不純異性交遊は見えないところでお願いします【後編】
マネージャーの仕事はいわゆる縁の下の力持ち…わかりやすく言えば雑用である。仕事の仕方はそれぞれ人によって異なる。
「ふぅん、マネージャーって昼休みも働かなきゃいけないんだ? 大変だね」
朝に干した練習着を取り込んでいると、横から声を掛けられた。
言葉だけなら労っているように聞こえるが、その相手はニヤニヤと嘲笑するように私を見下ろしていた。
「…なんか用?」
クラスメイトの女子は貴重な昼休みに部室のある場所にわざわざ足を運んで来たらしいが、私の働きを労うためではないだろう。
まさか…バスケ部に入部したいとかふざけたことを抜かすんじゃないだろうな。
「男子部マネの三国もうまくやったよねぇ。今キャプテンと付き合ってるんだっけ? マネージャーになれば、狙ってる人と付き合えるのかな?」
その言葉に私は眉をひそめる。
男子部マネ入部して騒動を起こした土瓜さんを思い出したからだ。男子部に入る女子マネは少なくともミーハー気分があるであろう。そんな下心は個人の自由だが、男女間のゴタゴタになったら、近くで活動している女子部にも嫌な空気が感染するから巻き込まないでほしい。
ていうか男子部の愚痴がこっちに飛んでくるんだわ。私はクレーム受付担当じゃないっつの。
「竹村さんてさぁ、なんで女子バスケ部に入ったの? 男には興味ありませんよアピ?」
「バスケが好きだからに決まってるでしょ」
馬鹿か。誰も彼もが男目当てで入部すると思うなよ。
バカにされそうなので、理由があってマネージャーしていることを彼女に言うのはなんか嫌だ。私は洗濯物をカゴに入れながら仕事を続行する。
「どうやって嶋野先輩と仲良くなったの? 男に興味ないふりして油断させて接近してるんでしょ?」
「違うし」
私はそんな器用な人間じゃないし、男目当てなら男子バスケ部のマネージャーになったほうが手っ取り早いだろう。
否定してるのにこの間からこの女子は何なのだ。瑞樹先輩は面白がって私に構うだけで、そこには恋とかそういった甘酸っぱいものは無いぞ。
面倒くさいなぁ。私はため息を隠さず、はぁぁと吐き出した。
相手は私をまじまじと観察していた。そして鼻で笑うと小馬鹿にするように言った。
「色気ないくせに。あんたって子供みたいだよね、どうせ妹か弟としか見られてないでしょ。少しは化粧くらいしたら?」
色気がなくて悪かったな。余計なお世話だ。
そもそも瑞樹先輩を狙っていると言うなら、私に色気がないほうが都合がいいんじゃないの?
私を軽くディスった彼女は、勝ち誇った顔をして口端をにぃっと持ち上げていた。どんなにお化粧してきれいにしていても、今のあんたの意地悪な性格が顔ににじみ出てるぞ。
「あの人かっこいいよね。噂によると1年の時はそう身長高くなかったらしいけど、2年になる前にぐんっと伸びたんだって」
「うん、本人に聞いたことある」
彼自身も成長期が遅くて低身長に悩んでいたことがあるのだと話してくれたことがある。遅れてニョキニョキ成長した今は低身長を憂うことなく、部活に勤しんているようだが。
身長に恵まれなくて挫折した私はそれがただただ羨ましかった。
私はその逆で、成長期が早かったせいで背が止まるのも早かった。瑞樹先輩と同じタイプの私の友人は遅れて成長期が来て、中学の3年間で10センチ伸びたって言っていた。私は5ミリとかそんな程度だったし…世の中は無情である。
「ねぇ、あたしにもマネージャーさせてよ。そしたら嶋野先輩に接近する機会が増えるじゃん?」
その言葉に私は動かしていた手をピタリと止める。
「は…?」
「あんたはあたしを嶋野先輩に紹介するだけでいいよ。そしたら自分で動くからさ。マネージャーは多ければ多いほど楽でしょ?」
この女…また土瓜さんのときと同じような騒動を起こす気か…!
男子部もまだ変な空気なのに女子部まで巻き込もうとするなんざ……この私が許さん。
「あんたの恋愛事に巻き込まないでくれる?」
ミーハーでも仕事してくれれば文句は言わないけど、多分この人はなにかと理由つけて仕事しないタイプだ。面倒事は他の人に押し付けて男の尻を追っかけるに違いない。バスケのルールすら覚えようとしないんじゃないだろうか。
「私は発情するためにバスケ部に入ったんじゃない…! 私は女子部の皆に気兼ねなくバスケがしてもらいたいからマネをしてるの。その邪魔はさせない…!」
入りたいなら男子部に入ればよかろうが! 好きなだけ男にくっつけばよろしい!
ただし女子部を巻き込むな! 私は彼女たちを支えるために日々努力しているのだ。その妨害になるようなことは、絶対に阻止してみせる…!
「な、なによムキになっちゃって…ダッサ」
鼻で笑っているが、私がマジギレ寸前なのを察してクラスメイトは後ずさっていた。どうせ本気になるのがダサいとか思ってんでしょ。笑いたきゃ笑えばいい。
私は女子部の皆に自己投影している。私と違って、背が高い彼女たちがコートで走り回る姿を見ていると、自分がやりたかったことを代わりにしてくれているように見えるから。
そばで彼女たちを支え、一緒に戦う。私はマネージャーとしての仕事に今では誇りすら抱いているんだ。
その邪魔は絶対に、絶対にさせない…!
「…そういうのやめたら? 自分ひとりで声かけられないくせに美味しいとこ取りするのどうかと思う」
目を細めてクラスメイトを睨んでいると、干された洗濯物の裏側から男の声が飛んできた。聞き覚えの有りすぎる声。私とクラスメイトはギクリとする。
練習着の影からひょこっと顔を出してきたのはバスケットボールを小脇に抱えた瑞樹先輩であった。
「し、嶋野先輩!?」
気になっている本人が現れて、クラスメイトが色めき立つ。彼女に向けて瑞樹先輩は胡散臭い笑顔を向けていた。
なにその笑顔。パリピ仕様か。
笑顔を向けられたクラスメイトは頬を赤くしてはしゃいでいるが、私は瑞樹先輩から流れるピリついた空気を感じ取っていたので、別の意味で緊張していた。
「悪いんだけど、俺バスケバカだから、恋愛にしか興味なさそうな女の子とは相性が悪いんだよね」
そう言っててくてく歩いて近づくと、何故か私の後頭部を鷲掴み、胸元に引き寄せてきた。目の前にカッターシャツと中に着用しているTシャツの色が飛び込んでくる。
「…次、菜乃ちゃんに訳のわからないケチつけたら俺が許さないよ?」
訳がわからないのはこっちなのですが。何故あんたの胸に顔を押し付けさせられているのか。この行動には何か意味があるのかね。
タタタ…と土を蹴って駆けていく音が遠ざかったと思えば、瑞樹先輩の手が緩んだ。クラスメイトは走って逃げたようだ。
……急に現れて何なのだ、この人は。
「…庇うのやめてくださいよ、男に甘えているみたいで嫌です」
いつもそうだ。
なんだかんだトラブルが起きると、この人は私を庇おうとする。
…そういうのが誤解されると思うんだけどなぁ。そのせいで付き合ってると誤解されてるのこの人わかってるんだろうか。
私はふてくされた様に瑞樹先輩の胸板を押し返すと、彼は私の頭の天辺にポスッと手を乗せてわしわしと頭撫でてきた。
「どうでもいい女の子を庇ったりするほど、俺はお人好しじゃないつもりなんだけどね」
「え…」
その言葉に私はドキリとした。
だけど冷静な心が「思わせぶりに言っているだけ」「からかっているだけ」と私を押し止める。
誤解してしまいそうだったので彼の手から逃れて離れようとしたのだが、先輩の動きのほうが少し早かった。
「えいっ」
ほっぺたを両手で挟まれてむにゅうとされた私はキョトンとして固まった。目の前には大きな背を屈めて私に顔を近づける瑞樹先輩の整った顔。くっきりとした二重まぶたの瞳と私の瞳がぱっちり合う。
普通に近い。距離が近すぎる。
「菜乃ちゃん…」
瑞樹先輩の薄めの唇から掠れた低い声が私を呼ぶ。唇に目が行って、私はドキドキした。
「バスケしよっか」
「へ」
ムニュムニュとほっぺたを撫でくり回され、呆然としている私の心を置いてけぼりにして、彼は私の手を掴んで引っ張ってきた。
大きな手だ。手のひらはマメによって固くなっている。男の人の手。
水仕事でガサガサの私は自分の手が恥ずかしくなって振りほどきたくなったが、先輩はしっかり手を掴んで離さなかった。
私と先輩が並ぶとまるで大人と子どもだ。
……勘違いするな、私はただの後輩。先輩にとっては妹のようなもんだ。
彼の広い背中、大きな体を後ろから見上げていると、自分の胸がきゅうと苦しくなった。
グラウンドのバスケットコートに連れてこられた私にパシッとバスケットボールをパスして来た彼は、目を輝かせていつでも来いといった体勢をとっていた。
しかし私はあまり気が乗らない。
先輩のことがよくわからない。なんで私のことを気にかけるのか。先輩は私に何を求めているのか。
私は女子部のマネージャーなんだぞ。
「…私じゃ、いい練習相手になりはしないと思うのですが」
私はボールを持ったまま、彼からふっと目をそらした。なんとなく最近気まずくて避けていたってのもあるけど、クラスメイトのせいで変に意識してしまうというか…
「そんなことないよ。俺の練習付き合う時はいつも楽しそうにバスケしてるじゃん。楽しそうな菜乃ちゃん見てると俺も楽しくなるからいいの」
…この、パリピめ。
そんなこといろんな女の子に言って誑らしてるんだろ。私は騙されないからな。
なんだかムカムカしていた。人の気も知らないで恥ずかしくなるようなこと言いやがって…。胸がムズムズして、口元がふにゃりと緩みそうになったので、それを気取られぬよう、ボールをドリブルしながら瑞樹先輩の横をすり抜けた。
バスケを始めたら止まらなくなって、予鈴がなるまで先輩と2人、1on1して遊んだ。
「あっつ…」
暴れまくって暑くなったので、上に着用していたデカめのパーカーをガバッと脱ぎ去ると、何故か目の前の瑞樹先輩がギョッとした顔をしていた。
「菜乃ちゃん、駄目だって!」
「わっ!?」
今しがた、脱いだばかりのパーカーを戻され、私の視界は服によって覆われてしまった。
息苦しいので、穴から顔を出すと目の前にいる先輩を睨みつけた。
「…何するんですか!」
「パーカーは着たほうがいい、いや着ておいて欲しい」
命令に似たそれに対して、私は口をへの字にした。
「なんでですか」
「いい子だから言うこと聞こうね、菜乃ちゃん」
私と同じく運動後の熱が引かないらしい先輩は頬を赤くしながら私のパーカーの裾を元の位置に戻していた。
その眉は困ったように八の字を描いており、なんと言うか、恥じらっているようにも見えた。
──やっぱり、この人の考えていることがよくわからん。
私はカッターシャツ姿になっただけなのに急に何なのだ。失礼な。