから。

「いいえ。亡くなった母と住んでいた家の狭い庭で野菜を栽培してたこと思い出して懐かしくなったので、いい経験をさせていただきました」

 大切な思い出を思い出せて、私は幸せな気持ちを味わったから、謝罪は必要ない。

「ルネに友人をと思って連れてきたけど、どうやら斜めの方向に意気投合してしまったな」

 ははは、と旦那様が楽しそうに笑う。
 そうなのだ。私には同年代の友人がいないこともあり、そのことを旦那様が心配していたのだ。
 苦労してきた大公殿下の奥様なら、個人的に親しくなれるかもと言って今回同行したというわけだ。

「申し訳ない…うちの妻はスラムで味わったひもじさを恐れていて、自分たちの非常食は自分で育てると言って聞かないんです」
「食料貯蔵は大切でしょ」

 ぷくーと膨れるリゼット様の頬についた土汚れをハンカチで拭ってあげながらため息をつく大公殿下は半分諦めているようである。大公殿下がリゼット様に大分惚れ込んでいるみたいだからあんまり強く反対できないんだろう。


 エーゲシュトランド城に滞在中、私は毎日リゼット様と一緒に畑の手入れをした。割と楽しい時間を過ごせたと思う。
 農婦みたいな格好で畑仕事をしていると、エーゲシュトランドの国民が気軽にリゼット様に声を掛けてる光景が見られた。国民にとって公妃様が畑仕事しているのは日常茶飯事みたいだ。

 移動の馬車の中からじゃわからなかったけど、この国の人には笑顔が多い。
 栄養状態や衛生状態で言えば、母国の貴族たちのほうが上だけど、ここには本当の心からの笑顔が多いから、こちらのほうが幸福そうに見える。
 ──きっと大公殿下夫妻はいい施政者なのだろうな。


 エーゲシュトランドの非常食として貯蔵しているというさつまいもという一見変わった芋。
 リゼット様が手ずから調理してくださったものをご馳走になったけど、無骨な見た目を裏切る素朴な甘みに私は胸を撃ち抜かれた。ただ焼いただけなのになにあの甘露。

 ぜひともリゼット様が懇意にしている商人様にさつまいもの苗を取引して貰えるようお願いしたいと依頼すると、旦那様が横でぎょっとした顔をしていた。
 あ、屋敷の庭の隅に畑を作る許可を先に取らなくては。


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -