私を褒めても何も出ませんわ。 「あっ! ヴィー! ひさしぶりじゃない!」 大通りに連れていきたい場所があるのかな? と首を傾げつつ歩いていると、何者かがヴィックに飛びついてきた。 「やぁ久しぶり」 飛びつかれても少しだけよろける程度で済ませたヴィックは、化粧が濃いめの女性を見下ろして困った風に笑っていた。 「ねぇ、今晩私空いてるんだけど…」 「ごめん、何度も言ってるけどそういうのは…」 「つれないのね」 なるほど、街娼か。 ヴィックはあんなに人付き合い避けていたのに今ではこんなに成長したのか。それが女遊びという形だとしても、人と関わるようになったことを喜べばいいのか… 私があたたかい眼差しで見守っていると、ヴィックが慌てて女性を引き剥がしていた。街娼の女性は多分ヴィックと同年くらい。そこそこいい服を着ているので売れっ子娼婦なのだろう。ヴィックから引き離されて不満そうな彼女の視線が私に留まる。 「…だぁれ? この子。…スラムの子じゃない」 貧乏人が、って軽蔑を込めた視線を送られてちょっとムッとしたが、そこで怒ってもなんにもなんない。ただお腹が空くだけなので我慢する。 「──この子は俺の特別な子だよ。それじゃ」 さっきまでは愛想含んだ声で応対していたはずの彼の声が不機嫌に変わった。ヴィックの態度の変化に街娼の女性は目を丸くして固まっている。 「行こう、リゼット」 私と一緒にいたら多分奇異な目で見られるだろうに、ヴィックは私の手を取ってしっかり握った。以前より生活が向上したとは言え、それでも私はスラムの住民から抜け出せない。 一方のヴィックはスラムの外れに住んでいるとは言え、生活様式は中流階級のそれに変わっていた。今の私達は並んでいると違和感しかないだろうに、ヴィックはそんな目で見ること無く、胸を張って私と歩いている。 ただそれだけのことなのに、私の胸の中は複雑な感情でぐちゃぐちゃになった。情けなさや怒りの負の感情を、温かい不思議な感情が守るように包むこむ。 私達スラムの人間は後ろ指さされる存在だ。わけもなく迫害されることだってある。…決してきれいな格好をしているわけじゃない私と一緒にいて恥ずかしくないのだろうか。 優しく繋がれた手は簡単に振りほどけそうだ。不自然に思われないように引き抜こうとしたが、逆にギュッと強く手を握られた。 ──どうしたんだろうか。今日のヴィックはいつもと違う気がする。 「ここは…」 「気に入るものが置いてあるといいんだけど」 ヴィックに連れられたのは、街のブティックだった。 連れていきたい場所ってここなの…? 私、洋服買うお金とかないんだけど……ここ中流階級以上向けのお店だし。 「リゼットは髪の色が落ち着いているから…この服はどう?」 「ちょちょ、待って? なんで服屋に私を?」 近くにあった既製品を私に当てようとしたヴィックを止めると、彼は私を見下ろしてにっこり笑っていた。 「俺が稼いだ金で買うんだよ、お金のことは心配しないで」 「いやいやいや余計に意味わからないよ!? なんでヴィックが私の洋服を買おうとしているの!?」 私は一度たりともせびったことはないぞ? 確かにヴィックからしてみれば私はいつもぼろぼろの服を着ているだろうが、それはスラムの人みんなだし! 私は施しを受けるつもりは毛頭ないんだ! 「高いのに悪いよ、それに」 「リゼットが喜ぶ顔が見たいんだ」 私が断ろうとすると、ヴィックがトドメの一言を放つ。 そんな、そんな事言われたら…… ヴィックによって贈られたのは、薄水色のワンピース。ヴィックの瞳の色に似た色だ。 1着で充分なのにヴィックが2着も3着も贈ろうとするから説得するのに苦労した1着である。だってこれに合わせて靴までプレゼントされたからね。流石にこれ以上は受け取れない。お店の試着室で着て帰ろうとして着替えてみたが、なんかやっぱり浮いて見える。私にはもったいない気がする…。 だが、厚意を無下には出来ないので、意を決して試着室を出ていった。お支払いを済ませたらしいヴィックが扉の音に気づいて振り返る。私を映した彼の薄水色の瞳は軽く見開かれた。 「…変じゃない?」 あまりにも似合わなさすぎて目を見開かれたんじゃ…とネガティブなことを考えていると、ヴィックは首がもげそうなほど横に振っていた。 「似合うよ! とてもかわいい!」 女性の視線を全て奪いそうなとびきりの笑顔を私に向けて振りまいたヴィックはそれはそれは嬉しそうだった。 ……もしかして、恩返しのつもりだったのかな? 私は見返りとか求めていないから恩返しとかしなくていいのに…… 「そうだ、服に合いそうなアクセサリーも買ったんだ」 そう言ってヴィックが私の洗いざらしの髪にためらいなく触れた。今は石鹸で洗っているから汚くはないと思うけど、ヘアオイルなどないので指通りは最悪だと思う。 ヘアアクセを装着された私はなんだか照れくさくてはにかんだ。 「かわいいよ、リゼット」 だってヴィックは、勘違いしそうなほど甘い視線を私に向けてくるんだもの。 私じゃなかったら絶対に勘違いしていたところだと思うな。 □■□ ブティックを出た後は、あたりをぶらぶらした。そこからずっとヴィックに手を繋がれているのが気になるが、迷子防止か何かなのだろう。 「お腹すいていない? あそこの屋台でなにか買おうか」 「うぅん、これ以上贅沢するのは申し訳ないから…」 「そんなことないよ。リゼットはいつも頑張っているんだからご褒美だよ」 そう言ってヴィックは私を引っ張っていく。……いつになく私を甘やかそうとするな。ご機嫌で色んな所に連れ回されるが、どうしたんだろう。そこそこの住居に住んで、職を見つけて、食事もまともに食べられるようになったから元の彼に戻ったのだろうか。 「…なんか、吹っ切れた感じがするね。前までは遠慮がちな感じだったのに」 「ある意味ね。遠慮していたら横から掻っ攫われそうだから」 「ふーん?」 衣食住整ってメンタルも落ち着いたってことなのだろう。どっちにせよ、いいことだ。私は少しばかりその変化に慣れるのに時間がかかりそうだが。 なんと言ってもスラム内に住む男子とヴィックは何もかも違うからな。ヴィックの私への接し方はまるでレディを扱うような丁重なそれなのだ。そんな扱いしても私はスラムの住民には変わりないのに、と思いつつもそれがくすぐったくて嬉しかったりもする。 屋台で魚とじゃがいもを揚げたもの…フィッシュアンドチップスみたいな食べ物を渡され、買ってくれたお礼を言ってそれを頬張る。屋台側のスタンドみたいな場所で立ち食いしながらおしゃべりした。 ヴィックはつい3日前まで仕事で中央の方へ出かけていたそうだ。新聞社の本社で何やら細々した仕事をこなしたとか。 「…ここの領主の娘が第2王子の婚約者として内定したと騒がれているのを聞いたか?」 「あぁ…うん。噂で流れ込んできたのを聞いた程度だけどね。もともと婚約していた人とは婚約破棄になったらしいね」 本来ならお祭り騒ぎなんだろうが、評判があまり良くない伯爵一家のことだ。皆冷めた目で見ているだけだった。キャロラインが王子と結婚したからどうなるというのだ。私達の生活が楽になるわけでもないのに。 「王都の学校でもいろんな男を誑して、一部では評判が悪いらしい。彼女は相手によって態度を変えているとかそんな噂が流れていた」 「印象最悪だね」 貴族令嬢って一定の貞淑さを求められそうなものなのに、いろんな男侍らしているのか…。 ていうかあの女、転生者疑惑があったんだよね。…炊き出しの日、ゴミ箱の中で盗み聞きしたキャロラインの独り言を思い出して私はブルッと悪寒に震える。 「──もし」 温度のない冷たい声が横から飛び込んできた。 私が反応するよりも先に、ヴィックが私を守るように前に立ちはだかる。私は首を伸ばして声をかけてきた人物を覗き込んだ。 「“石焼き芋”なるものを販売している娘というのはあなたのことですか?」 いわゆるメイド、というものなのだろうか。お仕着せを着た年嵩の女性は冷たい眼差しでこちらを見下ろしていた。その目には嫌悪のようなものが浮かんでいる。下賤なものを前にした視線だ。 「姫様があなたとお会いしたいとのことです。お同行願えますでしょうか」 一応お伺いしているみたいだが、その声音は「断ることは許さない」と強制していた。 「…姫様って」 「まさかここに住んでおきながら知らないとは言いませんね? サザランド伯爵令嬢キャロライン様のことです」 ぴく、と私の前に立つヴィックの肩が小さく揺れたのを視界の端に捉えた。 「……なんで」 何故私がキャロラインに呼び出しされなきゃいけないのか。 それが石焼き芋って……それに反応しちゃう辺りやっぱりあの女も私と同じ世界から転生してきたんじゃないか!? あんぐり口を開いた私をじろりとみたメイドは「来なさい、馬車を待たせています」とやっぱりこちらの返事を必要としない命令口調で私を呼び出した。私は渋々馬車に乗る羽目となった。 警戒バリバリのヴィックが私について来たのは予定外のことだったが、私としては心細いので彼が一緒に来てくれてよかったと安心していたのである。 |