国を追われた公子【?視点】 あの時のことは今でも忘れられない。 突然押し寄せてきた蛮族たちは我が国を貪り尽くした。私は目の前の光景にただ呆然と震えるしかできなかった。 『ヴィクトル、お前だけでも逃げなさい!』 『早く!』 両親は私と信頼できる側近らに手元にあるだけの金銀宝石財産を渡すと、城の秘密の抜け穴に押し込んだ。 『公子、こちらへ!』 ボロ布を被って混乱の国を駆け抜けていく。国の兵士たちは被害を抑え込もうとしているが、蛮族によって見るも無惨な姿に変わっていた。裕福だった国の資産を根こそぎ奪うかのように、一般市民を追い立てて家探しのようなことをする蛮族。 それに声を荒げて止めたかったが、側近に止められて叶わなかった。 惨めだった。ここは私の国のはずなのに私にはこの混乱を抑え込む力がない。悔しさに涙が滲んだが、立ち止まっている暇はない。今は逃げるしかない。 『私達はいいですから、お逃げください!』 どこで嗅ぎつけたのか追手がやってきた。目的は私の首。側近らが剣を抜いて蛮族たちと格闘し始めた。私も抗おうとしたが、側近らに逃げろと怒鳴られ、ひとり慌てて飛び出した。 側近に言われるがまま走って走って、蛮族の手の届かない場所に向かう。途中で捕まえた幌馬車に乗って国から離れていく。私の精神は恐怖と緊張で極限まで追い詰められていた。これからどうするんだろう。あれから何日経過したのだろう。 父上と母上は、国はどうなったんだろう。 不安と焦りと無力感に苛まれた私はそのまま隣国に潜り込んだ。 ……その道中で、この国の王が貴族に命じて蛮族を扇動させたとの情報が入ってきた。 当初は隣国の国王に窮状を訴えるために隣国入りしたのだが、まさかの情報を得た私はそれをやめた。のこのこと顔を見せればきっと見えない場所で消される。 遠い昔、元々我が公国はこの国の一部だった。だが何かの拍子に公国として独立して、独自の発展を重ねてきた。その為、この国の王侯貴族たちは資源や観光地に恵まれた我が国を取り込んで属国にしたがっているのだという。 彼らにとって、私の生存はあまり歓迎されるものじゃないに違いない。 だけど、このままやられっぱなしで泣き寝入りするなんてできない。 頭に血が上っていたんだ。国王は無理でもせめて手先である貴族の首くらいは取ってやりたいって気分で、私はたった一人で領地に潜り込んだ。 そこはサザランド伯爵領。……その領地は貧しかった。いや、上のものが下のものから甘い蜜を吸い取っているから貧富の差が激しかったというべきか。領地内の町には店もあるし、人も行き交っているけどもなんだか元気がない。覇気がないのだ。どんよりとしていて全体的に暗い。 もしかしてこの国は全体的にこんな雰囲気なのだろうか…考え込みながらぐるぐる回っていた私は道に迷った。まずいと思って引き返そうとしたが、余計に迷った。 気が抜けると、ガクッと疲労が襲ってきた。眠らずここまでやってきたのだ。当然のことである。それに何日も食べていない。金目のものは全て家臣が持っており、私は無一文だった。 今まで怒りと気力だけで動いていたのだろう。くらりとめまいを起こしそのまま地面に倒れ込んだ。土の冷たい感触に私は目を細める。……まさか私はここで野垂れ死ぬのか。そもそも私は勢いでここまでやってきたようなものだ。……一人で乗り込んだところでできることはたかが過ぎている。サザランド伯爵邸に突撃したとしても、伯爵本人に辿り着く前に殺されてしまう。それじゃただ死に急ぐ馬鹿みたいじゃないか。 ぐぅぅ… 考えていると余計に腹が減る。こんなに空腹になったこと、今までにあっただろうか。それに喉が渇いた。口の中が乾燥してぱさぱさなのに今気づいた。何か飲みたい。 それなのに体が重たくて眠い。怠くて動きたくないんだ…… 『……ねぇ、ここで寝てたら死ぬよ』 幼い女の子の声に私はピクリとまぶたを動かした。だけど体がいう事聞かずに起き上がることができない。 『み、みず…』 『みず!? この辺の水なんか飲んだらイチコロだよ。ブドウでいい? 今これしかない』 仕方ないなぁ…と不服そうに小言を漏らすと、誰かがしゃがみこんだ気配がした。むにっと唇をこじ開けるようにして球体を押し込まれたので、それに歯を立てるとじゅわりと果汁が口いっぱいにひろがる。 甘い。これはブドウ、か? ブドウなんて食べ慣れたものなのに、その時はもっともっと食べたくて更に求めた。相手もそれを察して何度か同じことの繰り返しをしていたが、途中で中断した。 『ここで寝たら凍死するよ、死にたくないなら一緒に来て』 自分で立って。と命じてきたのは、スラムの中で生きる少女だった。 彼女は面倒くさがりながらも、宿先を斡旋してくれ、私にスラムでの生き方を教えてくれた。 公子として生まれ育った私は、スラムで究極の飢えと寒さ、絶望を知った。生きることの厳しさ、食べ物の貴重さ、狩りの大変さ……以前までの私なら絶対に知る機会のなかったことばかり。 最初は意地を張って誰にも心の内を明かさず、物言わぬ貝のようにふさぎ込んでいたが、それだけじゃ駄目なのだと彼女は教えてくれた。 彼女は貧しさに負けずに自分で道を切り開いていた。 このサザランド領に住んでいる領民ではあるが、たまたま住まいがこのスラムなだけで、伯爵父娘にはあまりいい感情を抱いていないようだった。私と色々話をするようになってから彼女はサザランド伯爵の娘の印象について語ってくれた。 炊き出しにやってきた伯爵の娘は変わった首飾りをしていたのだという。 リゼットの説明と、地面に描いてくれたデザイン。 私の思い違いでなければ、それは私の母・エーゲシュトランド公妃の首飾り。代々公妃になる女性に受け継がれる我が家の家宝である。 ──あろうことか、母の首飾りは憎き敵の娘が所有しているというではないか。どうか無事でと願っていたけど……父上と母上は殺されたのだ。殺された遺骸からそれを奪った。 私の胸の奥でくすぶっていた復讐の火は更に大きくメラメラと燃え上がった。 『ヴィクトル様! ご無事でようございました!』 逃げる際にはぐれた側近らがスラムで身を隠す私を見つけ出してくれた。 実は金銀財産を持って逃げられたんじゃないかと半分諦めていたので、彼らと再会できて驚いている。疑ったのが馬鹿みたいである。彼らは砂埃汚れまみれで、涙を流して私の無事を喜んでくれた。 家臣らと合流した私は彼らの用意した住処に身を寄せ、秘密裏に報復の計画を立てていた。 この国を乗っ取るとは言わない。私にはそこまでの力はない。……せめて、サザランド伯爵だけは、あの男の首だけは狩りとる。そして奪われた国を取り戻す。 それによって、世話になったこのスラムの人間にも影響があるかもしれない。なるべく被害は最小限になるようにしよう。 それに、この領地をサザランド伯爵に任せておいては駄目だ。 豊かだった我が国と比べてしまうと、この領はあまりにも悲惨だ。上のものが下に富を分配すること無く吸い上げていく一方。民を皆殺しにする勢いだ。 リゼットはなんとか生き延びようと工夫して居るが、今がうまくいっているだけで、これからもずっとうまくいくとは限らない。商人に気に入られて農作物の苗をもらったと本人は喜んでいるが、それがずっと続けられるわけじゃない。 スラムに住む人間の職業は中流階級が嫌がるような力仕事や汚れ仕事ばかり。学がないから尚更だ。ましてや若い娘であるリゼットが働きに出るとすれば娼婦のような仕事しかないのだ。 それだけは避けたい。 いつの間にか私の光になっていた、彼女が笑顔で安心して暮らせる世界を作ってあげたい。 私はそう思うようになった。 ──今にみていろ。必ず、国を取り返してみせる。我がエーゲシュトランド公国は公子たる私が居る限りまた蘇る。 「聞いたかい? うちの姫さんが第2王子の婚約者に内定したんですって」 「はぁ? もうすでに伯爵の坊っちゃんと婚約してるんじゃなかった?」 「なにも殿下の横恋慕らしいわよ」 「へぇ…よくやるわねぇ、あの姫さんも」 ゴシップ好きのご婦人方の下世話な話が耳に飛び込んできた。 サザランド伯爵の娘キャロラインが王子妃になるかもしれないという噂は、私を迎えに来た側近がすでに情報を握っていた。何もキャロラインは多くの男性に求婚されてるそうだ。 王都の学校で大勢の貴公子を誑しこんで居るとかそんな噂を聞く。それによって、庶子として入学してきた女子生徒がキャロラインの不興を買って追い詰められ、僻地に追いやられたとかきな臭い話も聞こえてきた。 「それでうちの生活も楽になるかしらねぇ」 まさか。生活が楽になるわけないだろう。何度も市民代表が窮状を訴えても耳を貸さない領主だぞ? あの伯爵娘の輿入れのために更に重税を課される可能性だってある。 この国は荒れる。…私が火を起こさずとも、もうすでに火種は煙を上げて燃え上がる直前まで、民たちの不満は限界を迎えていた。 そんな彼らの怒りを利用した。私にとっての復讐であり、市民にとって絶望しかない状況を打破するための、この場限りの同盟を結ばないかと彼らに持ちかけることにしたのだ。 |